ハイクノミカタ

薄氷の吹かれて端の重なれる 深見けん二【季語=薄氷(冬)】


薄氷の吹かれて端の重なれる

深見けん二

平成に発表された人気の句をランキングし、総括を試みた特集(角川『俳句』2019年5月号)でも、かなり上位に推された句である。一瞬を切り取り、そこに森羅万象の奥行きや広がりが立ちあらわれるというのは、写生に纏わる半ばロマン的でもある言説だが、確かにそういう写生の究極の感じを漂わせるところがないでもない句だ。あるいはこの句の「薄氷」を眺めるまなざしこそが、写生の営為に対する信念を投影したポーズそのもののようにも思えて来る。

「薄氷」は初春の地理の項に分類される季題だ。以下、藺草慶子による「薄氷」の解説を引く(『角川俳句大歳時記 春』角川学芸出版・2013)。

春さきになって、ごく薄く張る氷のこと。 解け残った薄い氷のこともいう。 暖かくなってきた頃に、 突然また寒さが戻ってきて氷が張ることがある。 早朝、池などに一面に張った氷も、昼頃になれば解けて、いくつもの薄い断片に分かれ、流れて消えてゆく。 冬の氷と違って薄く消えやすいことから、 この季語には淡くはかない情感がある。 連俳では冬の季語であった薄氷が春の季語となったのは近代以後である。

「薄氷」は今日、初春に分類されているが、和歌以来、連俳においても冬季の「氷」と括られて位置付けられて来た。「薄氷」が初春に区分され始めたのは、深見けん二によれば(『新日本大歳時記』講談社・2000)、昭和九年刊の虚子編『新歳時記』からのようである。これ以前に、虚子は大正五年刊の『虚子句集』で「薄氷」を「氷解」(春季)に分類しており、このあたりから春に区分する考えが始まったものと推察される。しかし、深見は古典和歌にも「春の薄氷」の用例がいくつか見られるとし、「薄氷」に春の到来の感覚が詠まれることは古くからあったとも補足している。このように近代において「薄氷」は、冬季の「氷」と区別され、初春に分類された。冴え返りつつも遅々として進む春の一景を立ち上げる季語として、今日詠まれるようになっている。

水面に張った一枚の薄氷は、時とともに次第に割れて数多の断片となる。その断片のひとつとそれに隣るもうひとつが、初春の冷たい風に吹かれて少しく動き、端が重なり合ったのである。端が重なったまま、しばらく消えることなくそこにあるということは、溶け初めた後にまた冷えが戻ってきたからなのかもしれない。「吹かれて」からは冷えを孕んだ初春の風の様子が、「端の重なれる」からは「薄氷」の質感がよくよく感じられる。しかし、よく「端」という言葉を持ってきたものだ。これによって「薄氷」の、まことにうすうすとした質感が巧みに表現されている。初春の空間が確かさをもって読者に手渡される句である。

藺草が言うように、「薄氷」はいずれ消えるということを念頭に置いた淡く儚い情感を持っている。それはたとえば、「うすらひは深山へかへる花の如」(藤田湘子)の比喩や「母逝けり薄氷に陽はとどまらず」(山田みづえ)の母の死との取り合わせ、あるいは「薄氷に透けている色生きてをり」(稲畑汀子)の下五の措辞の「薄氷」が消えゆく儚さを持つが故に寧ろ成り立っている真っ直ぐさなどにも見て取れることである。また、「ひるすぎて薄氷魞をはなれけり」(水原秋桜子)や「薄氷を昼の鶏鳴渡りゆく」(野澤節子)、「薄氷の岸を離るる光かな」(皆川盤水)などの句にも見られるように、消える儚さと関連した昼の明るさも「薄氷」からはいくらか思われる。早春の眩しさや風の冷えが連想される。

やはりこの句は単なる「氷」ではいけない。「薄氷」だからこそ、そもそも吹かれた程度で重なり合うのだし、重なった端のうすうすとした白さや美しくも儚い煌めきが、初春の季感を伴ってありありと浮かんで来るのである。仮に「氷」が斡旋された句となっていたならば、その言葉の冷ややかな印象も相まって、句の景は存外暗いものとなっていたのではないか。また「薄氷」の斡旋の手柄は「薄氷」そのものの魅力に留まるものではない。吹く風の冷えをはじめ、一句における初春の季感を広げているという大きな効果もあげている。優れた写生句と呼ばれるものは、写生された物の情報に終始するのではなく、その物自体の深まりやその物の周囲の広がりなどを思わせる。書かれていることから照らし出される書かれていないこと、いわば句の余白が嘆息してしまうほど豊かに広がっている場合が多い。またこれに関連してなのか、季語の斡旋が一義的でなく多層的な広がりと効果を得ている場合も多い。

この句を、薄氷が風に吹かれて端が重なった、単にそれだけのこととしか読めない人は、写生句の読み方がたぶんよく分かっていない。季題に対して写生を行っている句というのは、まず対象に取られた季題、その季題という詩語がどのような前提を持っているか、どのような世界が既にして共有されているのかということを踏まえなければ、あまり読めたことにはならない。季題には前提とされる”季語の世界の広がり”とでも言おうか、共有されるべき情感が予め定められている。なので、季題を詠む時は、それが仮に吟行の場合であっても、やはり題詠という意識において物がまなざされるのであり、物はそこに本意や本情をもって認識・発見されるのである。究極的に言えば、たとえ嘱目であれ、詠まれた物は純粋なる物質としての薄い「氷」ではなく、「薄氷」という初春の地理に分類される季題としてそこに見出されるのである。もし物が写生という方法によって純粋に見られるという主張をしたいのならば、それはなかなか簡単には行かない厳しい道のりとなるだろう。

さて、句の具体的な表現の話題に戻ろう。

従来、「て」は散文的になりやすいという点から避けられやすい傾向にはあるが、この句にはそう言われて忌避されるだらけた感じがない。「吹かれて」というのが薄氷に訪れた変容の一瞬であるということも、だらけた感じがない読み味と無関係ではないのだろう。

この句には、「吹かれて」という一瞬によって齎された「薄氷」の変容、その変容に対する発見が詠まれている。つまり、変容の一瞬が「吹かれて」と書き留められていることは、他方で、その一瞬が見逃されず、「吹かれて」の前後も景が見られていたということも意味する。私が冒頭に述べた「写生の営為に対する信念を投影したポーズそのもの」という印象は、このあたりから来るのかもしれない。

最後に連体形で流した下五の処理についてだが、これはもちろん切らないことにより余情を引き出すという手法でもあるのだけれど、句を切らずにできるだけ長く先延ばしにしている点で、やはり切る場合よりも景の時間が長く取られているという風に私は感じる。また、この句末の流し方は、この句を読み下した時の和語の玲瓏さと相まって、句の響きをより良いものに仕上げている。

安里琉太



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【執筆者プロフィール】
安里琉太(あさと・りゅうた)
1994年沖縄県生まれ。「銀化」「群青」「」同人。句集に『式日』(左右社・2020年)。 同書により、第44回俳人協会新人賞


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓



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