連載・よみもの

【#36】ベトナムの5 dong ke(ナム・ヨン・ケー)と出会った時の話


【連載】
趣味と写真と、ときどき俳句と【#36】


ベトナムの5 dong ke(ナム・ヨン・ケー)と出会った時の話

青木亮人(愛媛大学教授)

まだ同志社の大学院に在籍していた頃、奈良が近かったので折々遊びに行くことがあった。斑鳩や飛鳥、桜井の神社や史跡、遺跡を訪れることもあれば、奈良市内を何となく散策することもあった。

そんな夏の暑い日、奈良市内のアーケード商店街を歩いているとベトナム料理店があることに気付いた。店は二階にあるらしく、一階の入口にはランチメニューが置かれている。正午にさしかかる頃で、うだるように暑くなり始めていたこともあり、店で涼みながら昼食をいただこうと思い、階段を上って店に入った。

空いているテーブルに座り、汗を拭きながらメニューを見るとベトナム各地のフォーが選べるらしく、私は南部のコシのあるフォーのランチセットとベトナムビールを注文した後、冷房に当たりながら汗が引いていく快さに身を任せていた。

そんな風に涼んでいると、店内に流れる音楽が何気なく耳に入った。初めて聞く曲で、おそらくベトナム語で歌っているらしい。もちろん、歌詞は分からなかったが、旋律と女性のコーラスが印象的だ。しばらく聴いていると、なかなかいい曲だった。

やがてランチがテーブルに運ばれてきて、ビールを飲みながらフォーを食している時も、同じグループの歌が流れている。アルバムを流しているのか、共通したアレンジの曲で、やはり耳に残る旋律だった。

私は次第にグループ名が知りたくなり、お店の方にBGMの曲をうかがってみた。お店の方によると5 dong ke(ナム・ヨン・ケー)という女性グループで、ベトナムで人気のポップグループという。お店の方はCDのジャケットも持ってきてくれて、「今流れているのはこのアルバムで、いい曲が多いですよ」と笑顔で勧めてくれた。

私はそのジャケットのアルバム名をメモし、しばらくジャケットを眺めた後、お店の方にお礼を言いながら返却した。そしてビールを飲み、フォーを食しながら5 dong keの曲を聴いていた。確かにいい曲だった。

ランチとビールを済ませた頃には汗はすっかり引いており、お腹も満ちていい気分だった。レジで代金を払いながら「5 dong ke、いいですね。後でアルバムを探してみます」とお伝えすると、お店の方は「私も好きなんですよ。ぜひ」とにっこり笑った。

その後、5 dong keのアルバムをいくつか購入し、mp3プレイヤーに入れて聴くようになった。当時は大学院のドクターコースに在籍しながら中高一貫校の国語の非常勤をしており、京都市内から奈良県近くの京田辺市まで片道一時間ほどの通勤をしていたので、往復時によく聴いたものだ。

非常勤の仕事が終わった後は駅まで遠回りして帰るのが常で、30分ほどかけて散歩しながら人通りの少ない田舎道をのんびり歩いた。

晴れた日に5 dong keの澄んだアカペラを聴きながら歩いていると、仕事の嫌なことや面倒なこと、先の見えない将来をひととき忘れることができた。

夏が暑くなってくると、その頃を思い出すことがある。

そういう時は5 dong keが聴きたくなり、何曲か聴くようにしている。

下の曲は非常勤の仕事帰りによく聴いていた曲で、「Hay-Yeu-Nhau-Di」というアカペラ曲だ。


【執筆者プロフィール】
青木亮人(あおき・まこと)
昭和49年、北海道生まれ。近現代俳句研究、愛媛大学教授。著書に『近代俳句の諸相』『さくっと近代俳句入門』など。


【「趣味と写真と、ときどき俳句と」バックナンバー】

>>[#35] 俳誌に連載させてもらうようになったことについて
>>[#34] レッド・ツェッペリンとエミール・ゾラの小説
>>[#33] 台北市の迪化街
>>[#32] 『教養としての俳句』の本作り
>>[#31] ヴィヴィアン・ウエストウッドとアーガイル柄の服
>>[#30] 公園の猫たちと竹内栖鳳の「班猫」
>>[#29] スマッシング・パンプキンズと1990年代
>>[#28] 愛媛県の岩松と小野商店
>>[#27] 約48万字の本作りと体力
>>[#26-4] 愛媛県南予地方と宇和島の牛鬼(4)
>>[#26-3] 愛媛県南予地方と宇和島の牛鬼(3)
>>[#26-2] 愛媛県南予地方と宇和島の牛鬼(2)
>>[#26-1] 愛媛県南予地方と宇和島の牛鬼(1)

