笠原小百合の「競馬的名句アルバム」【第11回】1994年 スプリンターズステークス サクラバクシンオー

【第11回】
馬の名を呼んで
(1994年 スプリンターズステークス サクラバクシンオー)

夏競馬が終わり、いよいよ始まる秋のG1シーズン。早速、秋のG1第一戦であるスプリンターズステークスの話をしたいところだが、今回はまずこちらの句をご覧いただきたい。

稲の花ラジオは馬の名を呼んで  岩田奎

岩田奎句集『膚』には馬を詠んだ句がいくつかあり、そのうちの一句を引いた。

「稲の花」は初秋に咲く、短命の花である。「花粉の寿命はわずか二、三分で、炎暑の正午近く三時間ほどで花は閉じる」と角川俳句大歳時記に記載されている。

「稲の花」の咲く時期は夏競馬の真っ只中。ちょうど米どころである新潟競馬の開催時期で、レースで言えばレパードステークスや関屋記念の頃だろうか。

「稲の花」が午前11時頃から咲き始め午後1時頃には終わってしまうことを考えると、メインレースではない。正午前後のゆるやかで少し気だるい時間を想像する。

2歳新馬戦、もしくは3歳未勝利戦か。どちらも1勝の重みの強いレースである。ここで1勝出来なければ、競走馬として競馬の世界で生き残っていくのは極めて難しくなる。

競馬は1つの競馬場で1日12レースが行われており、掲句ではメインレース以外の所謂「平場」のレース実況を聞いている感じがよく捉えられている。

「ラジオは馬の名を呼んで」という措辞には確かにと納得させられる。改めてレース実況を思い返すと、スタートからゴールまで実況アナウンサーは馬の名を呼び続けている。

スタートで先頭に立つ馬の名。道中、先頭から隊列を確認していく際に呼ばれていく馬の名。ゴール前、激闘の中で連呼される馬の名。そしてレースに勝利した、たった一頭の馬の名。

競馬初心者の方とレース実況を聞いた際に「レースはよくわからなかったけど、たくさん馬の名前が呼ばれていたね!」と言っていたことを思い出す。聞き慣れていないと、なかなか実況音声だけでレースの実像を結ぶことは難しい。繰り返される「馬の名」が自然と印象に残るのにも頷ける。

競馬の実況アナウンサーは私が尊敬する職業のひとつである。

レースはどんな展開、結末になるかわからない。用意してきたフレーズが必ず使えるわけでもない。だからこそ、誰よりも準備を周到に。プロの姿勢を常に忘れない。

各馬の情報を頭に入れ、必要となればさっと取り出して伝えていく。その様子は、俳人が季語や型などを身につけて実際に俳句を詠んでいく感覚とどこか似ているような気もする。

そして俳句同様、実況にもアナウンサーによって癖や好み、傾向などがある。必要な情報を的確に伝えるということをした上で、感動的なフレーズでレースを彩る実況、個人的な思い入れを隠さない実況など様々だ。

中でも私は杉本清アナウンサーの実況が昔から好きだった。杉本清の著書『三冠へ向かって視界よし』(日本文芸社)より、彼の名実況を少しだけご紹介したい。

テスコガビー独走か、テスコガビー独走か、ぐんぐんぐんぐん差が開く、差が開く。後ろからはなーんにも来ない、後ろからはなーんにも来ない、後ろからはなーんにも来ない」(昭和50年桜花賞 優勝テスコガビー)

菊の季節に桜が満開。菊の季節に桜。サクラスターオーです」(昭和62年菊花賞 優勝サクラスターオー)

興奮するお客さん、真っ白なスタンド。あなたの、そして私の夢が走っています」(昭和63年宝塚記念 優勝タマモクロス)

こうして書き出していくだけでもわくわくしてくる。杉本清の実況には詩情があると私は常々思っている。他にも数多の名実況を生み出してきた杉本。そしてなんと、俳句を実況に登場させたこともある。

菊近し淀の坂越え一人旅
(平成4年京都新聞杯 優勝ミホノブルボン)

