広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅

俳人・広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅【番外−3】 広島と西東三鬼


【番外−3】
広島と西東三鬼

広渡敬雄(「沖」「塔の会」)


広島市は、県の南西部にあり、中央を太田川が流れる。戦国時代に毛利輝元が治め、江戸時代に福島、浅野氏が統治し明治に至り、日清戦争以来「軍都」として繁栄したが、昭和20年8月6日、史上初の原子爆弾の投下を受け一瞬に壊滅し、20数万人の犠牲者出した。爆心地には平和公園があり、慰霊碑、原爆ドーム、平和記念資料館がある。

原爆ドーム(広島市観光協会)

  

広島や卵食ふ時口ひらく       西東三鬼

生きながら腐りゆく身を蛆に任す   釜我半夜月

瞬間に彎曲の鉄寒曝し        山口誓子

廃墟すぎて蜻蛉の群れを眺めやる   原 民喜

薔薇に立つ過ちは誰が過ちぞ     加藤楸邨

音楽を降らしめよ夥しき蝶に (慰霊碑) 藤田湘子

折鶴は角が命や雪激し (原爆の子の像)  松野苑子

広島忌熱砂の上を土踏まず      若井新一

卵黄を舌もて崩すヒロシマ忌     鳥居真里子

左手のかつてにひらく原爆忌(一家殆ど罹災)堀田季何

〈広島〉の句は、「全句集」補遺(「三鬼百句」にも)に収録。昭和22年所用で、江田島に渡った帰り、夜立ち寄った広島での作品「有名なる街」九句の一句だが、句集には収録されていない。原爆被害報道に神経を尖らせていた当時の占領当局が俳句雑誌を検閲し、連作の幾つかを削除させたとも伝わる。自註に「一昨年の夏に、火となった路傍の石に腰かけ、茹で卵を取り出しゆっくりと皮をむき、ツルリと滑らかな卵を食うために初めて口を開く」とある。

「「原爆忌」とせず、「広島や」としたのが眼目。中七下五で描く日常の何気ない所作にも、ムンクの「叫び」図に似た恐ろしさが生まれた」(鷹羽狩行)、「広島の惨状を目にした三鬼は言葉を呑み込み、ただ沈黙するしかなかった。だが、ようやく口を開く。それを語るためでない。一個の茹で卵を食べるために。この句の迫真性を共有、もしくは想像できる日本人はもはや少数派かも知れない」(日経新聞・春秋)の鑑賞がある。「自註は置いて、被爆者が貴重な卵を黙々と機械的に食べるために口を開く動作が、世界初の原爆被爆地広島と結びついた時、圧倒的な強さで読者の心を揺さぶる」との意見もある。 

原爆死没者慰霊碑

西東三鬼は、明治33(1900)年岡山県津山市生れ、本名斎藤敬直。父は代々藩の漢学者の家系で、小学校長、郡視学を歴任した。六歳で父を、十八歳で母を亡くし、日本郵船勤務の長兄の庇護のもと、青山学院中学部を経て大正14(1925)年、日本歯科医学専門学校を卒業。同年結婚して、長兄在勤のシンガポールで歯科診療所を開院し、ゴルフや中近東の友人との交遊等、自由な暮しを送っていたが、日貨排斥不況とチフス罹病で帰国。神田共立病院歯科部長時代(33歳)に俳句を始めた。 

新興俳句勃興期でもあり、寝食を忘れて句作に没頭。昭和10(1935)年には同人誌「扉」創刊、平畑静塔の勧めで「京大俳句」にも加入し、戦争等をテーマにした無季俳句に傾注した。同15(1940)年2月には、静塔、仁智栄坊、井上白文地等、5月には、三谷昭、石橋辰之助、渡辺白泉等が、治安維持法違反で検挙された(京大俳句事件)の時も、「天香」を創刊し、第一句集『旗』を上梓したが、8月31日に、自身も検挙され、句作執筆禁止を条件に起訴猶予となる。その二年後の昭和17年、妻子を捨て東京を出奔。単身神戸に移り、戦後同22年、石田波郷、神田秀夫と「現代俳句協会」を創設。山口誓子の「天狼」創刊同人(編集長)として活躍し、同23年には第二句集『夜の桃』、同27(1952)年には、第三句集『今日』と旺盛な創作活動に加え、「断崖」を創刊し主宰となった。同31年、「俳句」編集長就任のため上京。「俳人協会設立」にも参加したが、第四句集『変身』上梓後の同37(1962)年四月一日、胃癌にて逝去。

