ハイクノミカタ

ほほゑみに肖てはるかなれ霜月の火事の中なるピアノ一臺 塚本邦雄


ほほゑみに肖てはるかなれ霜月の火事の中なるピアノ一臺

塚本邦雄

永田和宏は、「八角堂便り 忖度から定型、〈あいだ〉へ」(『塔』2017年7月号)にて、ほほゑみと火事のなかのピアノとの関係について、「〈相反する〉二つのコトを何の脈絡もなく並べて平然としている」と書いている。また、そのようなことが歌で可能となることについては、定型がこの二つのように本来飛散してしまう筈の言葉を回収するための仕掛けとなっていると指摘し、併せて定型が「作者と読者が出会う場なのだと定義したい」と主張している。俳句における取り合わせを念頭においても興味深い指摘である。取り合わせの関係が近い場合は読むに堪えないことが多いが、遠い場合には存外読んで楽しむことができる。
こうした「ほほゑみに肖てはるかなれ」と「霜月の火事の中なるピアノ一臺」との関係はもとより、「ほほゑみに肖てはるかなれ」という措辞の、そもそも「ほほゑみ」とは遥かなものであるという印象、あるいは遥かな「ほほゑみ」として広く想像される存在があるような印象、そういう前提が先にあるような書きぶりも不可思議な点である。もしかすると、「ほほゑみに肖てはるかなれ」が先というより、「霜月の火事の中なるピアノ一臺」が先で、そのような過剰に華美な景から引き出された感慨という読みもあり得るかもしれない。

塚本の歌には愛誦するものが多い。「詩歌変ともいふべき予感夜の秋の水中に水奔るを視たり」という歌も好きな一首だ。この歌は「ほほゑみ」の歌とつくりが似ている。「詩歌変ともいふべき予感」と心象的なことを述べることから入って、「夜の秋の水中に水奔るを視たり」という具体的な景を提示する。ただ、こちらは〈相反する〉というよりは、「予感」を補完する景となっている。季語として見れば、「夜の秋」は「秋の夜」とは別の季題で、晩夏に分けられるものだ。日中は暑くとも、夜には秋の気配が兆す。季節の変化を鋭敏に捉える点と「詩歌変」とは同じベクトルである。また、「詩歌変」は「夜の秋の水中に水奔るを視たり」の景をして、つまり、爽涼として透き通る水の中を殊更鋭く勢いよく駆け抜ける水のイメージによって、さらに肉付けされるのである。さて、このあとに「ほほゑみ」の歌を読み直せば、「霜月の火事の中なるピアノ一臺」の措辞における、そこに見えていても救い出すことの出来ない隔てられた感じ、その遥さ。また、言葉それぞれ(霜月・火事・ピアノ)とそれらにより立ち現れる玲瓏として華美すぎるほどの景。そういうところからはるかさを介して飛躍的に得られたものが「ほほゑみ」であると見る方が、私としては何か納得できる感じがある。

安里琉太



【安里琉太さんの第一句集『式日』は絶賛発売中↓】


【執筆者プロフィール】
安里琉太(あさと・りゅうた)
1994年沖縄県生まれ。「銀化」「群青」「」同人。句集に『式日』(左右社・2020年)。 同書により、第44回俳人協会新人賞


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓



安里琉太のバックナンバー】

>>〔60〕あたゝかき十一月もすみにけり 中村草田男
>>〔59〕デパートの旗ひらひらと火事の雲 横山白虹
>>〔58〕個室のやうな明るさの冬来る  廣瀬直人
>>〔57〕ほこりつぽい叙情とか灯を積む彼方の街 金子兜太
>>〔56〕一瞬で耳かきを吸う掃除機を見てしまってからの長い夜 公木正
>>〔55〕底紅や黙つてあがる母の家    千葉皓史
>>〔54〕仲秋の金蠅にしてパッと散る  波多野爽波
>>〔53〕つきの光に花梨が青く垂れてゐる。ずるいなあ先に時が満ちてて 岡井隆
>>〔52〕ひるすぎの小屋を壊せばみなすすき 安井浩司
>>〔51〕ある年の子規忌の雨に虚子が立つ  岸本尚毅
>>〔50〕ときじくのいかづち鳴つて冷やかに 岸本尚毅
>>〔49〕季すぎし西瓜を音もなく食へり 能村登四郎
>>〔48〕みづうみに鰲を釣るゆめ秋昼寝   森澄雄
>>〔47〕八月は常なる月ぞ耐へしのべ   八田木枯
>>〔46〕まはし見る岐阜提灯の山と川   岸本尚毅
>>〔45〕八月の灼ける巌を見上ぐれば絶倫といふ明るき寂寥  前登志夫
>>〔44〕夏山に勅封の大扉あり     宇佐美魚目
>>〔43〕からたちの花のほそみち金魚売  後藤夜半
>>〔42〕雲の中瀧かゞやきて音もなし   山口青邨
>>〔41〕又の名のゆうれい草と遊びけり  後藤夜半
>>〔40〕くらき瀧茅の輪の奥に落ちにけり 田中裕明
>>〔39〕水遊とはだんだんに濡れること 後藤比奈夫
>>〔38〕ぐじやぐじやのおじやなんどを朝餉とし何で残生が美しからう 齋藤史
>>〔37〕無方無時無距離砂漠の夜が明けて 津田清子
>>〔36〕麦よ死は黄一色と思いこむ    宇多喜代子
>>〔35〕馬の背中は喪失的にうつくしい作文だった。 石松佳
>>〔34〕黒き魚ひそみをりとふこの井戸のつめたき水を夏は汲むかも 高野公彦
>>〔33〕露地裏を夜汽車と思ふ金魚かな  攝津幸彦
>>〔32〕プラタナス夜もみどりなる夏は来ぬ 石田波郷
>>〔31〕いけにえにフリルがあって恥ずかしい 暮田真名
>>〔30〕切腹をしたことがない腹を撫で   土橋螢
>>〔29〕蟲鳥のくるしき春を不爲     高橋睦郎
>>〔28〕春山もこめて温泉の国造り    高濱虚子
>>〔27〕毛皮はぐ日中桜満開に      佐藤鬼房
>>〔26〕あえかなる薔薇撰りをれば春の雷 石田波郷
>>〔25〕鉛筆一本田川に流れ春休み     森澄雄
>>〔24〕ハナニアラシノタトヘモアルゾ  「サヨナラ」ダケガ人生ダ 井伏鱒
>>〔23〕厨房に貝があるくよ雛祭    秋元不死男
>>〔22〕橘や蒼きうるふの二月尽     三橋敏雄
>>〔21〕詩に瘦せて二月渚をゆくはわたし 三橋鷹女

