俳人・広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅【第64回】 富山と角川源義


【第64回】
富山と角川源義

広渡敬雄(「沖」「塔の会」)


富山県は旧越中国で、奈良時代には大伴家持が国守(越中守)として五年間在国した。三千㍍峰立山は山岳信仰(神仏習合の立山信仰)の霊地である。庄川、神通川、常願寺川、黒部川等の流域は、肥沃な土壌の穀倉地帯で、又寒流・暖流の流れ込む富山湾は魚の宝庫で、氷見鰤、蛍烏賊が名高い。雪解けの豊かな水流を活用した電源開発も盛んで、江戸時代からの売薬業も知られ、四、五月に、魚津沖では蜃気楼が見られる。

蛍烏賊漁(富山県ほたるいか協会)

父祖の地や蜻蛉は赤き身をたるる  角川源義

立山の其の連峰の雪解水      高浜虚子

秋立つや富山へ帰る薬売      寺田寅彦

鰤網を越す大浪の見えにけり    前田普羅

ふるさとは越のなか国盆の月    大橋越央子

をやみなき雪を(つる)()の夕あかり   金尾梅の門

源義の住みし家より初つばめ    上野たかし

雪晴の越中訛なつかしき      清崎敏郎

落鮎の常願寺川まくらがり     森 澄雄

しばらくは恋めくこころ蜃気楼   岡本 眸

真夜中の港を煌と蛍烏賊(滑川港) 菖蒲あや

雪形の定まり来たる牧開く(滑川・東福寺野) 三村純也

沖遠く鐘の塔あり蜃気楼      宮田 勝

〈父祖の地〉の句は昭和27年の作、第一句集『ロダンの首』に収録。5月に永眠した父の初盆で帰省した折の〈盆の海親知らず子知らず陽の没るよ)も含む「盆の海」連作の一句で、富山市旧水橋郷土史料館に句碑がある。「私にも、父にはそれ以上に父祖の地が非常に大きな存在。人間は生まれた土地に帰るのだ、その地で死にたいとの気持ちの表れである」との長女辺見じゅんは述べ、「郷里への限りない愛着をこの一句に託している」と「河」同人会が句碑説明板に記す。

富山市旧水橋郷土史料館前庭の角川源義句碑

源義は、大正6(1917)年、常願寺川畔の富山県新川郡水橋町(現富山市)生まれ、父は粉骨砕身の努力で北陸随一の米穀問屋を営んでいた。神通中学校(現富山中部高校)時代から俳句に興味を持ち、国学院大学国文学科では、折口信夫、武田祐吉の指導を受けた。

太平洋戦争時には繰り上げ卒業し、金沢輜重隊に入隊、戦後復員後中学教師に復職するも辞任し、昭和20(1945)年11月、28歳で角川書店を設立した。

国定公園雨晴海岸より剣岳、立山(富山観光ナビ)

富山の俳誌「古志」(金尾梅の門主宰)の幹部同人として参加、その後飯田蛇笏、西東三鬼、石川桂郎、山本健吉等々と交流し、同27年六月、高浜虚子の〈登山する健脚なれど心せよ〉の祝句を拝して、俳句総合誌『俳句』を創刊した。『昭和文学全集』等全集ブームを引き起こして昭和出版史上不滅の足跡を残し、社運を隆盛に導きつつ、同29年には若手俳人登竜門として「角川俳句賞」を設立した。

翌年石田波郷跋文の第一句集『ロダンの首』を上梓、同33(1958)年には、伝統の尊重と抒情性の恢復を旗印に俳誌「河」を創刊主宰した。社業に励む傍ら、著名俳人と全国各地を精力的に旅し、次々に句集を上梓、論文『語り物文芸の発生』では文学博士の学位を授与された。

昭和42(1967)年には俳壇で最も権威のある「蛇笏賞」を設立、同48年には俳句文学館設立委員長となるも、18歳の愛娘真理の自殺へのショックと肝臓癌で、同50(1975)年10月27日、逝去。享年五十八歳。

