ハイクノミカタ

洗顔のあとに夜明やほととぎす 森賀まり【季語=ほととぎす(夏)】


洗顔のあとに夜明やほととぎす

森賀まり
(『しみづあたたかをふくむ』)


仕事から帰って夕食の準備をし、食後に疲れて一寝入りすると、目が覚めるのはもう深夜。そこから起き出して風呂に入り、翌日の仕事の準備を始めると、深夜三時くらいにふいにホトトギスが鳴き始める。準備に時間がかかるときには、そのまま寝ないで出かけることもある。歳時記その他では、ホトトギスが深夜あるいは早朝に鳴く鳥だとは、読んだことも聞いたこともないのだが、それは現代の街灯や建物の灯りが明るすぎるのせいなのだろうか。よくわからないのだけれど、経験的にはホトトギスは深夜から早朝になく鳥なのである。おかげで、夏の夜明け前に鳴くホトトギスを詠んでいるこの句は、しっくりと納得のいく感じがする。

ところで、句集のタイトルの「しみづあたたかをふくむ」は七十二候の一。中国と日本の暦で違いがあるようだが、冬には違いない。七十二候は一部は俳句の季語になっているが、どうやら「しみづあたたかをふくむ」は歳時記類に立項されていないようである。句集のあとがきを読むと、作家は「水泉動(しみづあたたかをふくむ)」について、「玄冬の底」ゆえに感じ取れる清水の温みに、待春の心を感じとっている。そのあとがきには、「装幀の裸木は若い頃より敬愛する木村茂氏の銅版画である」とも書いてある。はじめにその表紙の画をぱっと見たときには、少し不気味な感じがして、これは一体何だろうと思い、少し眺めてから木だとわかり、これは大きく成長した蘖(ひこばえ)ではないかと思った。蘖は伐られた木の周りから芽が出たものだけれど、それが成長すると、単に一本の木が途中から枝分かれしただけのようにも見える。その成長した蘖の姿にこそ、作家の込められた思いがあるように感じたのだけれど、ただの深読みかもしれない。

橋本直


【この句が読める句集はこちら↓】

◆あとがきより
「水泉動(しみずあたたかをふくむ)」。暦の中にこのことばを見つけたときなつかしくなった。新年が明けて大寒の少し前、寒さが最も厳しくなる頃の時候である。
私の生家は瀬戸内の石鎚山の登り口に近く、湧水を水源とする地にある。凍るような朝は蛇口を開け放って出し流した。水が温んでくるのを待って顔を洗うのだ。
七十二候を眺めるに多くがふとした気づきを誰かがつぶやいたようだ。なかでも玄冬の底に置かれたこの語の寧らかさにひかれる。いっそうの寒さがはじめて水の温みを気づかせる。


【執筆者プロフィール】
橋本直(はしもと・すなお)
1967年愛媛県生。「豈」同人。現代俳句協会会員。現在、「楓」(邑久光明園)俳句欄選者。神奈川大学高校生俳句大賞予選選者。合同句集『水の星』(2011年)、『鬼』(2016年)いずれも私家版。第一句集『符籙』(左右社、2020年)。共著『諸注評釈 新芭蕉俳句大成』(明治書院、2014年)、『新興俳句アンソロジー 何が新しかったのか』(ふらんす堂、2018年)他。


【橋本直のバックナンバー】

>>〔87〕六月を奇麗な風の吹くことよ    正岡子規
>>〔86〕梅雨の日の烈しくさせば罌粟は燃ゆ 篠田悌二郎
>>〔85〕麦からを焼く火にひたと夜は来ぬ 長谷川素逝
>>〔84〕「ワイシャツのアイロンがけをしてほしい」夫に言われた妻の衝撃 片岡絢
>>〔83〕体内の水傾けてガラス切る      須藤徹
>>〔82〕湖の水かたふけて田植かな     高井几董
>>〔81〕スタールビー海溝を曳く琴騒の   八木三日女

