広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅

俳人・広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅【番外ー5】 北九州市・八幡と山口誓子


【番外ー5】
北九州市・八幡と山口誓子

広渡敬雄(「沖」「塔の会」)


八幡市は昭和三十八(一九六三)年、門司、小倉、戸畑、若松の四市と合併して百万都市となり、政令都市の北九州市となった。明治三十四(一九〇一)年、官営八幡製鉄所が創設される迄の一寒村は、日本の鉄鋼業を牽引する「鉄都」として繁栄。煙害や鉄鋼不況の危機も乗り越え、敷地の一部は宇宙のテーマパークの「スペースワールドと」なったが、その後惜しまれつつ閉園した。背後に聳える皿倉山の中腹まで人家が延び、「新日本三大夜景」となった山頂からの展望は素晴らしく、北九州全域のみならず、関門海峡越しに下関を始め中国地方の夜景が望める。

皿倉山よりの展望(八幡市街、製鉄所、洞海湾、響灘)(写真提供 公益社団法人 北九州観光協会)

 七月の青嶺まぢかく熔鉱炉     山口誓子

 朝顔や濁り初めたる市の空     杉田久女

 雪霏々と舷梯のぼる眸ぬれたり   横山白虹

 列車後尾に火を噴く高炉ここが別れ 金子兜太

 夕焼けが消えれば高炉に染まる街  疋田芳一

 工煙の幾筋のぼり去年今年     檜 紀代

 石楠花に登山の息を静めたり    岡部六弥太

 裏山のほうと椿の口あける     穴井 太

「七月の」句は、山口誓子が入社した翌年の昭和二年、九州出張で、住友の炭鉱や八幡製鉄所を見学した折の作で、句集『凍港』に収録。自選自解には、「熔鉱炉は製鉄所の心臓部で巨大な塔であった。真紅な火を流出しひどい熱気だった。外に出た私は、製鉄所の南に聳える青嶺をじつに美しいと見た。そしてそれを『七月の青嶺』と表現せずにはいられなかった。当初の〈溶鉱炉出づれば青嶺近く見ゆ〉を推敲し、美しい七月の青嶺と溶鉱炉を対照させ、お互いに響きあわせた」とある。

官営八幡製鉄所高炉(写真提供 公益社団法人 北九州観光協会)

平成三年から七年まで当地にすごした筆者の胸にも、毎日仰ぎ見た皿倉山の青々とした山容が刻まれている。

近くの高炉台公園には、誓子・白虹の上記の句を刻んだ句碑が昭和四十八年七月に建立されており、皿倉山、旧高炉が一望できる。「灼熱の熔鉱炉と生気に満ちた青嶺の衝撃の知的喚起に『熔鉱炉』の根源が問われる」(高橋正子)、「虚子の唱導する『花鳥諷詠』から違和感を抱き始めていた誓子俳句の大きな変貌の起点となる句」(角谷昌子)、「都市生活からの新素材の開拓と近代的感覚の導入がめざましい(宗田安正)との評がある。

横山白虹 山口誓子句碑(高炉台公園)(写真提供 公益社団法人 北九州観光協会)

誓子は明治三十四(一九〇一)年、京都生れ。本名新比(ちかひ)誓子は明治三十四(一九〇一)年、京都生れ。本名新比(ちかひ)古(ちかひこ)。家庭の事情で明治四十五年、外祖父で樺太日日新聞社長の脇田嘉一に迎えられ樺太・大泊で五年間すごした後、京都に戻り第三高等学校に入学。日野草城らの「京大三高俳句会」に出席。「ホトトギス」にも投句を開始した。大正十一(一九二二)年、初めて虚子に会い、俳号を「誓子(ちかひこ)(ちかひこ)」から「誓子(せいし)(せいし)」と改めた。東京帝国大学法学部入学後は東大俳句会にも出席。同十三年十月号で「ホトトギス」初巻頭。

官営八幡製鉄所本社(写真提供 公益社団法人 北九州観光協会)

肺尖カタルで高文受験を止め、一年間の休学後、同十五年に大阪住友合資会社に入社。翌年には「ホトトギス」課題選者になり、水原秋櫻子、高野素十、阿波野青畝と共に4Sと称された。昭和三年に浅井梅子(波津女)と結婚。同七年には近代俳句の黎明と言われ、虚子の「今の俳句界の誓子君を待つところのものは多大で、辺塞に武を(や)る征虜大将軍」との最大の賛辞序文の処女句集『凍港』を上梓した。

同九年には、満州にも長期出張し、〈玄海の冬浪を大と見て寝ねき〉〈ただ見る起き伏し枯野の起き伏し〉〈陵さむく日月空に照らしあふ〉〈掌に枯野の低き日を愛づる〉等の句を発表している。

同十(一九三五)年、秋櫻子と共に「ホトトギス」を離れ「馬酔木」に参加。近代的素材を取り上げ、硬質な叙情句を開拓し、新興俳句運動の旗手を担う。但し、無季俳句とは一線を画した。同十三年には体調を崩し、会社を長期欠席する。四年後に会社を退職し、療養と俳句に専念。伊勢・富田や四日市の天ケ須賀海岸に住む。

皿倉山よりの夜景(写真提供 公益社団法人 北九州観光協会)

同二十三(一九四八)年には「天狼」を創刊主宰。西東三鬼、秋元不死男、平畑静塔、橋本多佳子、永田耕衣、津田清子、三橋敏雄、鈴木六林男、八田木枯等の俊英が参集し、「根源俳句」を訴求し、戦後俳句で脚光を浴びた。永年「朝日俳壇」選者を務め、芸術院賞、文化功労者顕彰。

