神保町に銀漢亭があったころ【第99回】川島秋葉男

銀漢亭はハブ空港!
そして超結社句会「湯島句会」

川島秋葉男(「銀漢」副編集長)

銀漢亭は、俳句界自転車の車輪の中心部に位置し、そのまた真ん中に亭主伊藤伊那男が変わらぬ笑みを浮かべて佇んでいる。

様々な結社の俳人が、スポークを伝わって銀漢亭に来て、伊藤伊那男に触れる。そして、同じようにして集まった俳人達は其々情報交換し、またスポークを伝わって戻っていく。   

銀漢亭は、伊藤伊那男のモットー「楽しくなければ俳句じゃない!」の実践の場であり、車輪が回れば回るほど交流が深まり生き生きとした俳人たちの出入りが生まれた。わくわくすることを実感出来る「ハブ空港」であった。

私が初めて銀漢亭を訪れたのは平成19年、仕事仲間の松崎逍遊氏に紹介されてのこと。逍遊氏は伊藤伊那男先生の伊那北高校の同級生で「おい!伊那男」と呼び捨てにする仲であった。まわりの俳人は不思議なやりとりに「何者なんだ?」とあっけにとられていた。


何度か通ううちに伊那男先生の勧めで新しい句会を始めることになった。文京区湯島の逍遊氏の会社で開催された為「湯島句会」と名付けられた。平成20年1月、5人でのスタートであったが、俳句未経験者がほとんどの為、伊那男先生から指南役として小滝肇氏が派遣された。

人数も増え、第7回からは銀漢亭に句会場を移した。参加者は16名である。

兼題3句、当季雑詠2句の5句出しで5句選。短冊を清記し、コピーしたものが参加者に配られ選句が始まる。途端に喧騒が収まりしわぶきも聞こえない。俳人以外のお客さんが不思議そうに眺めていた。選句用紙を提出し整ったところで披講が始まる。

選に入った作者が名乗りをするが、句会初参加の方も居て、声が小さいと「聞こえません」の指摘が出る。すかさず伊那男先生が、「せっかく選句して戴いたのだから大きな声で名乗りましょう」と促す。披講が終わると、安堵のため息とともに拍手がおきる。一息ついて伊那男先生の一声から親睦会が始まる。

「俳句は楽しくなければ俳句じゃない!句会終わりの電車の中で、次回も出たいと思える句会にしましょう!では乾杯!」

句会後にすぐに懇親会を始められるのも銀漢亭での句座の嬉しいところだ。すぐに大きな歓声が沸き歓談の輪が広がるのである。

筆者と逍遊氏とには暗黙の決め事があった。第一に「湯島句会」の人数を増やす。その為には毎月第四月曜日の句会は欠かさず銀漢亭で開催する。銀漢亭にいるお客さんには必ず選句をお願いする。そして参加を促すこと。

我々は、俳句素人だが、熟練の営業マンだ。怖いものはないと、誰彼構わずに声をかけた。嬉しいことに、ほとんどの俳人は喜んで選句を引き受けくれた。特選を一句をお願いし、選評を聞く。聞き取りのメモ書きで、それを句会報に載せた。今思えば冷や汗ものである。


選句や講評をお願いした方々の中には俳壇の重鎮が何人もいた。対馬康子さん、櫂未知子さん、山田真砂年さん屋内修一さん、水内慶太さん、岸本尚毅さんなどなど。中でも故村上護先生の選句、講評の授受は緊張もしたが、FAXで送られて来る村上先生の万年筆の大きな文字の講評は温かく、励ますような内容が多かった。

湯島句会については様々な方からアドバイスやご意見をいただいた。伊那男先生の兄弟子にあたる朝妻力「雲の峰」主宰からは、「とにかく会員を増やしたら良い。それが皆さんの推進力になるし、伊那男さんの為にもね」という言葉。これは我々の一つのよりどころとなった。