>>〔80〕鯛の眼の高慢主婦を黙らせる    殿村菟絲子
>>〔79〕あたゝかな雨が降るなり枯葎     正岡子規
>>〔78〕目つぶりて春を耳嚙む処女同志     高篤三
>>〔77〕名ばかりの垣雲雀野を隔てたり     橋閒石 
>>〔76〕春宵や光り輝く菓子の塔       川端茅舎  
>>〔75〕特定のできぬ遺体や春の泥       高橋咲
>>〔74〕炎ゆる 琥珀の/神の/掌の 襞/ひらけば/開く/歴史の 喪章 湊喬彦
>>〔73〕杜甫にして余寒の詩句ありなつかしき  森澄雄
>>〔72〕野の落暉八方へ裂け 戰爭か     楠本憲吉
>>〔71〕寒天煮るとろとろ細火鼠の眼    橋本多佳子
>>〔70〕ばばばかと書かれし壁の干菜かな            高濱虚子
>>〔69〕大寒の一戸もかくれなき故郷     飯田龍太
>>〔68〕付喪神いま立ちかへる液雨かな     秦夕美
>>〔67〕澤龜の萬歳見せう御國ぶり      正岡子規
>>〔66〕あたゝかに六日年越よき月夜    大場白水郎
>>〔65〕大年やおのづからなる梁響      芝不器男
>>〔64〕戸隠の山より風邪の神の来る    今井杏太郎
>>〔63〕天籟を猫と聞き居る夜半の冬     佐藤春夫
>>〔62〕暗闇の眼玉濡さず泳ぐなり     鈴木六林男
>>〔61〕ラーメン舌に熱し僕がこんなところに 林田紀音夫
>>〔60〕冬真昼わが影不意に生れたり     桂信子

>>〔59〕雛飾る手の数珠しばしはづしおき 瀬戸内寂聴
>>〔58〕枯芦の沈む沈むと喚びをり      柿本多映
>>〔57〕みかんいろのみかんらしくうずもれている 岡田幸生
>>〔56〕あきかぜの疾渡る空を仰ぎけり  久保田万太郎
>>〔55〕自動車も水のひとつや秋の暮     攝津幸彦
>>〔54〕みちのくに生まれて老いて萩を愛づ  佐藤鬼房
>>〔53〕言葉がわからないので笑うてわかれる露草咲いてゐる 種田山頭火
>>〔52〕南海多感に物象定か獺祭忌     中村草田男
>>〔51〕胡桃割る胡桃の中に使はぬ部屋    鷹羽狩行
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>>〔49〕彎曲し火傷し爆心地のマラソン    金子兜太
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>>〔44〕もろ手入れ西瓜提灯ともしけり   大橋櫻坡子
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>>〔41〕のこるたなごころ白桃一つ置く   小川双々子
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>>〔14〕大年の夜に入る多摩の流れかな   飯田龍太
>>〔13〕柊を幸多かれと飾りけり       夏目漱石
>>〔12〕杖上げて枯野の雲を縦に裂く     西東三鬼
>>〔11〕波冴ゆる流木立たん立たんとす    山口草堂
>>〔10〕はやり風邪下着上着と骨で立つ    村井和一
>>〔9〕水鳥の夕日に染まるとき鳴けり    林原耒井
>>〔8〕山茶花の弁流れ来る坂路かな     横光利一
>>〔7〕さて、どちらへ行かう風がふく     山頭火
>>〔6〕紅葉の色きはまりて風を絶つ     中川宋淵
>>〔5〕をぎはらにあした花咲きみな殺し   塚本邦雄
>>〔4〕ひっくゝりつっ立てば早案山子かな  高田蝶衣
>>〔3〕大いなる梵字のもつれ穴まどひ     竹中宏
>>〔2〕秋鰺の青流すほど水をかけ     長谷川秋子
>>〔1〕色里や十歩離れて秋の風       正岡子規


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