神保町に銀漢亭があったころ【第81回】髙栁俊男

唯一の行きつけの店だった銀漢亭

髙栁俊男
(法政大学国際文化学部教授、伊那谷研修担当者)

伊藤伊那男さんを知ったのは2016年3月、四谷で開かれた「第3回 井月忌の集い」で、選者として登壇した姿を拝見した時だと思う。その伊那男さんが、句会「銀漢」の主宰者のみならず、ダイニングバーのオーナーシェフだとの情報を得て、初めて神保町のお店を訪ねたのは同年6月だった。

そのとき以来、利用回数は計20回、お連れした方はのべ60人を超える。行きつけの店を持たない自分としては、破格の回数だ。大半の同行者は、伊那男さんと同じく伊那谷出身者で、飯田高校や風越高校の在京同窓会役員、信濃毎日新聞の記者やドミニカ大使なども含まれている。

それほどまでに足を運ばせた最大の魅力は、その雰囲気だろう。店内には、俳句を嗜む人たちによる文化的な香りが漂い、前回お客だった人が別の日に行くと厨房に入っているような、気さくな人間関係も心地よかった。

そして、もう一つの大きな魅力が、伊那男さんの作る創作料理。伊那男さんは、全国から気に入った素材を仕入れていたが、とくに月山から取り寄せたというタケノコの味は忘れられない。アボカドをソースにしてマグロを和えるなど、ヒントを得て自分のレパートリーに加えた料理も数多い。

不思議な巡り合わせもある。お店の壁には、『毎日新聞』に載った銀漢亭の大きな記事が貼られていたが、筆者である鈴木琢磨記者はかつて何度か会ったことのある、いわば「同業者」だった。私の専門は朝鮮近現代史だが、彼も大阪外大の朝鮮語科を出た朝鮮通で、私とはいくつかの接点でつながっていた。

突然の閉店の報に接し、銀漢亭を訪ねてみた。店があった場所には、そのことを示すものは何も無く、シャッターの隙間から覗くと、カウンターも調度品もない、ただの平面が広がっていた。

とはいえ、ここにかつて銀漢亭があり、そこに集う人々の間で濃密な時が流れたことは、それぞれの心の中に末永く残るであろう。このコーナーに多くの方が想い出を寄せているのが、何よりの証拠である。

(在京飯田高校同窓会のメンバーと。左から二番目が筆者)

【執筆者プロフィール】
髙栁俊男(たかやなぎ・としお)
1956年、栃木県生まれ。法政大学国際文化学部教授。専門は朝鮮近現代史、在日朝鮮人史。2012年、留学生に日本を多面的に知ってもらう目的で始めた学部の国内研修の実施責任者。研修地が長野県の伊那谷であることから、当地に関する諸事象にも広く関心をもつ。


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