神保町に銀漢亭があったころ【第107回】石川洋一

銀漢亭と鎌倉

石川洋一(大学講師・歌人)

鎌倉には昭和11年に川端康成、大佛次郎、小林秀雄、三好達治、深田久弥らによって創設された鎌倉ペンクラブという文学者の親睦の会がある。俳人では、久保田万太郎や星野立子が参加していた。残念ながら、これは昭和34年に解散したのだが、21世紀最初の年2001年に詩人の三木卓や作家・井上ひさし、歌人・尾崎左永子他、鎌倉在住の文学者たちによって第二次鎌倉ペンクラブとして復活した。以来、市民のための文学講座や、小中学生のための「鎌倉かるた大会」など精力的に活動を行っているが、そこに僕も幹事として加わっている。

ある年、梅の花が満開の三月の第一土曜日。かるた大会にナント!銀漢亭店主・伊那男さんが来てくれたのだった。北鎌倉の鎌倉五山第一位の名刹・建長寺の大広間で開催、総勢400名もの子供達が熱戦を繰り広げる図は壮観である。そこで一句、詠んで頂けたのかもしれない。心残りは、ちょうど僕が司会役だったのでゆっくりお相手をすることが出来なかったことである。伊那男さんはその日たまたま雑誌の取材を受けていて、鎌倉巡りをされていたとのことであった。かるた大会のことは、銀漢亭で飲んだときにチラッと話しただけだと思うのだが、よく取材班を連れて建長寺まで来てくれたと驚き、そして感激したのであった。

ところで、木曜日にカウンターの中にいた「天為」編集長の天野小石さんは鎌倉の二階堂にご実家がある。よって、鎌倉ペンクラブの会員になって頂いた。そして会報にいつも名エッセイを執筆して下さっている。俳人は文章が上手く、酒が強いと小石さんに教えられたのだった。

月曜日の太田うさぎさんは鎌倉小町通りの小料理屋「奈可川」がお気に入りである。この店には、かつて川端康成や小林秀雄、立原正秋ら錚々たる文士が通っていた。日本料理の名店で、カウンターで四季折々の肴をつまみながら飲む酒は格別である。2019年の春、といっても肌寒い日であったが、うさぎさんが藤沢の俳句講座の講師で来た際の帰りに、鎌倉へお誘いした。当然、向かったのは奈可川である。そして店の雰囲気と美味しい料理に、ついついふたりとも深酒してしまった。店を出ると、いつの間にか雨が降っていた。店の置き傘を一本借りた。夜更けの小町通りは昼間の喧噪とは打って変わって、歩いているのはふたりだけであった……。

さて、第二次鎌倉ペンクラブには俳人では逗子にお住まいの本井英さんがいらっしゃる。詩・俳句・短歌とすべての分野で活躍されている高橋睦郞さんも文学講座で講演して下さった。おふたりは銀漢亭にお見えになったことがあるのだろうか。本井さんは一度お見かけしたような気がしている。

いずれにしても鎌倉から神保町へは、往復およそ三時間。通うのは大変である。それでも銀漢亭での一献を思うと、足が自然と神保町へ向かうのだった。やはり、神保町には無くてはならない店だったのではないか。いまでも神保町に行くと銀漢亭のあった辺りをふと彷徨ってしまう。

そこで提案。鎌倉ペンクラブのように、近い将来ぜひ第二次「銀漢亭」を立ち上げて頂けませんか?

伊那男さん、小石ちゃんうさぎちゃん、よろしくお願いします。


【執筆者プロフィール】
石川洋一(いしかわ・よういち)
1950年、愛媛県生まれ。集英社を定年退職後、現在は大学講師。書道パフォーマンス甲子園審査員、鎌倉ペンクラブ常任幹事、日本ペンクラブ会員、現代歌人協会会員。未來短歌会所属。著書に歌集『はつなつ』、『魂柱のうた』がある。



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