また、対馬康子「天為」前編集長からは、「編集をやられるなら参加者に隔たり無く平等に」という金言を頂戴した。「湯島句会」は全員のものだという考えの原点となった。

さて、会員は少しづつ増えて行ったが、さらに楽しい句会にするにはどうするか?その為に第一次幹事会を発足させた。


主宰:伊藤伊那男 事務局長:小滝肇 編集長:川島秋葉男 編集委員:大西真一、片山一行、伊藤政三、こしだまほ 会計幹事:谷口いづみ 幹事:小野寺清人、松崎逍遊 運営スタッフ:松代展枝、鈴木淳子


以上のスタッフが中心となり試行錯誤をかさねつつ以下を実践したのである。当日の進行の手際(毎回の進行表の作成、新会員の紹介、連絡事項の事前確認)会費の徴収、投句の受領(清記用紙の記入とコピー)、清記用紙のセットアップ。

◆披講時の工夫(披講の分担可、点盛りし易い間合い、披講の分担、欠席投句の代返)

◆懇親会の充実(参加費3000円、うち500円を運営費。差し入れ大歓迎の告知、スタッフは新加入者へのフォローの徹底)

◆会報の充実(句会後10日間で会報を出すために逍遊氏の会社を拝借しての印刷製本、のちに小野寺清人氏、大西真一氏の会社を拝借)

◆掲載内容の充実(著名な俳人に指名選者になって戴き、クオリティの高い選と選評を受ける。特選句の講評を依頼。全会員の持ち回りで前回掲載の一句鑑賞、短編エッセイと連載エッセイ、添削欄などの充実。

◆参加俳人の情報を掲載(受賞ニュースや総合俳誌に掲載されたものをピップアップして会報に掲載する)

以上は会員の作句意欲を向上させる会報を目指す為。

◆参加者の充実(超結社句会として幅広い句柄の出句を求める)

◆外国や国内遠隔地にお住い方、高齢の方。現役で仕事優先の為出席出来ない方などをフォローして欠席投句を受ける。

◆とにかく、参加者全員が主役であること。

魅力ある句会を目指して回数を重ねるにつれ人が人を呼び参加者は激増した。

以下は、「湯島句会」平成20年1月から平成25年6月までの記録(抜粋)である。

【第1回】(出席者6名)松崎逍遊氏の会社で開催。(平成20年1月)

【第7回】から銀漢亭で開催。指名選者には特選句の選評を依頼。

【第10回】(投句参加者20名):毎月の句会報は10日間以内に発行して銀漢亭に配置。会員に引き取って頂く形。

【第17回】から表紙を有澤志峯氏に兼題の挿画を依頼。66回最終号まで。句会報の作成の折り込み部隊を「織姫」と命名。

【第20回】(投句参加者60名)平成21年8月

    平成22年1月「銀漢俳句会」設立

【第30回】(投句参加者67名)平成22年6月

【第32回】から事前投句と事前選句を開始(投句や講評の授受を担当制に)

銀漢亭での句会は、出席者で満員、店内を動くこともままならなかった。清記用紙への点盛りも人の背中を借りてするような仕儀となり、店先のデッキも満員状態。

【第50回】(投句参加者98名)平成24年2月

【第52回】より会報のメール配信を開始。メール不可の方へは簡易紙ベースの会報配布。句会場での点盛りには、同時進行でのパソコン入力を採用。省力化への試み。

【第66回】最終号(投句参加者108名)平成25年6月

湯島句会最終号の「お知らせ」

【「湯島句会」ミニ記録】

◆連載エッセイ執筆者(執筆年代順)
小滝肇「俳句コラム」
武田禪次「残照の国々」
大西真一「ぶらり旅」
櫂未知子「十七音の放浪記」
松川洋酔「洋酔の俳句トレビア―そうなんだ!」
池田のりを「時と空を超えて―其角の時代」

◆添削教室=伊藤伊那男、朝妻力

◆文法=朝妻力

◆挿画=有澤志峯(17回~66回まで。以下抜粋)

◆参加俳人(講評のみの方も含む)の所属結社数=30結社ほど
豈、海、炎環、円虹、海程、銀化、銀漢、鏡、古志、蒐、青山、爽樹、玉藻、月の匣、天為、天宆、田、唐変木、南柯、南風、万象、ホトトギス、街、未来図、屋根、雷魚、りいの、ロンド、その他、無所属など。(50音順に掲載)