ソ連崩壊後の平成四(一九九二)年サハリンを再び踏み、同五年、「天狼」を終刊し、翌年三月二十六日、九十二歳で逝去。阪神淡路大震災で倒壊した旧宅を復元した神戸大学内の山口誓子記念館に、関連資料、蔵書が陳列され、<虹の環を以て地上のものかこむ〉(誓子)、〈毛糸編み来世も夫にかく編まん〉(波津女)の句碑がある。

句集は、『凍港』『黄旗』『激浪』『断崖』等二十二句集。他に山口誓子全集十巻、自選句集等がある。

八幡駅から皿倉山(写真提供 公益社団法人 北九州観光協会)

「昭和俳人で確実に幾百年後の俳句史に残ると断定できるのは誓子一人である」(小西甚一)、「誓子俳句には絵画的構成があり、絵画に対する深い理解がある」(水原秋櫻子)、「秋櫻子は、短歌的、抒情的、詠歎的、誓子は構成的、知的、即物的であるが、その調べや叙法は共通点があり、共に従来の寂、しおり等の古い俳句臭と袂別し、大胆に新しい近代的スタイルを樹立した」(山本建吉)、「誓子俳句は独自性を帯びて居り、ダイアローグ(対話となり難い)」(平畑静塔)、「詩精神は韻文のそれではなく、散文精神に立脚するー詩人誓子」(清水径子)「即物的で知的でしかも非常な冬の「無」を通して、「無限」な表現をかち得た「冬の作家」」(鷹羽狩行)、「戦中の偽装転向的句業への戦後の心の葛藤に心が痛む」(戸恒東人)等の評がある。

流氷や宗谷の門波荒れやまず    『凍港』

学問のさびしさに堪へ炭をつぐ

匙なめて童たのしも夏氷

かりかりと蟷螂蜂の皃を食む

スケートの紐むすぶ間も逸りつつ

夏草に汽罐車の車輪来て止る    『黄旗』

ピストルがプールの硬き面にひびき 『炎昼』

夏の河赤き鉄鎖のはし浸る

ひとり膝を抱けば秋風また秋風   『七曜』

蟋蟀が深き地中を覗き込む

麗しき春の七曜またはじまる  

つきぬけて天上の紺曼珠沙華

城を出て落花一片いまもとぶ    『激浪』 

殻の渦しだいにはやき蝸牛

海に出て木枯帰るところなし    『遠星』

せりせりと薄氷杖のなすまゝに

土堤を外れ枯野の犬となりゆけり

炎天の遠き帆やわがこころの帆

鶫死して翅拡ぐるに任せたり

夕焼けて西の十万億土透く     『晩刻』

波にのり波にのり鵜のさびしさは  『青女』

蛍獲て少年の指みどりなり

悲しさの極みに誰か枯木折る

海に鴨発砲直前かも知れず    『和服』

虹の輪を以て地上のものかこむ

冬河に新聞全紙浸り浮く     『方位』

美しき距離白鷺が蝶に見ゆ    『青銅』

日本がここに集る初詣   

修二会見る桟女人の眼女人の眼

幼少の頃より、両親との別離、母の自殺等が原体験として誓子の心に深く根ざしていた。夫人との愛情豊かな暮らしの反面子供には恵まれず、重ねて健康を損ない栄進の道を閉ざされた。更に、空襲や台風で二度自宅が焼失損壊する等に因り、ヒューマンなものより無感動で即物的な句が大半を占めるが、現代俳句の最高峰たることに異論はない。 

(書き下ろし)


【執筆者プロフィール】
広渡敬雄(ひろわたり・たかお)
1951年福岡県生まれ。句集『遠賀川』『ライカ』(ふらんす堂)『間取図』(角川書店)。『脚注名句シリーズⅡ・5能村登四郎集』(共著)。2012年、年第58回角川俳句賞受賞。2017年、千葉県俳句大賞準賞。「沖」蒼芒集同人。俳人協会会員。日本文藝家協会会員。「塔の会」幹事。著書に『俳句で巡る日本の樹木50選』(本阿弥書店)。


<バックナンバー一覧>

【第66回】秩父・長瀞と馬場移公子
【番外―4】 奥武蔵・山毛欅峠と石田波郷
【第65回】福岡と竹下しづの女
【第64回】富山と角川源義
【第63回】摂津と桂信子
【第62回】佐渡と岸田稚魚
【第61回】石鎚山と石田波郷
【第60回】貴船と波多野爽波

【第59回】宇都宮と平畑静塔
【第58回】秩父と金子兜太
【第57回】隠岐と加藤楸邨
【第56回】 白川郷と能村登四郎
【番外ー3】広島と西東三鬼
【番外ー2】足摺岬と松本たかし
【第55回】甲府盆地と福田甲子雄
【第54回】宗谷海峡と山口誓子
【番外ー1】網走と臼田亞浪
【第53回】秋篠寺と稲畑汀子
【第52回】新宿と福永耕二
【第51回】軽井沢と堀口星眠
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【第37回】龍安寺と高野素十
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【第33回】葛城山と阿波野青畝
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【第31回】田園調布と安住敦
【第30回】暗峠と橋閒石

【第29回】横浜と大野林火
【第28回】草津と村越化石
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【第26回】小豆島と尾崎放哉
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【第20回】遠賀川と野見山朱鳥
【第19回】平泉と有馬朗人
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【第16回】鹿児島県出水と鍵和田秞子
【第15回】能登と飴山實
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【第11回】三田と清崎敏郎


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【第5回】隅田川と富田木歩
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【第3回】葛飾と岡本眸
【第2回】大磯鴫立庵と草間時彦
【第1回】吉野と大峯あきら



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