>>[#25] 写真の音、匂い
>>[#24] 愛媛の興居島
>>[#23] 懐かしいノラ猫たち
>>[#22] 鍛冶屋とセイウチ
>>[#21] 中国大連の猫
>>[#20] ミュンヘンの冬と初夏
>>[#19] 子猫たちのいる場所
>>[#18] チャップリン映画の愉しみ方
>>[#17] 黒色の響き
>>[#16] 秋の夜長の漢詩、古琴
>>[#15] 秋に聴きたくなる曲
>>[#14] 「流れ」について
>>[#13-4] 松山藩主松平定行公と東野、高浜虚子や今井つる女が訪れた茶屋について(4)
>>[#13-3] 松山藩主松平定行公と東野、高浜虚子や今井つる女が訪れた茶屋について(3)
>>[#13-2] 松山藩主松平定行公と東野、高浜虚子や今井つる女が訪れた茶屋について(2)
>>[#13-1] 松山藩主松平定行公と東野、高浜虚子や今井つる女が訪れた茶屋について(1)

>>[#12] 愛媛のご当地菓子
>>[#11] 異国情緒
>>[#10] 食事の場面
>>[#9] アメリカの大学とBeach Boys
>>[#8] 書きものとガムラン
>>[#7] 「何となく」の読書、シャッター
>>[#6] 落語と猫と
>>[#5] 勉強の仕方
>>[#4] 原付の上のサバトラ猫
>>[#3] Sex Pistolsを初めて聴いた時のこと
>>[#2] 猫を撮り始めたことについて
>>[#1] 「木綿のハンカチーフ」を大学授業で扱った時のこと


【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • follow us in feedly

関連記事

  1. 【第8回】ラジオ・ポクリット(ゲスト:青木亮人さん)【前編】
  2. 神保町に銀漢亭があったころ【第1回】武田禪次
  3. 【クラファン目標達成記念!】神保町に銀漢亭があったころリターンズ…
  4. 【結社推薦句】コンゲツノハイク【2022年2月分】
  5. 【連載】新しい短歌をさがして【10】服部崇
  6. 趣味と写真と、ときどき俳句と【#05】勉強の仕方
  7. 「野崎海芋のたべる歳時記」わが家のオムライス
  8. 「けふの難読俳句」【第2回】「尿」

おすすめ記事

  1. 赤福の餡べつとりと山雪解 波多野爽波【季語=雪解(春)】 
  2. かいつぶり離ればなれはいい関係 山﨑十生【季語=鳰(冬)】
  3. 神保町に銀漢亭があったころ【第59回】鈴木節子
  4. 黒鯛のけむれる方へ漕ぎ出づる 宇多喜代子【季語=黒鯛(夏)】
  5. 神保町に銀漢亭があったころ【第8回】鈴木てる緒
  6. 【読者参加型】コンゲツノハイクを読む【2023年4月分】
  7. 大空へ解き放たれし燕かな 前北かおる【季語=燕(春)】
  8. 俳句おじさん雑談系ポッドキャスト「ほぼ週刊青木堀切」【#2】
  9. 俳人・広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅【第52回】 新宿と福永耕二
  10. 俳句おじさん雑談系ポッドキャスト「ほぼ週刊青木堀切」【#3】

Pickup記事

  1. あひみての後を逆さのかいつぶり 柿本多映【季語=鳰(冬)】
  2. 少し派手いやこのくらゐ初浴衣 草間時彦【季語=初浴衣(夏)】
  3. 生前の長湯の母を待つ暮春 三橋敏雄【季語=暮春(春)】
  4. 【夏の季語】海の家
  5. 冬麗の谷人形を打ち合はせ 飯島晴子【季語=冬麗(冬)】
  6. 非常口に緑の男いつも逃げ 田川飛旅子【季語=緑(夏)?】
  7. 【連載】加島正浩「震災俳句を読み直す」第3回
  8. ハナニアラシノタトヘモアルゾ  「サヨナラ」ダケガ人生ダ 井伏鱒二
  9. 春を待つこころに鳥がゐて動く 八田木枯【季語=春を待つ(冬)】
  10. 【冬の季語】雪降る
PAGE TOP