◆参加者の所在地=アラスカ、ニューヨーク、パリ、長崎、広島、大阪、奈良、愛媛、愛知、長野、石川、静岡、岐阜、群馬、神奈川、千葉、埼玉、東京ほか

◆参加者の年齢=20代~90代


超結社句会「湯島句会」の意義について、伊藤伊那男主宰は以下のように話されていた。「幅広い出句の中に、自分の結社では見受けられない句柄がある。今までの自分では詠めないものを、表現していく句があることに目を開かされる。これは今後の自分の作句の中で必ず生きて来る筈である」。

また、「参加者の中には熟練の俳人も若い俳人もいるが、相互に影響し合うこと、つまり熟練の方々は培ってきたものを次の世代に伝え、若い情熱を受け止めて今の自分を再確認する。若い世代は、吸い取り紙のように知識を学び、可能性を追求し成長をするべきだ」。  

さらに「この句会に参加された若い世代が今後の俳句界で活躍することを望んでいる」。

このような伊那男主宰の思いの通り、現在「湯島句会」参加のフレッシュな俳人諸氏が多数活躍をされている。


月野ぽぽな「海原」同人:第28回現代俳句新人賞、第63回角川俳句賞。

西村麒麟「古志」同人:第1回石田波郷新人賞、第5回田中裕明賞、第7回北斗賞、第65回角川俳句賞。

〇堀切克洋「銀漢」同人:第3回俳人協会新鋭評論賞大賞、第8回北斗賞、第42回俳人協会新人賞、第21回山本健吉評論賞。

阪西敦子「ホトトギス」同人、「円虹」所属:平成22年、日本伝統俳句協会新人賞受賞。「俳句甲子園」審査員(7回連続)

(順不同)


終刊について

5年の間に急激に参加者が増え、銀漢亭での句座を組むことがキャパ的にも難しくなっていた。スタッフのほとんどが仕事を持つ現役の世代であったので、これ以上の時間を割くことも出来ない。

また、伊那男先生が立ちあげた「銀漢俳句会」(平成22年1月設立)のスタッフと「湯島句会」スタッフが重なり、兼務が困難になってきたことも終刊を早めた。第二期の「湯島句会」開催を模索したが為し得ていないうちに銀漢亭は閉店となった。

以下 伊藤伊那男先生の「湯島句会休刊の辞」と「外部選者へのお礼」、「編集後記」を掲載して銀漢亭での「湯島句会」にご参加の皆様とのメモリアルとしたい。


「湯島句会 休会の辞」伊藤伊那男

残念ながら―湯島句会が休会を迎えることとなりました。

湯島句会では、百名を超える事前投句を取りまとめて選句用紙を配信し、選句結果、講評、エッセイなどを毎月句会報として発行していました。この作業は並たいていのことではなく、編集部・サポートスタッフ、なかでも川島秋葉男編集長、大西真一副編集長に極端な負担がかかっていました。パソコンを駆使する作業でもあり、また、会員との連絡等は緻密に行なわれていたので、これらを誰かが替ってできるものでというものでもなく、一旦休会をせざるを得なくなったのが実情でした。

振り返ってみると五年半前に五人でスタートした句会ですが、徐々に参加者が増え三十を超える結社の方々で構成される出句者百名の超結社句会が存在し、毎月結社誌と見紛う句会報が発行されていたのは驚異的なことでした。

もし、「平成俳壇史」というような本がいずれ書かれるとすれば、この句会のことは記録に残っても決して不思議なことではないと思います。

ただし歴史に残るには大きな条件があります。ここで育った人、ここで親しんだ仲間が、このあとさらに精進し、俳壇に足跡を残すかどうかにかかっています。湯島句会での他結社の方々との交流や、ここで受けた刺激を宝物として、のちのちこの句会のことを語り継いでいただきたいと思います。

(中略)