忌日は、「秋燕忌」と名付けられ、墓は小平霊園にある。

蜃気楼(蜃気楼展望地点 魚津市観光サイト)

同年11月刊行の句集『西行の日』は、翌年第27回読売文学賞を受賞した。妻は角川照子、子供には辺見じゅん、角川春樹、角川歴彦がおり、進藤一考、吉田鴻司、増成栗人、大木あまり等を育てた。

句集は、他に『秋燕』『神々の宴』『冬の虹』『角川源義全句集』、随筆『雉子の声』、俳句評論『飯田蛇笏』(福田甲子雄と共書)、国文学関係『悲劇文学の発生』がある。

「企業家、学者、俳人等幾つもの面を持つが、情の詩人源義を特に感じる」(富安風生)、「人情篤く、人生意気に感ずを一生貫き実行した」(沢木欣一)、「日本の美意識の根底の雪月花の観念を持つ最後の文人俳句、雪は富山出身らしい〈雪積むか夜の膳に咲く菊なます〉、月は逝去前の絶唱〈月の人のひとりとならむ車椅子〉、花は〈花あれば西行の日とおもふべし〉、花咲けばではなく、花あればどこにいても三月でも四月でも、西行が願っていた入滅の日、それは源義の死の覚悟をも匂わせる。追い求めた軽みも単に軽いのではなく句の中にぽつかり命の灯が点っており、最後はそのような自在な高さまで達していた」(山本健吉)、「父源義は〈西行の日〉の一句を生み出すためにこの世に生を享けた思想家だった」(角川春樹)等々の鑑賞がある。

ロダンの首泰山木は花得たり  (荻窪の新居)

かなかなや少年の日は神のごとし 

しはぶきの野中に消ゆる時雨かな(折口先生と武蔵野を歩く)

天皇の日蛙小さき声立つる

日あるうち光り蓄めおけ冬苺  (西東三鬼危篤)

西行の清水掌にうけ悴めり   (西行庵)

白桃を剝くねんごろに今日終る 

耕して天にのぼるか対州(つしま) 

花何ぞ八十八夜の茶山過ぐ  

蜥蜴失せ吾に逆縁の文字のこる 

秋風の石ひとつ積む吾子のため  (蔵王山頂)

修二会の奈良に夜来る水のごと

八雲立つ出雲は(かみ)のおびただし 

蔵王嶺の芋名月となりしかな 

波郷忌の柿すすりゐてさびしけれ 

昼顔のここ荻窪は終の地か 

金盞花あまりし命何なさむ 

月の人のひとりとならむ車椅子

後の月雨に終るや足まくら(絶句)

終戦直後「祖国の文化に秩序と再建の道を示す」と敢然と角川書店を設立し、昭和26年、多くの交流のある俳人の中で唯一「師」と呼び、近代俳句の立句の最後の俳人としてその高風を慕う飯田蛇笏を訪ね、その後葬儀に際しては〈篁に一水まぎる秋燕〉と詠み、蛇笏賞を設立した。

加えて総合誌「俳句」、角川俳句賞設立、俳句文学館建設等々現代の俳壇への貢献は図り知れず、「河」主宰として俳壇屈指の結社を設立し、抒情性に富む句や民俗学の素地に基づくの多くの旅の秀句を詠んだ。

(たかんな2020年9月号加筆再構成)


【執筆者プロフィール】
広渡敬雄(ひろわたり・たかお)
1951年福岡県生まれ。句集『遠賀川』『ライカ』(ふらんす堂)『間取図』(角川書店)。『脚注名句シリーズⅡ・5能村登四郎集』(共著)。2012年、年第58回角川俳句賞受賞。2017年、千葉県俳句大賞準賞。「沖」蒼芒集同人。俳人協会会員。日本文藝家協会会員。「塔の会」幹事。著書に『俳句で巡る日本の樹木50選』(本阿弥書店)。


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