神保町に銀漢亭があったころ【第46回】小野寺清人

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酒と魚と焼ソバと

小野寺清人(「春耕」「銀漢」同人)

年3回づつ開いて、今年の2月に68回目だった日本酒の会の幹事を初回からやっている。1人5合で計算するので50人集まれば25本。基本的に純米吟醸以上の銘酒を全国から集める。

飲み切れなくて残ったものは10年ほど前までは希望者に持って帰ってもらっていたが、ある時女性が一升瓶を抱えたまま駅の階段を転げる事故があって以来、纏めて銀漢亭に持って帰ることにした。瓶が多いので漏斗を用意し移し替える。何と何を入れたか誰も覚えていないブレンドが平均して5~6本出来上がる。これが(首を傾げるものも無くはなかったが)驚くほど美味い。日本酒好きの亭主と幾度となく感嘆しては顔を見合わせた。用途は広く色々な場に提供された。一合一会。

(銀漢亭の大漁男こと、小野寺清人さん)

郷里気仙沼大島の同級生が遠洋鮪船に乗っていて年2回ほど焼津、清水に入る。電話の通じる八丈島あたりから連絡を取って車で向かう。こちらからはペットボトルのお茶や缶珈琲、毎週袋とじを破らないで取っておくポスト、現代、つてで集めた男性誌など。あちらからは冷凍鮪。初期は直接銀漢亭の冷凍庫に運んでいたが、鮪が大きく場所を取るので2年ほどして自宅に業務用冷凍庫を入れた。

(こんなマグロ、もう一生食べられないかもしれません…)

また郷里からは牡蠣、海鞘、帆立、烏賊、蛸など色々持ち込んで自由にやらせていただいた。一方で、万全を期してはいたが常にアニサキス、ノロウイルスに脅えていた。出たら大変なことになる。しかし亭主からそれを言われたことは一度も無かった。出たら出たでその時に、とでも思っていたのだろうか。一度聞いてみようと思っている。感謝しかない。

(銀漢亭の前でみずから牡蠣をむいてくれる清人さん)
(清人さんが主催する「大倉句会」100回記念パーティのようす)

燕三条の鉄工場に頼んで作った2コンロ用の鉄板を持っていたので、よく焼ソバをやった。1度に15玉までやれる。2度で30人分ということだ。蒸すのに水ではなく日本酒を使うのは昔テキヤから、モヤシを入れる効果、分量、味の調整は小石ちゃんから教わった。仕上げに亭主の青海苔、紅生姜が載って完成である。帰らざる日々。

(えっ、誰??)

【執筆者プロフィール】
小野寺清人(おのでら・きよと)
昭和26年1月23日、宮城県気仙沼市大島生まれ。平成12年より終刊まで男性誌『スコラ』社長。現在、株式会社青泉社代表取締役。「春耕」「銀漢」同人。俳人協会会員。


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