ハイクノミカタ

「ワイシャツのアイロンがけをしてほしい」夫に言われた妻の衝撃 片岡絢


「ワイシャツのアイロンがけをしてほしい」夫に言われた妻の衝撃

片岡絢
『カノープス燃ゆ』


たまには歌も取り上げてみよう、ということで、過日、大松達知さんからいただいた片岡絢さんの歌集から(ありがとうございます)。この歌のあと、「実母から「アイロンぐらいかけてあげたら」と言はれた娘の衝撃」、「義両親から「アイロンをかけてやってほしい」と言はれた嫁の衝撃」、「「ワイシャツのアイロンがけはしません」と妻に言はれた夫の衝撃」と続く。さりげなく「義父母」と言わず「義両親」と造語しているところがいいなと思ったりする。こうやって「衝撃」で四首ならぶと、人によっては家族コントをやっているような印象を持つかもしれない。あるいは、なんて夫を大切にしないダメな妻なのだろう、と思う人もいるのだろうか。逆に、なんで自分のものでもない夫のワイシャツのアイロンがけなんかさせられないといけないの?と思う人もいるかもしれない。私は家族の関係の中で呼称の変化する「妻」と「娘」と「嫁」は同一人物として読んでしまったのだけれど、もちろん別人でもかまいはしない。いずれにせよ、「夫」を中心として自動化し、当然と信じられていた「家族」の中のアイロンがけにまつわる「あたりまえ」が、実はそうである根拠などどこにもなかった(だから実母は「てあげる」という上からの温情のごとき態度にすりかえて娘を勧誘し、義両親は「てほしい」と願望する形でおだやかに命令するしかないのだ)ことが顕在化し、そしてそれぞれに裏切られている。日常のささいな「あたりまえ」がずれているのだから、この「アイロンがけ」は一表象に過ぎず、この「妻」と「娘」と「嫁」と「夫」と「実母」と「義両親」には、同様のその他の様々な自分の領分の「ずれ」がさらに降り懸かってくることが想像されてくるので、この家族はこれからどうなるだろう、などと思ったりもする。この歌の場合は、昔の(もしかして、今も?)の家族の中の「妻」が当然の役割としてその仕事を甘受してきたことで自動化され、日常の中に無化されてしまったかのようなことを、こうやってわかりやすい表現でえぐり出すものと思うけれど、他のいくつかの歌を詠んでいても、見えないことになっているものごとをみえるものに変換するのが巧みな作者だなと思った。

ところで私ごとなのですが、筆者家族は、当初から家事は半々に負担し、アイロンがけは自分の分はそれぞれがしている。ワイシャツはリンクルフリーを着ているので時々しかアイロンがけはしない。そして双方親類づきあいなどが頻繁な家ではないためかよくわからないが、「家族」とはいえ、双方の親兄弟を含めて個人の領分に踏み込むようなお願いを含むような、親の世代が親族でやり合っていた会話がかわされるようなことがない。なもので、この歌の中で繰り広げられるある種の悲劇をあまりリアルに感じることができていない。実際の所、世間一般では今どうなっているんでしょうね、夫のワイシャツのアイロンがけ?

橋本直


【橋本直のバックナンバー】

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>>〔1〕色里や十歩離れて秋の風       正岡子規


【執筆者プロフィール】
橋本直(はしもと・すなお)
1967年愛媛県生。「豈」同人。現代俳句協会会員。現在、「楓」(邑久光明園)俳句欄選者。神奈川大学高校生俳句大賞予選選者。合同句集『水の星』(2011年)、『鬼』(2016年)いずれも私家版。第一句集『符籙』(左右社、2020年)。共著『諸注評釈 新芭蕉俳句大成』(明治書院、2014年)、『新興俳句アンソロジー 何が新しかったのか』(ふらんす堂、2018年)他。


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