ハイクノミカタ

麦よ死は黄一色と思いこむ 宇多喜代子(無季)


麦よ死は黄一色と思いこむ

宇多喜代子


「麦よ」という措辞からは、ただ一本の麦というより、麦とそこから広がる麦秋の景を思った。麦を一本だけ見ているというのはそもそもあまり自然と思えなかったし、なにより「黄一色」という把握には一面の麦畑の方がそぐうように思った。また、麦畑特有の噎せそうになるほどの匂いを体感的に想起する方が、「麦よ」から「死」が引き出されてくる心の動きに、私としては妙に納得がいった。

無論、「麦」という言葉が「死」を連想するということについてはとても納得がいく。「一粒の麦」や「麦と兵隊」という言葉の連想、また水原秋桜子の「麦秋の中なるが悲し聖廃墟」などを挙げてもよいが、例えば、一茶の「麦秋や子を負ひながらいわし売り」(「越後女、旅かけて商ひする哀れさを」の詞書あり)などを思っても米が尽きた春窮のあとのより一層餓える麦の頃の貧しさが思われ、「死」というものがやはりそう遠くない季語だと思わされる。

「ばくしゅう」か「むぎあき」かで「麦秋」は違うイメージになるが、林桂の「クレヨンの黄を麦秋のために折る」などは「ばくしゅう」と読みたい句である。宇多の句を思う時に「黄一色」という言葉と関連して思い浮かぶ句だ。また、小川軽舟の「五分後の地球も青しあめんばう」も色の観念として連想される句である。

「死」というテーマはまことに句が仕上がりやすいので、個人的に気をつけたいと思っているテーマである。「萬緑や死は一弾を以て足る 上田五千石」や「死や霜の六尺の土あれば足る 加藤楸邨」などの「死」自体を詠んだ句、「繍線菊やあの世へ詫びにゆくつもり 古舘曹人」などの措辞で「死」について述べて植物の季語で感慨を出す句など、句を集めれば詠み方の類型もいくらかありそうである。古舘の句と比べ、永田耕衣の「死を以て逃亡と為す葱の国」などはやはり独特で、「夢の世に葱を作りて寂しさよ」の句の解釈とも関わりそうだ。

安里琉太


【この詩が読める本はこちら↓】

宇多喜代子『夏の日』(昭和59年)

【執筆者プロフィール】
安里琉太(あさと・りゅうた)
1994年沖縄県生まれ。「銀化」「群青」「」同人。句集に『式日』(左右社・2020年)。 同書により、第44回俳人協会新人賞


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓



安里琉太のバックナンバー】

>>〔35〕馬の背中は喪失的にうつくしい作文だった。 石松佳
>>〔34〕黒き魚ひそみをりとふこの井戸のつめたき水を夏は汲むかも 高野公彦
>>〔33〕露地裏を夜汽車と思ふ金魚かな  攝津幸彦
>>〔32〕プラタナス夜もみどりなる夏は来ぬ 石田波郷
>>〔31〕いけにえにフリルがあって恥ずかしい 暮田真名
>>〔30〕切腹をしたことがない腹を撫で   土橋螢
>>〔29〕蟲鳥のくるしき春を不爲     高橋睦郎
>>〔28〕春山もこめて温泉の国造り    高濱虚子
>>〔27〕毛皮はぐ日中桜満開に      佐藤鬼房
>>〔26〕あえかなる薔薇撰りをれば春の雷 石田波郷
>>〔25〕鉛筆一本田川に流れ春休み     森澄雄
>>〔24〕ハナニアラシノタトヘモアルゾ  「サヨナラ」ダケガ人生ダ 井伏鱒
>>〔23〕厨房に貝があるくよ雛祭    秋元不死男
>>〔22〕橘や蒼きうるふの二月尽     三橋敏雄
>>〔21〕詩に瘦せて二月渚をゆくはわたし 三橋鷹女
>>〔20〕やがてわが真中を通る雪解川  正木ゆう子
>>〔19〕春を待つこころに鳥がゐて動く  八田木枯
>>〔18〕あっ、ビデオになってた、って君の声の短い動画だ、海の 千種創一
>>〔17〕しんしんと寒さがたのし歩みゆく 星野立子
>>〔16〕かなしきかな性病院の煙出   鈴木六林男
>>〔15〕こういうひとも長渕剛を聴くのかと勉強になるすごい音漏れ 斉藤斎藤
>>〔14〕初夢にドームがありぬあとは忘れ 加倉井秋を
>>〔13〕氷上の暮色ひしめく風の中    廣瀬直人
>>〔12〕旗のごとなびく冬日をふと見たり 高浜虚子
>>〔11〕休みの日晝まで霜を見てゐたり  永田耕衣

