広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅

俳人・広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅【第65回】 福岡と竹下しづの女


【第65回】
福岡と竹下しづの女

広渡敬雄(「沖」「塔の会」)


福岡市は、旧国・筑紫の県北西部に位置し、玄海灘を望む県庁所在地。

市の中央の那珂川を境に東の商人の町博多と、西の黒田藩五十二万石城下町の福岡よりなる。古代より大宰府の外交施設の鴻臚館があり、明宋との貿易でも栄えた。

シーサイドももち海浜公園(福岡市公式シティーガイド)

博多地区には、格式高い香椎宮、九州大学(現在は前原地区に移転)、元寇の際に亀山上皇が国家安泰を祈願した日本三大八幡の筥崎宮、博多山笠の櫛田宮があり、博多織、博多人形・博多どんたくも知られる。

福岡地区には黒田節の福岡城址、その西濠だった大濠公園や白魚漁の室見川がある。

芝不器男は、病を得て九州大学病院に入院し、主治医で「天の川」編集長横山白虹(後「自鳴鐘」創刊主宰)のもと治療に努めたが、当地で没した。

博多山笠(福岡観光コンベンションビューロー)

竹下しづの女が住んだ借家時代の住吉、蓑島や夫の農学校校長時代の長者原官舎は博多地区にあり、新築の自宅があった大濠公園近くの浜田町(現草香江)は福岡地区にある。

短夜や乳ぜり泣く児を須可捨焉乎(すてつちまをか)   竹下しづの女

鯖雲や大神風のこと語る (筥崎宮) 河野 静雲

往還や祭の水の荒使ひ (櫛田宮)  伊藤 通明

晩涼の橋一つあり渡りけり      吉岡禅寺洞

どんたくは囃しながらにあるくなり  橋本鶏二

人形買ふ博多泊りの春の宵      土井水明

繭玉に寝がての腕あげにけり     芝 不器男

天籟の下古城趾の花に病む      野見山朱鳥

筑紫野に雲はやき日の白魚簗     横山 白虹

玄海に烽の道や黄沙来る       柴田佐知子

料峭の窓を灯して白魚鍋       広渡敬雄

〈短夜や〉の句は、大正九(一九二〇)年の作で、句集『颯』に収録。「家事で疲れ、乳の出ない折の火のつくような児の泣に『エツ。ウルサイ。』という瞬間の表現、正気に目覚めると可愛いゝ児が泣いている」との自註がある。

「大変な女流俳人の出現、俳壇にセンセイションを巻き起こした」(阿部みどり女)、「強い表現の中での深い嘆きだが、愛情に基づく滑稽が救いである」(小島健)、「近代的自我に目覚めた女性で、愛情深い主のしづの女が、こなしきれない家事に忙殺されての嘘偽りのない本心」(坂本宮尾)との鑑賞がある。

昭和五十四(一九七九)年、行橋市により、生地に「緑陰や矢を獲ては鳴る白き的」の句碑が建立された。

竹下しづの女句碑(行橋市中川)

しづの女は、明治二十(一八八七)年、福岡県京都郡稗田村(現行橋市)の地主の家に生れる。少女期より漢詩、古典を学び、福岡県女子師範学校本科卒業後、小学校、師範学校の訓導(教師)を経て、同郷の福岡農学校教諭水口伴蔵と結婚(婿養子縁組)し二男三女を育てる。 大正八(一九一九)年、三十二歳で「天の川」主宰吉岡禅寺洞に師事し俳句を始める。

翌年入会四か月にて、〈短夜や〉の句等七句で「ホトトギス」初巻頭。女性では、沢田はぎ女に次ぎ二人目の快挙だった。その後、育児や俳句の主観・季の問題の悩みで中断。昭和二(一九二七)年再開後、日野草城、杉田久女、横山白虹、久保より江、河野静雲等の俳人と交流し、同六年には虚子選日本新名勝俳句で銀賞入選した。