>>〔20〕やがてわが真中を通る雪解川  正木ゆう子
>>〔19〕春を待つこころに鳥がゐて動く  八田木枯
>>〔18〕あっ、ビデオになってた、って君の声の短い動画だ、海の 千種創一
>>〔17〕しんしんと寒さがたのし歩みゆく 星野立子
>>〔16〕かなしきかな性病院の煙出   鈴木六林男
>>〔15〕こういうひとも長渕剛を聴くのかと勉強になるすごい音漏れ 斉藤斎藤
>>〔14〕初夢にドームがありぬあとは忘れ 加倉井秋を
>>〔13〕氷上の暮色ひしめく風の中    廣瀬直人
>>〔12〕旗のごとなびく冬日をふと見たり 高浜虚子
>>〔11〕休みの日晝まで霜を見てゐたり  永田耕衣

>>〔10〕目薬の看板の目はどちらの目 古今亭志ん生
>>〔9〕こぼれたるミルクをしんとぬぐふとき天上天下花野なるべし 水原紫苑
>>〔8〕短日のかかるところにふとをりて  清崎敏郎
>>〔7〕GAFA世界わがバ美肉のウマ逃げよ  関悦史
>>〔6〕生きるの大好き冬のはじめが春に似て 池田澄子
>>〔5〕青年鹿を愛せり嵐の斜面にて  金子兜太
>>〔4〕ここまでは来たよとモアイ置いていく 大川博幸
>>〔3〕昼ごろより時の感じ既に無くなりて樹立のなかに歩みをとどむ 佐藤佐太郎
>>〔2〕魚卵たべ九月些か悔いありぬ  八田木枯
>>〔1〕松風や俎に置く落霜紅      森澄雄


【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • follow us in feedly

関連記事

  1. 秋・紅茶・鳥はきよとんと幸福に 上田信治【季語=秋(秋)】
  2. あっ、ビデオになってた、って君の声の短い動画だ、海の 千種創一
  3. コーヒー沸く香りの朝はハットハウスの青さで 古屋翠渓
  4. 五つずつ配れば四つ余る梨 箱森裕美【季語=梨(秋)】
  5. 落椿とはとつぜんに華やげる 稲畑汀子【季語=落椿(春)】
  6. ひまわりと俺たちなんだか美男子なり 谷佳紀【季語=ひまわり(夏)…
  7. 木犀や同棲二年目の畳 髙柳克弘【季語=木犀(秋)】
  8. 手袋を出て母の手となりにけり 仲寒蟬【季語=手袋(冬)】

おすすめ記事

  1. さまざまの事おもひ出す桜かな 松尾芭蕉【季語=桜(春)】
  2. 菊食うて夜といふなめらかな川 飯田晴【季語=菊(秋)】
  3. かくも濃き桜吹雪に覚えなし 飯島晴子【季語=桜吹雪(春)】
  4. 【冬の季語】咳
  5. 【#20】ミュンヘンの冬と初夏
  6. 白衣とて胸に少しの香水を 坊城中子【季語=香水(夏)】
  7. 無駄足も無駄骨もある苗木市 仲寒蟬【季語=苗木市(春)】
  8. 【冬の季語】豆撒く
  9. 虎の尾を一本持つて恋人来 小林貴子【季語=虎尾草(夏)】
  10. 【秋の季語】長薯/薯蕷

Pickup記事

  1. 神保町に銀漢亭があったころ【第83回】対馬康子
  2. 【冬の季語】冬
  3. なく声の大いなるかな汗疹の児 高浜虚子【季語=汗疹(夏)】
  4. 鏡台や猟銃音の湖心より 藺草慶子【季語=猟(冬)】
  5. 【#27】約48万字の本作りと体力
  6. 影ひとつくださいといふ雪女 恩田侑布子【季語=雪女(冬)】
  7. 新婚のすべて未知数メロン切る 品川鈴子【季語=メロン(夏)】
  8. 【冬の季語】日向ぼこ
  9. 深追いの恋はすまじき沈丁花 芳村うつぎ【季語=沈丁花(春)】
  10. 薄氷の吹かれて端の重なれる 深見けん二【季語=薄氷(冬)】
PAGE TOP