ハイクノミカタ

鎌倉を驚かしたる余寒あり 高濱虚子【季語=余寒(春)】


鎌倉を驚かしたる余寒あり

高濱虚子

やはり地名の効きがよい。南は海にひらけて、あとの三方は山に囲まれている鎌倉は、冬でも比較的温暖なところだろう。また、この句の「鎌倉」からは、こういう地形の背景のみならず、その街並みや人々の暮らしぶり、文化も浮かんで来る。立春を過ぎ、街の居住いや人々の装いにも多少の春が兆し始めているのかもしれない。そんな折の、鎌倉の地形を越えて訪れた春の寒さである。さぞ、不意を突かれたように驚かされたことだろう。何か「余寒」という言葉の華やぎも感じられる句である。無論、単なる「寒さ」とか、あるいは同季の「冴え返る」「春寒」では、この句の情趣は異なるものとなってしまうだろう。加えて「驚かしたる」という措辞の効きも削がれてしまう。

「驚かしたる」が表現技法としての擬人法であるということに固執して読んでしまうと、何か面白みが減ってしまう感じがする。この句は「鎌倉」という地名を擬人化しようと図った句というよりも、先に書いたような「鎌倉」のありようを大掴みにさらっと言ってのけたような、いわば気風のいい句という感じがする。地の動く動かない、擬人法の効果、「余寒」という季語の斡旋(「寒さ」や「冴え返る」、「春寒」などと比べて)など、表現上の注目点が上五中七下五のそれぞれに出てくるので、それにいちいち付き合って、それぞれの効果を個別に説明したくなるのだが、ただそれがこの句の良い語り方かというと、なんだかあまりそういう気がしない。虚子の句には、なんかそういう食えないところがあるように私には思える。それぞれの技法云々というよりも、それらが一句という全体において有機的に関連して効果を発揮していることが重要な句なのではないかと思う。

また、「鎌倉」という土地に元寇の頃の幕府や上皇の謀反という出来事を見て、「驚かしたる」を諧謔的に面白がる読みもあろうが、それはやや俗で、なんというかあまりにも古典っぽすぎる読みの印象がある。あくまで季題の「余寒」を句の中心において読み進め、それで「鎌倉を驚かしたる」と言ったところを諧謔的だというのが、なんだか”正統的”とされそうな読みに感じられる。飯田龍太に「鎌倉をぬけて海ある初秋かな」があり、こちらも遠からぬ趣がある句だ。

安里琉太



【安里琉太さんの第一句集『式日』は絶賛発売中↓】


【執筆者プロフィール】
安里琉太(あさと・りゅうた)
1994年沖縄県生まれ。「銀化」「群青」「」同人。句集に『式日』(左右社・2020年)。 同書により、第44回俳人協会新人賞


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓



安里琉太のバックナンバー】

>>〔71〕薄氷の吹かれて端の重なれる 深見けん二
>>〔70〕恐るべき八十粒や年の豆   相生垣瓜人
>>〔69〕霜夜子は泣く父母よりはるかなものを呼び 加藤楸邨
>>〔68〕龍の玉深く蔵すといふことを  高浜虚子
>>〔67〕一天の玉虫光り羽子日和    清崎敏郎
>>〔66〕古きよき俳句を読めり寝正月  田中裕明
>>〔65〕スバルしずかに梢を渡りつつありと、はろばろと美し古典力学 永田和宏
>>〔64〕雪といひ初雪といひ直しけり  藤崎久を
>>〔63〕海鼠切りもとの形に寄せてある 小原啄葉
>>〔62〕枯蓮のうごく時きてみなうごく 西東三鬼
>>〔61〕ほほゑみに肖てはるかなれ霜月の火事の中なるピアノ一臺 塚本邦雄
>>〔60〕あたゝかき十一月もすみにけり 中村草田男
>>〔59〕デパートの旗ひらひらと火事の雲 横山白虹
>>〔58〕個室のやうな明るさの冬来る  廣瀬直人
>>〔57〕ほこりつぽい叙情とか灯を積む彼方の街 金子兜太
>>〔56〕一瞬で耳かきを吸う掃除機を見てしまってからの長い夜 公木正
>>〔55〕底紅や黙つてあがる母の家    千葉皓史
>>〔54〕仲秋の金蠅にしてパッと散る  波多野爽波
>>〔53〕つきの光に花梨が青く垂れてゐる。ずるいなあ先に時が満ちてて 岡井隆
>>〔52〕ひるすぎの小屋を壊せばみなすすき 安井浩司
>>〔51〕ある年の子規忌の雨に虚子が立つ  岸本尚毅
>>〔50〕ときじくのいかづち鳴つて冷やかに 岸本尚毅
>>〔49〕季すぎし西瓜を音もなく食へり 能村登四郎
>>〔48〕みづうみに鰲を釣るゆめ秋昼寝   森澄雄
>>〔47〕八月は常なる月ぞ耐へしのべ   八田木枯
>>〔46〕まはし見る岐阜提灯の山と川   岸本尚毅
>>〔45〕八月の灼ける巌を見上ぐれば絶倫といふ明るき寂寥  前登志夫
>>〔44〕夏山に勅封の大扉あり     宇佐美魚目
>>〔43〕からたちの花のほそみち金魚売  後藤夜半
>>〔42〕雲の中瀧かゞやきて音もなし   山口青邨
>>〔41〕又の名のゆうれい草と遊びけり  後藤夜半
>>〔40〕くらき瀧茅の輪の奥に落ちにけり 田中裕明
>>〔39〕水遊とはだんだんに濡れること 後藤比奈夫
>>〔38〕ぐじやぐじやのおじやなんどを朝餉とし何で残生が美しからう 齋藤史
>>〔37〕無方無時無距離砂漠の夜が明けて 津田清子
>>〔36〕麦よ死は黄一色と思いこむ    宇多喜代子
>>〔35〕馬の背中は喪失的にうつくしい作文だった。 石松佳
>>〔34〕黒き魚ひそみをりとふこの井戸のつめたき水を夏は汲むかも 高野公彦
>>〔33〕露地裏を夜汽車と思ふ金魚かな  攝津幸彦
>>〔32〕プラタナス夜もみどりなる夏は来ぬ 石田波郷
>>〔31〕いけにえにフリルがあって恥ずかしい 暮田真名
>>〔30〕切腹をしたことがない腹を撫で   土橋螢
>>〔29〕蟲鳥のくるしき春を不爲     高橋睦郎
>>〔28〕春山もこめて温泉の国造り    高濱虚子
>>〔27〕毛皮はぐ日中桜満開に      佐藤鬼房
>>〔26〕あえかなる薔薇撰りをれば春の雷 石田波郷
>>〔25〕鉛筆一本田川に流れ春休み     森澄雄
>>〔24〕ハナニアラシノタトヘモアルゾ  「サヨナラ」ダケガ人生ダ 井伏鱒
>>〔23〕厨房に貝があるくよ雛祭    秋元不死男
>>〔22〕橘や蒼きうるふの二月尽     三橋敏雄
>>〔21〕詩に瘦せて二月渚をゆくはわたし 三橋鷹女

