ハイクノミカタ

つきの光に花梨が青く垂れてゐる。ずるいなあ先に時が満ちてて 岡井隆


つきの光に花梨が青く垂れてゐる。ずるいなあ 先に時が満ちてて

岡井隆


耽美的な景である。月光の中に垂れている花梨の実は青く、量感ゆたかにそこにある。この上の句は、その気になればこれだけで俳句としての一句を成し得るのに十分な情報量を持っている。
俳句の意識が働いてしまう時、私はついこの歌の上の句の季節感を見積もってしまう。単に「月」と言えば仲秋であるが、早生りの青い花梨の実であれば八月ごろから、つまり初秋からありはするだろう。間をとって九月ごろか、いや仲秋にも青い花梨の実がないことはない。多少なりとも明確に書くのであれば、「青い花梨が垂れてゐる」と書いた方が適切だったのか。いや、もしかすると花梨の実自体は青くはなくて、月光によって青く見えているだけなのかもしれない。青い花梨なのか、月光によって青く見えているのか。そうやって考えているうちに、「青き花梨」ではなく「花梨が青く」という書きぶりは実に幻惑的に思えて来る。思うに、青い花梨のことを書きたいのではなく、月の光が飽和している空間、その空間の中で青く垂れている花梨を書きたいのではないか。光を剥ぎ取った花梨の実が、実際どうなのかは分からない。

下の句もなかなか難しい。たとえば、「光陰矢のごとし」という諺のように「光」は「時」と昵懇であるといえば簡単ではあるが、それは割に字義の上という感じで、それだけで歌が支えられているという気がしない。もちろん「光」に対しての「時」ということはあるだろうが、それ以上に「先に時が満ちてて」という措辞は、月光の色調や花梨の量感から実感された、しかしまだ定まりきってはいない印象、たった今手掴みされたばかりの印象ーその景のあまりに耽美的な様子、あるいはその景の完成度、そういう”出来上がっている感じ”から不意に思われてしまうこの景に光が満ちるまでに流れたであろう時間の文脈ーが基底にあるのではないだろうか。

「ずるいなあ」は「先に時が満ちててずるいなあ」というふうに倒置されているというよりも、シンプルにこの語順で読む方が腑に落ちる。たとえば、私たちはあまりに美しいもの、超越的なもの、いわば追いつくことができないほど隔絶されたものの不意な到来に際して、つい「ずるいなあ」と漏らしてしまうことがある。この作中の人物は「ずるいなあ」と言いながら淡く笑っているかもしれない。

あまりに耽美的な景、その景に対して不意に漏れた言葉、しかし未だ手掴みされたばかりで定まりきっていない景に対する印象。そういう一連の印象を、割に素早く書いた、そういう歌のように思った。

安里琉太



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【執筆者プロフィール】
安里琉太(あさと・りゅうた)
1994年沖縄県生まれ。「銀化」「群青」「」同人。句集に『式日』(左右社・2020年)。 同書により、第44回俳人協会新人賞


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓



安里琉太のバックナンバー】

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>>〔51〕ある年の子規忌の雨に虚子が立つ  岸本尚毅
>>〔50〕ときじくのいかづち鳴つて冷やかに 岸本尚毅
>>〔49〕季すぎし西瓜を音もなく食へり 能村登四郎
>>〔48〕みづうみに鰲を釣るゆめ秋昼寝   森澄雄
>>〔47〕八月は常なる月ぞ耐へしのべ   八田木枯
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>>〔3〕昼ごろより時の感じ既に無くなりて樹立のなかに歩みをとどむ 佐藤佐太郎
>>〔2〕魚卵たべ九月些か悔いありぬ  八田木枯
>>〔1〕松風や俎に置く落霜紅      森澄雄


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