わが影を泉へおとし掬ひけり
木本隆行
ニューヨークの五月は新緑が美しい。ちょうど去年のこの時期、近くの小さな公園に、小さな人工の泉を見つけた。これは、Birdbath(バードバス)という小鳥用の水盤。いろいろな鳥たちが代わる代わる訪れては、水浴びを楽しむ様子は見ていて楽しい。水の音も気持ちよく、今も欠かせない散歩スポットだ。
さて、〈泉〉は夏の季語。水が地中から自然にわき出ているところをいう。清冽な水が湧く様子やその静かな音は涼感そのもの。
掲句の句中の動作の主は、〈泉〉にのりだし水を手で掬ったのだろう。それを想像するだけで、清涼感を十分に追体験できるが、さらにもう少し掲句の中に潜ってみよう。
〈泉〉にのりだしたことを〈わが影を泉へおとし〉とし、水を手で掬ったことを〈わが影を〉〈掬ひけり〉とした措辞により、〈泉〉の持つ象徴性が立ち上がり、現実空間でのふとした動作が、詩的空間での多義的物語、あるいは寓話に変容するのを読者は体験することがでそうだ。
すぐに思い浮かぶのは、〈泉〉に映ったみずからの姿に恋い焦がれた、ギリシャ神話に登場する美少年ナルキッソスの物語。それゆえ、掲句は、この物語に由来する心理で、自己愛を意味するナルシシズムそのものとして香り立つ。
また、〈わが影〉は、人間心理の影の部分を思わせる。自分の中にある闇の部分を〈おと〉す、とは自分から自分の一部を分離すること。そしてその投影によってその闇に気づき、〈掬〉う、とは改めて自分の中に受け入れ統合するということ。掲句が、この分離と統合という人の魂の成長の物語に見えてくるのも、〈泉〉の持つ「無意識の生命力の源」や、「癒し」といった象徴性が働くからなのだろう。
〈泉〉が象徴するもの一つ一つを手がかりに読み返せば、さらに多くの物語が現れてきそうだ。掲句の味わいは、これからも読むたびに〈泉〉のように溢れくると予感する。
(月野ぽぽな)
【執筆者プロフィール】
月野ぽぽな(つきの・ぽぽな)
1965年長野県生まれ。1992年より米国ニューヨーク市在住。2004年金子兜太主宰「海程」入会、2008年から終刊まで同人。2018年「海原」創刊同人。「豆の木」「青い地球」「ふらっと」同人。星の島句会代表。現代俳句協会会員。2010年第28回現代俳句新人賞、2017年第63回角川俳句賞受賞。
月野ぽぽなフェイスブック:http://www.facebook.com/PoponaTsukino
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