>>〔10〕目薬の看板の目はどちらの目 古今亭志ん生
>>〔9〕こぼれたるミルクをしんとぬぐふとき天上天下花野なるべし 水原紫苑
>>〔8〕短日のかかるところにふとをりて  清崎敏郎
>>〔7〕GAFA世界わがバ美肉のウマ逃げよ  関悦史
>>〔6〕生きるの大好き冬のはじめが春に似て 池田澄子
>>〔5〕青年鹿を愛せり嵐の斜面にて  金子兜太
>>〔4〕ここまでは来たよとモアイ置いていく 大川博幸
>>〔3〕昼ごろより時の感じ既に無くなりて樹立のなかに歩みをとどむ 佐藤佐太郎
>>〔2〕魚卵たべ九月些か悔いありぬ  八田木枯
>>〔1〕松風や俎に置く落霜紅      森澄雄


【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • follow us in feedly

関連記事

  1. 流氷が繋ぐ北方領土かな 大槻独舟【季語=流氷(春)】 
  2. 麗しき春の七曜またはじまる 山口誓子【季語=春(春)】
  3. 八月は常なる月ぞ耐へしのべ 八田木枯【季語=八月(秋)】
  4. いちごジャム塗れとおもちゃの剣で脅す 神野紗希【季語=苺(夏)】…
  5. 蚊を食つてうれしき鰭を使ひけり 日原傳【季語=蚊(夏)】
  6. 秋思かがやくストローを嚙みながら 小川楓子【季語=秋思(秋)】
  7. なんぼでも御代りしよし敗戦日 堀本裕樹【季語=敗戦日(秋)】
  8. 男はよろめき/星空はぐるぐる… ゼノ・ビアヌ 

おすすめ記事

  1. 松葉屋の女房の円髷や酉の市 久保田万太郎【季語=酉の市(冬)】
  2. 秋・紅茶・鳥はきよとんと幸福に 上田信治【季語=秋(秋)】
  3. 神保町に銀漢亭があったころ【第107回】石川洋一
  4. 神保町に銀漢亭があったころ【第25回】山崎祐子
  5. 【冬の季語】歳晩
  6. 【冬の季語】忘年
  7. 女に捨てられたうす雪の夜の街燈 尾崎放哉【季語=雪(冬)】
  8. 【夏の季語】噴水
  9. 九十の恋かや白き曼珠沙華 文挾夫佐恵【季語=曼珠沙華(秋)】
  10. 雛節句一夜過ぎ早や二夜過ぎ 星野立子【季語=雛節句(春)】

Pickup記事

  1. やがてわが真中を通る雪解川 正木ゆう子【季語=雪解川(春)】
  2. 俳人・広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅【第67回】 伊賀上野と橋本鶏二
  3. 【夏の季語】海の日
  4. 【特別寄稿】「写生」──《メドゥーサ》の「驚き」 岡田一実
  5. 片蔭の死角から攻め落としけり 兒玉鈴音【季語=片蔭(夏)】
  6. 休みの日晝まで霜を見てゐたり 永田耕衣【季語=霜(冬)】
  7. 【春の季語】魚氷に上る
  8. 【秋の季語】八月
  9. 「野崎海芋のたべる歳時記」モワルー・オ・ショコラ
  10. 【夏の季語】月涼し
PAGE TOP