広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅

俳人・広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅【第39回】 青森・五所川原と成田千空

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【第39回】
青森・五所川原と成田千空

広渡敬雄(「沖」「塔の会」)


白神山地を水源とする岩木川流域は、昔から氾濫に悩まされる湿地帯だったが、治水工事で改修が進み農地が拡大した。五所川原市は、その西北津軽農村地帯の交通・商業の中心地。五能線、津軽鉄道(冬はストーブ列車)が通じ、沿線には林檎畑が続き、県内最高峰の秀麗な岩木山が望める。平成10年に統合した金木町には、太宰治の生家「斜陽館」があり、全国屈指の港だった蜆漁の十三湖も近い。

五所川原市金木 斜陽館(太宰治生家)

大粒の雨降る青田母の故郷(くに)    成田千空

面つゝむ津軽をとめや花林檎   高浜虚子

津軽なり星の匂ひの凍豆腐    小野寿子

悼成田千空
空席ひとつ十一月の五能線    黒田杏子

大平原白しストーブ列車行く  吉田千嘉子

斜陽館
蝉時雨太宰の手紙縷々哀訴   榑沼けい一

赤光の雪降らしめよ津軽富士  木附沢麦青

岩木川いよいよ痩せて冬ざくら  中村鎮雄

バリバリと氷る十三湖何もなし  新谷ひろし

〈母の故郷〉の句は昭和22年作で、第一句集『地霊』に収録。平成2年、五所川原市菊ヶ丘運動公園に句碑が建立され、隣にはその後、師中村草田男〈炎熱や勝利の如き地の明るさ〉の句碑も建立された。自註に「三番除草の後、俄に雨が降り青田の騒めきが広がって、生き生きとした大地の息吹を感じ何の作為もなく生まれた句。青森空襲で地獄を見てしまった心が、一転母郷の生気に触発された句」とある。

中村草田男句碑「炎熱や勝利の如き地の明るさ」

成田千空は、大正10(1921)年、青森市に生まれ、本名力、8歳で父を失い、青森県立青森工業学校卒業後、東京の富士航空計器(株)に入社するも、肺結核で帰郷し、四年の療養生活中に俳句と出会う。松濤社を経て青森俳句会に参加し、大野林火『現代の秀句』で中村草田男に注目する。

終戦直前の青森市空襲で、姉の嫁ぎ先五所川原に移住し,帰農生活に入る。姉の亡夫の蔵書を耽読、青森俳句会から「暖鳥」を創刊、草田男創刊の「萬緑」にも参加。昭和25(1950)年従兄と書店「暖鳥文庫」を開業し、翌年結婚、東奥日報の文化講演会の為に来青の草田男を案内して一週間行動を共にする。

五所川原図書館

同28年、歴史に残る第一回萬緑賞を受賞。東大俳句会・成層圏俳句会等の並み居る俊英を斥けての受賞で「東北に千空あり」と名声を高め、当時青森高校在学中の寺山修司等に強いインパクトを与えた。

同35(1960)年、津軽と南部、八戸の有志(村上しゅら、加藤憲曠、新谷ひろし、米田一穂等)と「森の会」を結成。その後、この会から共著『修羅落し』『風祭』『氷塔』を刊行後、同51(1976)年、55歳で待望の第一句集『地霊』を上梓した。師草田男を亡くすも、青森県文化賞を受賞し、同63年、第二句集『人日』で第28回俳人協会賞を受賞した。

平成9(1977)年には、青森県立図書館に〈玫瑰や今も沖には未来あり〉の草田男句碑を建立し、第四句集『白光』で俳壇最高峰の第32回蛇笏賞、更に第五句集『忘年』で第16回日本詩歌文学館賞も受賞した。『萬緑』代表、読売新聞俳壇選者を務め、第一回「みなづき賞」も受賞したが、同19(2007)年、前立腺癌が進行し、11月17日、逝去。

師弟句碑の新聞記事

享年86歳。句集は、他に『天門』『十方吟』、エッセイ集『俳句は歓びの文学』がある。

「外連味などなく、風土俳句でもなく、むしろ地味で誠実な人間の実感そのものの生活詠。その人間味の厚さに感銘した」(森澄雄)、「風土は素材でなくエスプリ。ここまで風土の言葉を特殊から普遍へと完成に導いた作家は稀有である」(横澤放川)、「句風の印象はなるほど重いが暗くはない。確かに根が深いのだ。津軽の野づらをしっかり足で踏んで立っている」(藤田湘子)、「千空という俳号も宇宙的で、太宰・志功・寺山といった津軽のグローバルなアーティストの系譜に連なる逞しい俳人である。語りの名人で、津軽弁の語り口は床しい」(黒田杏子)、「俳句一筋に生き抜き、男として醜い野望の類には一瞥もくれず、ひたすら草田男の指し示す所に真摯に従ってその生涯を全うした津軽の大人(うし)の風格を備えた人物」(森かつみ)等々の評がある。

五所川原市菊ヶ丘運動公園

空蝉の脚のつめたきこのさみしさ (「萬緑」初巻頭)

妻の眉目春の竈は火を得たり

野は北へ牛ほどの藁焼き焦がし 

仰向けに冬川流れ無一物

病む母のひらがなことば露の音

混沌の夜の底ぢから佞武多引く

風三日銀一身の鮭届く

白鳥の花の身又の日はありや

ひかり降り雨ふる墾の赤かぶら  

鯉ほどの唐黍をもぎ故郷なり

海やまの夜をたつぷりときりたんぽ 

早苗饗のあいやあいやと津軽唄

大空にちからをもらひ雪卸す

十三湖
風と来て声よき十三(とさ)の蜆売

ししうどや金剛不壊の嶺のかず

寒中の紫蜆寸志とす

雄の馬のかぐろき股間わらび萌ゆ

横顔は十に七つや花林檎

鬱蒼と東北は雨草田男忌

昨日今日明日赤々と実玫瑰

平成三年九月台風十九号
草に水に紅涙まざと落林檎

虫送る生身の潤び女たち

成人の日をくろがねのラッセル車

兄よりも兄嫁大事盆の家

義母逝去
雪よりも白き骨これおばあさん

絶筆
寒夕焼に焼き亡ぼさん癌の身は

蛇笏賞受賞式挨拶の冒頭の言葉「中村草田男門の成田千空です」は師弟関係の有り様の一つの理想であろう。

昨年、生誕百年を迎えた千空の「かえりみてなつかしいと思うことはすべて恩だ」との言葉が、千空俳句の底辺に流れ、その人間愛と懐の深さを端的に表している。

(「たかんな」令和4年1月号より転載)

成田千空句碑「大粒の雨ふる青田母のくに」

【執筆者プロフィール】
広渡敬雄(ひろわたり・たかお)
1951年福岡県生まれ。俳人協会幹事。句集『遠賀川』『ライカ』(ふらんす堂)『間取図』(角川書店)。『脚注名句シリーズⅡ・5能村登四郎集』(共著)。2012年、年第58回角川俳句賞受賞。2017年、千葉県俳句大賞準賞。「沖」蒼芒集同人。俳人協会幹事。「塔の会」幹事。著書に『俳句で巡る日本の樹木50選』(本阿弥書店)。


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【第37回】龍安寺と高野素十
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【第34回】鎌倉と星野立子
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