ハイクノミカタ

聴診に一生の秋を聴きにけり 橋本喜夫【季語=秋(秋)】


聴診に一生(ひとよ)の秋を聴きにけり

橋本喜夫


一年間いろいろな俳句を読んできましたが、私の担当は今回が最後となります。お読み下さった皆さま、ありがとうございました。

考えるところがあって、現在活躍中の結社の主宰や有名な俳人の句はあまり取り上げてきませんでしたが(徹底はできませんでした)、最後ということで、今回は所属する結社「雪華」の橋本喜夫主宰の句にしました。

 聴診に一生(ひとよ)の秋を聴きにけり

橋本喜夫は現在も皮膚科の医師として患者の診療に当たっている。その現場からの一句か。

医師が患者の胸に聴診器を当てる。心臓や肺の音を聞くためだ。そのとき「一生の秋」を聴いたというのである。春を聴いたというのなら、おだやかな落ち着いた音、夏は元気で力強い音というイメージ。秋はどうだろう。少し弱った、下り坂の音、淋しげな音だろうか。

じっさいには具体的な「音」を聴いたのではなく、患者の人生の部分部分を見てきた主治医として、全身で感得した「秋」というべきものだったのかもしれない。人生の最後を飾るのは、桜紅葉が銀杏黄葉か。患者の体内をさらさらと流れる落葉の音が、聴診器を通して医師の体内へと流れ込んでいるようだ。

ここからは余談だが、私は数年前、朝起きると首がとても腫れていて、かなり痛みもあったので、皮膚科を受診したことがある(もちろん医師は掲句の作者ではない)。医師は一目見て、毒蜘蛛に噛まれたんですね、と言った。「黄色い小さな蜘蛛です。見たことありませんか?」と言われたが、そんな蜘蛛は見たことがなかったし、蜘蛛がいるような藪に入った記憶もない。半信半疑のままに帰宅したのだが、それから二日後、夜中に肩の痛みで目を覚ますと、ベッドの上に黄色い蜘蛛がいたのである。まさに今、毒蜘蛛に噛まれた瞬間だった。医師は正しかったのだ。さすが専門医と、はなはだ感心したことをよく覚えている。

「白面」(文學の森、2005年)所収。

鈴木牛後


【執筆者プロフィール】
鈴木牛後(すずき・ぎゅうご)
1961年北海道生まれ、北海道在住。「俳句集団【itak】」幹事。「藍生」「雪華」所属。第64回角川俳句賞受賞。句集『根雪と記す』(マルコボ.コム、2012年)『暖色』(マルコボ.コム、2014年)『にれかめる』(角川書店、2019年)


【鈴木牛後のバックナンバー】
>>〔51〕葡萄垂れとしよりの日のつどひ見ゆ  大野林火
>>〔50〕秋日澄み樹のいろ拾ひつづけたる   井越芳子
>>〔49〕九月の教室蟬がじーんと別れにくる   穴井太
>>〔48〕ひら/\と猫が乳吞む厄日かな   秋元不死男
>>〔47〕本捨つる吾に秋天ありにけり    渡部州麻子
>>〔46〕鳥けもの草木を言へり敗戦日     藤谷和子
>>〔45〕きりぎりす飼ふは死を飼ふ業ならむ   齋藤玄
>>〔44〕東京の白き夜空や夏の果       清水右子
>>〔43〕森の秀は雲と睦めり花サビタ        林翔
>>〔42〕麦真青電柱脚を失へる       土岐錬太郎
>>〔41〕農薬の粉溶け残る大西日       井上さち
>>〔40〕乾草は愚かに揺るる恋か狐か     中村苑子
>>〔39〕刈草高く積み軍艦が見えなくなる  鴻巣又四郎
>>〔38〕青嵐神木もまた育ちゆく      遠藤由樹子
>>〔37〕夫いつか踊子草に跪く       都築まとむ
>>〔36〕でで虫の繰り出す肉に遅れをとる   飯島晴子
>>〔35〕干されたるシーツ帆となる五月晴    金子敦
>>〔34〕郭公や何処までゆかば人に逢はむ   臼田亜浪
>>〔33〕日が照つて厩出し前の草のいろ   鷲谷七菜子
>>〔32〕空のいろ水のいろ蝦夷延胡索     斎藤信義
>>〔31〕一臓器とも耕人の皺の首       谷口智行
>>〔30〕帰農記にうかと木の芽の黄を忘ず   細谷源二
>>〔29〕他人とは自分のひとり残る雪     杉浦圭祐
>>〔28〕木の根明く仔牛らに灯のひとつづつ  陽美保子
>>〔27〕彫り了へし墓抱き起す猫柳     久保田哲子
>>〔26〕雪解川暮らしの裏を流れけり     太田土男
>>〔25〕鉄橋を決意としたる雪解川      松山足羽
>>〔24〕つちふるや自動音声あかるくて  神楽坂リンダ
>>〔23〕取り除く土の山なす朧かな     駒木根淳子
>>〔22〕引越の最後に子猫仕舞ひけり      未来羽
>>〔21〕昼酒に喉焼く天皇誕生日       石川桂郎

>>〔20〕昨日より今日明るしと雪を掻く    木村敏男
>>〔19〕流氷は嘶きをもて迎ふべし      青山茂根
>>〔18〕節分の鬼に金棒てふ菓子も     後藤比奈夫
>>〔17〕ピザーラの届かぬ地域だけ吹雪く    かくた
>>〔16〕しばれるとぼつそりニッカウィスキー 依田明倫
>>〔15〕極寒の寝るほかなくて寝鎮まる    西東三鬼
>>〔14〕牛日や駅弁を買いディスク買い   木村美智子
>>〔13〕牛乳の膜すくふ節季の金返らず   小野田兼子
>>〔12〕懐手蹼ありといつてみよ       石原吉郎
>>〔11〕白息の駿馬かくれもなき曠野     飯田龍太
>>〔10〕ストーブに貌が崩れていくやうな  岩淵喜代子
>>〔9〕印刷工枯野に風を増刷す        能城檀 
>>〔8〕馬孕む冬からまつの息赤く      粥川青猿
>>〔7〕馬小屋に馬の表札神無月       宮本郁江
>>〔6〕人の世に雪降る音の加はりし     伊藤玉枝
>>〔5〕真っ黒な鳥が物言う文化の日     出口善子
>>〔4〕啄木鳥や落葉をいそぐ牧の木々   水原秋桜子
>>〔3〕胸元に来し雪虫に胸与ふ      坂本タカ女
>>〔2〕糸電話古人の秋につながりぬ     攝津幸彦
>>〔1〕立ち枯れてあれはひまはりの魂魄   照屋眞理子


【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】

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