同八年、粕屋農学校校長の夫伴蔵が四十八歳で急逝。翌九年図書館出納手として働き、遺児の養育に注力しつつ「ホトトギス」同人となる。

同十年には〈緑陰や矢を獲ては鳴る白き的〉で二度目の「ホトトギス」巻頭となり、不動の地位を築いた。長男龍骨が九州帝大に入学後創刊した学生俳句連盟機関誌「成層圏」で、中村草田男と共に顧問として、金子兜太、香西照雄、出沢柵太郎等の若き俳人を指導育成したが、京大俳句事件の影響で以後休刊した。

同十五年には虚子の序句〈女手のをゝしき名なり矢筈草〉を得た第一句集『颯』を上梓した。

終戦直前には最愛の長男龍骨を結核で亡くし、故郷稗田村で粗末な家を建てて農耕に従事して家族の食糧を確保した。高血圧、糖尿病と慣れぬ農作業で衰弱し、同二十六(一九五一)年、逝去。享年六十四歳。「女丈夫型の俳人でその句には異彩あり」と虚子は悼んだ。逝去後、次男竹下健次郎編『解説 しづの女句文集』、香西照雄編『定本 竹下しづの女句文集』が刊行された。

中洲の夜景(福岡市公式シティガイド)

「情念の久女、理智のしづの女と個性は対蹠的だが、共に女性の立場を男性に従属させる意味での女らしさを拒絶し、男性との人間として平等関係を自覚していたことは共通している」(金子兜太)、「姉御の荒魂は魅力があったが、彼女の生涯又は俳句には後進国の先駆的な女性としての宿命的な悲劇をまざまざと見ることが出来る」(香西照雄)、「自身の運命を背負い歯を食いしばって弱音を吐かずに生き、女性として又創作者としての矜持を見る」(西村和子)、「虚子の提唱した穏やかで情緒豊かな、いわゆる女らしい女性俳句の枠をはみ出し、客観写生が提唱されていた『ホトトギス』で近代的自我に目覚めた女流俳人として、情に寄りかからない知の句、又地に足をついた生活者としての句のあり方を模索すると共に俳句の詩型に主観を盛り込むことで俳句領域の拡大を積極的に試し続けた」(坂本宮尾)等々の評がある。 

乳啣ます事にのみ我が春ぞ行く

三井銀行の扉の秋風の衝いて出し

日を追はぬ大向日葵となりにけり

子をおもふ憶良の歌や蓬餅

鮓おすや貧窮問答口吟み

化粧(けは)ふれば女は湯ざめ知らぬなり

ことごとく夫の遺筆や種子袋

汗臭き鈍の男の群に伍す

紅塵を吸うて肉とす五月鯉 

たゞならぬ世に待たれ居て卒業す

たゝまれてあるとき妖し紅ショール

寮の子に樗よ花をこぼすなよ  (次郎健次郎七高入学)

女人高邁芝青きゆゑ蟹は紅く

征く吾子に月明の茄子挘ぎ炊ぐ(次男健次郎に応召礼状)

子といくは亡き夫といく月真澄

孤り棲む埋火の美のきはまれり

吾が米を警吏が量る警吏へ雪

米提げてもどる独りの天の川

銀の爪くれなゐの爪猫柳

欲りて世になきもの欲れと青葉木菟

知性、理性と九州男児同様の心意気・気骨に加え、豊かな母性で家族を愛した俳人で、俳風はホトトギス本流とは異なるものの虚子に愛された。血気溢れる青年俳人からも慕われるしづの女の様な肝っ玉が大きい姉御タイプの俳人は、現在はいないし、今後現れることはないだろう。心血を注いで「成層圏」を設立し守り育てた長男龍骨は掛替えのない俳句の同志だった。

(「青垣」四十九号加筆再校正)

大濠公園(福岡市公式シティガイド)


【執筆者プロフィール】
広渡敬雄(ひろわたり・たかお)
1951年福岡県生まれ。句集『遠賀川』『ライカ』(ふらんす堂)『間取図』(角川書店)。『脚注名句シリーズⅡ・5能村登四郎集』(共著)。2012年、年第58回角川俳句賞受賞。2017年、千葉県俳句大賞準賞。「沖」蒼芒集同人。俳人協会会員。日本文藝家協会会員。「塔の会」幹事。著書に『俳句で巡る日本の樹木50選』(本阿弥書店)。


<バックナンバー一覧>

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【第63回】摂津と桂信子
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