享年62歳。忌日は三鬼忌として定着している。

『変身』は第2回俳人協会賞を受賞。同46年には、『西東三鬼全句集』が刊行され、平成5年、出身地に西東三鬼賞が創設された。俳号の西東は本名の斎藤、三鬼は「サンキュー」を捩り、ユーモアとペーソスに溢れる俳人。

広島平和記念資料館(広島市観光協会)

「三鬼には、初めから青春性がなく、日本語が保っている伝統の影に惹かれない最も特異な俳人」(山本健吉)、「伝統に抵抗するとともに、伝統に抵抗する自分にも抵抗する。時には自分の育てた後輩にも抵抗する」(山口誓子)、「初期から特定の師につこうとせず、爾来何事も特定の師系に拘束されない俳人として貫徹した」(直弟子の三橋敏雄)、「日本のハードボイルド小説の名作『神戸・続神戸』、三鬼は俳壇という静かな池に闖入したやんちゃ坊主であり、池全体に新しい活力を与えた」(小林恭二)等々の鑑賞がある。

水枕ガバリと寒い海がある

白馬を少女瀆れて下りにけむ

算術の少年しのび泣けり夏

緑陰に三人の老婆わらへりき

葡萄あまししづかに友の死をしかる(篠原鳳作逝去)

露人ワシコフ叫びて石榴打ち落す  

昇降機しづかに雷の夜を昇る(治安維持法違反と曲解の句)

おそるべき君等の乳房夏来る

枯蓮のうごく時きてみなうごく

まくなぎの阿鼻叫喚をふりかぶる

赤き火事哄笑せしが今日黒し

限りなく降る雪何をもたらすや

穴掘りの脳天が見え雪ちらつく

炎天の犬捕り低く唄ひ出す

暗く暑く大群集と花火待つ

中年や遠くみのれる夜の桃

父のごとき夏雲立てり津山なり

秋の暮大魚の骨を海が引く

春を病み松の根つ子も見あきたり(辞世)

俳句スタートは33歳で、一歳下の既に名をなしていた誓子、草田男、草城等の「ホトトギス」の俊英を凌ぐために、新素材・戦争想望等の新興俳句に意欲的に取り組んだ。十七文字の魔術師と言われ、自由奔放に見えるも、戦後は人間の悲しみを徐々に浮かび上がらせる俳句群。それ故に永遠に我々を引き付け、虜にするのではあるまいか。  

(書き下ろし)


【執筆者プロフィール】
広渡敬雄(ひろわたり・たかお)
1951年福岡県生まれ。句集『遠賀川』『ライカ』(ふらんす堂)『間取図』(角川書店)。『脚注名句シリーズⅡ・5能村登四郎集』(共著)。2012年、年第58回角川俳句賞受賞。2017年、千葉県俳句大賞準賞。「沖」蒼芒集同人。俳人協会会員。日本文藝家協会会員。「塔の会」幹事。著書に『俳句で巡る日本の樹木50選』(本阿弥書店)。


<バックナンバー一覧>

【番外ー2】足摺岬と松本たかし
【第55回】甲府盆地と福田甲子雄
【第54回】宗谷海峡と山口誓子
【番外ー1】網走と臼田亞浪
【第53回】秋篠寺と稲畑汀子
【第52回】新宿と福永耕二
【第51回】軽井沢と堀口星眠
【第50回】黒部峡谷と福田蓼汀
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【第2回】大磯鴫立庵と草間時彦
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