広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅

俳人・広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅【第49回】 小田原と藤田湘子

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【第49回】
小田原と藤田湘子

広渡敬雄(「沖」「塔の会」)


小田原は神奈川県の南西部にあり、相模湾を望む。戦国期北条氏四代がここを拠点に関東を支配したが、豊臣秀吉の小田原攻めで滅亡。江戸時代には譜代大久保氏が、軍事・交通の要として治め、市内栢山(かやま)は二宮尊徳の生誕地。北東部の曽我丘陵は梅林が名高く、箱根駅伝では箱根の山登り、山下りの中継地。小田原城、小田原宿は観光客で賑い、小田原提灯、蒲鉾、蜜柑が名産で、小田原文学館には北村透谷、北原白秋、藤田湘子等の資料が展示されている。

小田原文学館・藤田湘子コーナー

愛されずして沖遠く泳ぐなり  藤田湘子

城に来て緑陰しづかなるところ 村山古郷

索道はみな海に向き蜜柑山   田辺ふゆ

山かけて梅の林や曽我の里   高浜虚子

乳母車夏の怒濤によこむきに  橋本多佳子(御幸の浜)

異国めく夏雲を負ひ尊徳碑   葛西照雄

万緑や海へ出て濤酒匂川    森 澄雄

しのび音に鳴る冬竹も古戦場  桂樟蹊子(石橋山・源頼朝)

〈愛されず〉は、昭和二十七年作、第一句集『途上』収録。「泳ぐことは少年期から青年期へかけて、私の最大で最高の愉しみであった」と『自作ノート』に記す。小田原文学館に没後十年の平成二十七年に句碑が建立された。

「愛されず」句碑

「師秋櫻子への愛情が成就しなかったという淋しさは終生心から消えることはなかった。師恋いの心が深く無垢で含羞の俳人」(野中亮介)、「作者の個人的事情・情況を超えて、青春の孤独そのものを表現し、読者を惹きつけてやまない」(倉橋羊村)、「故郷小田原の御幸の浜。ナルシズムの自己陶酔とは明らかに違う。湘子の青年像、人恋しさ、人なつかしさに似た思いが伝わってくる」(榎本好宏)等の評があり、自身も、師秋櫻子との疎外感に苛まれた時期と述べる。間違いなく小田原・御幸の浜の原風景が背景にある。

小田原御幸の浜

藤田湘子は、大正十五(一九二六)年、神奈川県小田原市生れ、本名良久。戦中昭和十八年(一九四三)、「馬酔木」初投句。工学院工専(現工学院大学)に入学するも空襲で都内を転々し、召集後終戦で除隊、鉄道省東京鉄道教習所熱海分教所(後の国鉄)に勤務。同二十二年「馬酔木」復刊記念大会で、水原秋櫻子と会い特選。同二十三年には能村登四郎と共に馬酔木新人賞受賞。同三十年、二十九歳で編集次長となり、石田波郷の「若さが自然に句を作す、才質と方法の自然な一致が湘子俳句の特長」の跋文の第一句集『途上』上梓。翌々年「馬酔木」編集長となり、国鉄本社広報部勤務となる(退職まで二十二年間在職)。

同三十九(一九六四)年、「鷹」創刊、代表同人になるも、秋櫻子の忌諱に触れて、編集長辞任後の同四十三年「鷹」主宰となる。現代俳句協会入会後、同五十年には同幹事長、その間に句集『雲の流域』『白面』『狩人』を上梓。

小田原城天守閣

同五十八(一九八三)年から「一日十句」を開始し、一日も休まず足掛け四年続け、作句総数一万一千百七句。「蛇笏賞」「俳句研究賞」選考委員となり、『実作俳句入門』」も刊行した。同六十二(一九八七)年には、鈴木真砂女の「卯波」で超結社の席題句会「月曜会」を開始(メンバー:飯島晴子、黒田杏子、三橋敏雄、阿部完市、上田五千石、中原道夫、星野椿、星野高士、有馬朗人等)、「鷹」誌上で「二物衝動」の重視を表明し、平成十二(二〇〇〇)年、句集『神楽』で詩歌文学館賞受賞。同十七(二〇〇五)四月十五日逝去、享年七十九歳。「鷹」主宰は小川軽舟が継承。飯島晴子、倉橋羊村、遠山陽子、永島靖子、神尾季羊、宮坂静生、星野石雀、山地春眠子、小澤實、四ッ谷龍、辻桃子、小林貴子、岩永佐保、菅原鬨也、奥坂まや、中西夕紀、加藤静夫、辻内京子、高柳克弘等、「鷹」を去った俳人も含め錚々たる俳人を育てた。

小田原宿と蒲鉾屋

「昭和四十年代に急増した俳誌誕生の先駆的な一人として、俳壇のリーダーとしての存在感があった」(宇多喜代子)、「湘子俳句の軌跡は、伝統から社会性、前衛まで戦後俳句の全領域に等しい程広範に及ぶ。一貫しているのは、俳句の韻文性で、この信念が全句集を山脈の様に貫く」(小川軽舟)、「湘子の野心、男の心、雄心が印象的で、強く確実で着々と前進した」(阿部完市)、「湘子の後半は、自己に執することで、至近距離の物から滑稽味を引き出し、花鳥を美化することも、己が空じられることもない俗そのままの中で、自在になる術を得た。俳句史的役割とは、俳句大衆化時代の名コーチである」(関悦史)等々の評がある。

引鴨に一夜の雪や前白根 (奥日光)

雁ゆきてまた夕空をしたたらす

あてどなく急げる蝶に似たらずや

逢ひにゆく八十八夜の雨の坂

音楽を降らしめよ夥しき蝶に  (わが祈り)

闘争歌ジャケツがつゝむ乙女の咽喉 (砂川)

柿若葉多忙を口実となすな

口笛ひゆうとゴツホ死にたるは夏か

枯山に鳥突きあたる夢の後   

七月や雨脚を見て門司にあり

筍や雨粒ひとつふたつ百

水母より西へ行かむと()ひしのみ

揚羽より速し吉野の女学生

うすらひは深山へかへる花の如

月明の一痕としてわが歩む

巣立鳥明眸すでに岳を得つ

椎の実が降るはればれと愛されよ (娘へ)

ひぐらしの(かた)へ行かうといつも思ふ

日本に松と縄あり初詣

湯豆腐や死後に褒められようと思ふ

天近き田も水足らひほととぎす

あめんぼと雨とあめんぼと雨と

天山の夕空も見ず鷹老いぬ

春夕好きな言葉を呼びあつめ

死ぬ朝は野にあかがねの鐘鳴らむ 辞世(無季)

自身の俳句がどういう流れを経て今ここにあるか、を常に考え、厳しい師弟関係を旨として、俳壇へ多彩な優秀な俳人を送り出した出色の俳人である。

(「たかんな」令和4年年7月号 加筆再構成)


【執筆者プロフィール】
広渡敬雄(ひろわたり・たかお)
1951年福岡県生まれ。句集『遠賀川』『ライカ』(ふらんす堂)『間取図』(角川書店)。『脚注名句シリーズⅡ・5能村登四郎集』(共著)。2012年、年第58回角川俳句賞受賞。2017年、千葉県俳句大賞準賞。「沖」蒼芒集同人。俳人協会幹事。「塔の会」幹事。著書に『俳句で巡る日本の樹木50選』(本阿弥書店)。


<バックナンバー一覧>

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【第47回】房総・鹿野山と渡辺水巴
【第46回】但馬豊岡と京極杞陽
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