神保町に銀漢亭があったころ

神保町に銀漢亭があったころ【第10回】相沢文子

カウンターの向こう

相沢文子(「ホトトギス」同人)

銀漢亭に通うようになったのは9年か10年ほど前。私は常連さんに交じってカウンターで酔っ払いながらも、いつかはこのカウンターの向こうで働いてみたいと、ビールの注ぎ方やサワーの作り方なんぞを観察していた。

空き瓶を外まで捨てに行く時などは見習い気分を味わっているようでウキウキした。度々バイト募集の話を耳にしたが、お客さんの立場でいる方が居心地良いのも確かで、何となく遠慮していた。

そんな時、第3木曜日に働かないか?と声を掛けられ、月に1度だけならと挑戦してみることにした。夫は自分も飲みに行くよと快諾してくれ、その日が来るのをドキドキしながら待っていた。正式にバイトに入る半月ほど前だったか、研修と称して一度だけカウンターに入ったことがある。

ほんの1時間程度だったが、グラスを洗ったり、ビールサーバーの使い方を練習した。ビールの注ぎ方が案外難しいなぁ、なんて思っていたある日、何とお腹に赤ん坊がいることが発覚した。

夫と両親に報告したのち、3番目に伊那男さんに報告したような気がする。決まっていたバイトをドタキャンする形になり心苦しかったが、伊那男さんはガッチリと私の手を握っておめでとう!と喜んでくださった。

あの時のホッとしたような寂しいような不思議な気持ちは今でも忘れられない。あの日、お腹にいた子は今年で4歳になる。私の銀漢亭カウンターレディ計画は夢に終わったけれど、あのカウンターの向こうはずっと憧れの場所だ。

伊那男さん、銀漢亭を愛する皆さま。いつも優しく愉快に、時には厳しくお付合いくださりありがとうございました。みっともない姿も沢山見せましたが、自分を解放できる大切な場所でした。また何処かでご一緒できますように!

(銀漢亭でのひとコマ。たぶん2012年ごろ? いちばん奥が相沢文子さん)
(2020年5月13日撮影、銀漢亭の生ビールを飲み尽くした日の写真)

【執筆者プロフィール】
相沢文子(あいざわ・ふみこ)
1974年新潟県生まれ。「ホトトギス」同人。好きなお酒はビールとレモンサワー。


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