最後になりましたが、湯島句会の基礎を築いてくれた松崎逍遊さん、そしてみごとな運営をして戴いた川島秋葉男編集長、大西真一副編集長、ご協力下さったスタッフの皆様、挿画を提供して戴いた有澤志峯さん、選句を心良く引き受けて下さった俳壇の諸先生方、また、参加して戴いた俳人の皆様に心より感謝を申し上げます。

特に、選句や講評などアドバイスをして下さった外部の先生方にもお礼を申し上げます。(50音順)

朝妻力「雲の峰」主宰、櫂未知子「群青」代表「銀化」同人、岸本尚毅「屋根」「天為」同人、つげ幻象「田」編集長、日原傳「天為」同人、広渡敬雄「沖」「青垣」同人、水内慶太「月の匣」主宰、柚口満「春耕」事務局長、山田真砂年「未来図」同人。(平成25年6月時点の呼称)

(後略)

湯島句会最終号の選者名一覧

「第66回 湯島句会編集後記」川島秋葉男

◇第一期湯島句会最後となる第66回6月の句会は、過去最高の108名のご参加、540句の出句となりました。また、当日句会には70名を超える方のご出席を戴きこれもまた過去最高の賑わいでした。伊那男主宰の「始めからお酒を出して楽しくやりましょう」というご提案でしたので六時過ぎにはあちこちで小さな乾杯が行なわれ、句会の開始を待ちました。

七時開始の頃には店に入りきれない方々が店前のオープンデッキ、さらに道路に敷かれたブルーのレジャーマットにもずらりと。句会の進行は例によって小滝肇氏。今回で最終回となることを告げられ、NYから帰国中の月野ぽぽな氏、愛媛から参加の片山一行氏を紹介。大きな拍手が湧きました。

披講一番手は谷岡健彦氏。とにかく参加者がすでにお酒が入っている為、ざわめきがなかなか引かない中でしたが、日頃大学で教鞭を取っておられる為、よく通る声で参加者を誘導の上、披講を開始されました。二番手は小野寺清人氏。気仙沼大島の潮風に鍛えられた声でぐいぐいと披講を続けられました。三番手は、いつも軽妙なスピーチぶりの小滝肇氏。いつもより感慨を込めた流石の披講ぶりでした。 

第一披講の句は、なんとこの日の最高得点句〈手を握るだけの看護や明易し〉高橋透水氏。おぉ!というどよめきからのスタートでした。

欠席投句の名乗りは湯島句会随一の大きな声の持ち主、津田卓氏と大河に漂うような名乗りぶりの相沢文子氏でした。当日点盛のスタッフはデパート服飾部のカラーコーディネーター松代展枝氏と、もう心はパリに! 渡仏留学を9月に控えた堀切克洋氏。

そして当日点盛をその場でパソコンに入力するのは、存在感抜群の本庄康代氏でした。

披講終了時に改めて主宰の乾杯のご発声。スタッフへの慰労と参加者への感謝を込められたスピーチでした。その後は皆さんから差し入れて戴いた銘酒やおつまみ、また、主宰が腕をふるった料理もふんだんに出され、賑やかな宴席となりました。

(中略)

「いよいよ休会か!」とあちらこちらで惜しむ声があがり、参加者もスタッフもお礼を言い合う光景が見られました。ほろ酔い加減で店前のレジャーシートからはみ出して寝そべったのは菊田一平氏。その姿をチャンスとばかりに撮影する人など、最後の句座を楽しんでおられました。

至福な時間はあっという間に過ぎ、最終句会は有終の美を飾るお開きとなりました。その後は銀漢亭に留まる方、二次会へ流れる方など三三五五に帰途につかれました。

前回会報で銀漢亭からはみ出るほどご参集をお願い致しましたが、まさにその通りにご参集戴きました。当日ご参加戴きました皆様、また投句ご参加の皆様、今までのご厚情、この場を借りて心より御礼を申し上げます。有難うございました。


【執筆者プロフィール】
川島秋葉男(かわしま・あきばお)
湯島句会設立メンバー、「銀漢」同人、副編集長、俳人協会会員。



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