>>〔20〕やがてわが真中を通る雪解川  正木ゆう子
>>〔19〕春を待つこころに鳥がゐて動く  八田木枯
>>〔18〕あっ、ビデオになってた、って君の声の短い動画だ、海の 千種創一
>>〔17〕しんしんと寒さがたのし歩みゆく 星野立子
>>〔16〕かなしきかな性病院の煙出   鈴木六林男
>>〔15〕こういうひとも長渕剛を聴くのかと勉強になるすごい音漏れ 斉藤斎藤
>>〔14〕初夢にドームがありぬあとは忘れ 加倉井秋を
>>〔13〕氷上の暮色ひしめく風の中    廣瀬直人
>>〔12〕旗のごとなびく冬日をふと見たり 高浜虚子
>>〔11〕休みの日晝まで霜を見てゐたり  永田耕衣

>>〔10〕目薬の看板の目はどちらの目 古今亭志ん生
>>〔9〕こぼれたるミルクをしんとぬぐふとき天上天下花野なるべし 水原紫苑
>>〔8〕短日のかかるところにふとをりて  清崎敏郎
>>〔7〕GAFA世界わがバ美肉のウマ逃げよ  関悦史
>>〔6〕生きるの大好き冬のはじめが春に似て 池田澄子
>>〔5〕青年鹿を愛せり嵐の斜面にて  金子兜太
>>〔4〕ここまでは来たよとモアイ置いていく 大川博幸
>>〔3〕昼ごろより時の感じ既に無くなりて樹立のなかに歩みをとどむ 佐藤佐太郎
>>〔2〕魚卵たべ九月些か悔いありぬ  八田木枯
>>〔1〕松風や俎に置く落霜紅      森澄雄


【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • follow us in feedly

関連記事

  1. 湯の中にパスタのひらく花曇 森賀まり【季語=花曇(春)】
  2. 六月を奇麗な風の吹くことよ 正岡子規【季語=六月(夏)】
  3. つちふるや自動音声あかるくて 神楽坂リンダ【季語=霾(春)】
  4. 百合のある方と狐のゐる方と 小山玄紀
  5. 秋鯖や上司罵るために酔ふ 草間時彦【季語=秋鯖(秋)】
  6. 骨拾ふ喉の渇きや沖縄忌 中村阪子【季語=沖縄忌(夏)】
  7. 春風にこぼれて赤し歯磨粉 正岡子規【季語=春風(春)】
  8. 菜の花や部屋一室のラジオ局 相子智恵【季語=菜の花(春)】

おすすめ記事

  1. 骨拾ふ喉の渇きや沖縄忌 中村阪子【季語=沖縄忌(夏)】
  2. 俳人・広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅【第22回】東山と後藤比奈夫
  3. 【冬の季語】蒲団(布団)
  4. 神保町に銀漢亭があったころ【第108回】麻里伊
  5. 蚊を食つてうれしき鰭を使ひけり 日原傳【季語=蚊(夏)】
  6. 江の島の賑やかな日の仔猫かな 遠藤由樹子【季語=仔猫(春)】
  7. どちらかと言へば麦茶の有難く  稲畑汀子【季語=麦茶(夏)】
  8. ゆる俳句ラジオ「鴨と尺蠖」【第3回】
  9. 神保町に銀漢亭があったころ【第39回】石井隆司
  10. 月光や酒になれざるみづのこと 菅 敦【季語=月光(秋)】

Pickup記事

  1. 俳人・広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅【番外−2】 足摺岬と松本たかし
  2. コーヒー沸く香りの朝はハットハウスの青さで 古屋翠渓
  3. 【読者参加型】コンゲツノハイクを読む【2023年3月分】
  4. また一人看取の汗を拭いて来し 三島広志【季語=汗(夏)】
  5. 家濡れて重たくなりぬ花辛夷 森賀まり【季語=花辛夷(春)】 
  6. 【冬の季語】寒夕焼
  7. 【冬の季語】日記買う
  8. 【秋の季語】末枯
  9. へたな字で書く瀞芋を農家売る 阿波野青畝【季語=山芋(秋)】
  10. 山頂に流星触れたのだろうか 清家由香里【季語=流星(秋)】
PAGE TOP