杉本が自身で詠んだ一句だという。とにかくあの手この手を考え、競馬を盛り上げてきた。そんな杉本清をはじめとする実況アナウンサーたちがいなければ、競馬という文化は続いてこなかったし、ここまでドラマチックな世界にはならなかっただろう。実況アナウンサーは競馬に欠かせない大切な存在なのである。

杉本清『三冠へ向かって視界よし』(日本文芸社)

さて、冒頭で触れた秋のG1第一戦であるスプリンターズステークスの話をしたい。

1994年、スプリンターズステークス。

サクラバクシンオーのラストランとなったこのレースでも名実況が生まれた。

実況は塩原恒夫アナウンサー。彼もまた杉本清に負けず劣らず、詩情を大切にしているアナウンサーだ。ぜひ「塩原恒夫」で検索してWikipediaの彼の頁を見て欲しい。

サクラバクシンオーは生粋のスプリンターとして活躍した名馬である。

デビュー後はクラシック出走を目指していたがとにかく短い距離でしか勝てなかった。

クラシックは諦めることになったが短距離レースでは超一流の走りを見せ、その力を示していった。

結果、1400m以下の短距離レースでは12戦11勝という驚異の生涯戦績を残している。

1993年スプリンターズステークスも劇的だった。

レースの8日前、主戦騎手である小島太が父のように慕っていたサクラバクシンオーの馬主が亡くなり、「絶対に負けられない」と臨んだレースである。騎手、陣営の思いと共にサクラバクシンオーは走り、見事、先頭でゴール。天国の馬主へと捧げる涙のG1勝利となった。

その後も短距離レースでの勝ち星を重ね、翌年の1994年、スプリンターズステークスを迎える。

連覇を狙うサクラバクシンオーはこのレースで引退することが事前に決まっていた――。

という状況を踏まえての実況である。

百聞は一見に如かず。こちらの動画をぜひご覧いただきたい。

さあ、小島太!これは最後の愛のムチ!これは最後の愛のムチ!バクシンオーだ!バクシンオーだ!

デビューから引退まで、サクラバクシンオーの手綱をとり続けてきた小島太騎手。

「最後の愛のムチ」は一人と一頭の築いてきた関係、その物語を思って出てきた言葉だろう。

最後の鞭がバクシンオーを打つ。

応えるように、サクラバクシンオーは力強く駆ける。

こうして有終の美を飾ったサクラバクシンオーは短距離界の絶対王者として君臨したまま、ターフを後にした。

さて、かなり思うがまま書いてしまったが、様々な競馬のドラマとその実況の奥深さが少しでも伝わったのならば幸いだ。

ぜひアナウンサーの呼ぶ「馬の名」と、余裕があればそれ以外の部分にも注目して、これからの競馬観戦の際には実況に耳を傾けてみて欲しい。


【執筆者プロフィール】
笠原小百合(かさはら・さゆり)
1984年生まれ、栃木県出身。埼玉県在住。「田」俳句会所属。俳人協会会員。オグリキャップ以来の競馬ファン。引退馬支援活動にも参加する馬好き。ブログ「俳句とみる夢」を運営中。


【笠原小百合の「競馬的名句アルバム」バックナンバー】

【第1回】春泥を突き抜けた黄金の船(2012年皐月賞・ゴールドシップ)
【第2回】馬が馬でなくなるとき(1993年七夕賞・ツインターボ)
【第3回】薔薇の蕾のひらくとき(2010年神戸新聞杯・ローズキングダム)
【第4回】女王の愛した競馬(2010年/2011年エリザベス女王杯・スノーフェアリー)
【第5回】愛された暴君(2013年有馬記念・オルフェーヴル)
【第6回】母の名を継ぐ者(2018年フェブラリーステークス・ノンコノユメ)
【第7回】虹はまだ消えず(2018年 天皇賞(春)・レインボーライン)
【第8回】パドック派の戯言(2003年 天皇賞・秋 シンボリクリスエス)
【第9回】旅路の果て(2006年 朝日杯フューチュリティステークス ドリームジャーニー)
【第10回】母をたずねて(2022年 紫苑ステークス スタニングローズ)


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