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農薬の粉溶け残る大西日 井上さち【季語=大西日(夏)】


農薬の粉溶け残る大西日

井上さち


農薬散布が終わり、これで一日の仕事が片付いた。そしてふと粉剤を溶かしていた容器の底を見ると、完全には溶けきらなかった粉が残っていることに気づいたのである。よく混ぜたつもりだったのに、という感情だろうか。何か消化不良の気分が胸底に沈殿しているような気がしたのだろう。西日の気怠さが、その陰影をいっそう濃く見せている。

農の現場を詠んだ俳句はたくさんあるが、農薬散布はあまり詠まれていないのではないか。言うまでもなく、現代の農業では農薬散布はなくてはならない作業だ。農薬を忌避する向きもあるだろうが、それが現実である。

俳句は自然を詠むものという観念のもとでは、おそらく農薬散布のような景は避けられるだろう。都市化する生活環境のもとで、俳句に求められるもののひとつに、「自然を愛でる私」「自然と共生する私」の姿がある。そこでは農の尊さは積極的に詠み込まれるが、反自然の象徴とも見られる農薬散布はないものとされがちだ。

掲句ははそこを敢えて詠んでいる。リアリズムとは、見たくないものさえ見るという姿勢のこととも言えるのだが、そこを徹底している句である。

水馬草枯らされて行く匂い》《劇とある毒性の欄青嵐》《劇薬は無色透明夏の空》《農薬と汗の軍手を搾りけり》など、否応なく現実を突きつけることで、絵空事ではない農の現場から掴み取った句の質量を読者に感じさせるのである。

「巴里は未だ」(文學の森、2018年)所収。

鈴木牛後


【執筆者プロフィール】
鈴木牛後(すずき・ぎゅうご)
1961年北海道生まれ、北海道在住。「俳句集団【itak】」幹事。「藍生」「雪華」所属。第64回角川俳句賞受賞。句集『根雪と記す』(マルコボ.コム、2012年)『暖色』(マルコボ.コム、2014年)『にれかめる』(角川書店、2019年)


【鈴木牛後のバックナンバー】
>>〔40〕乾草は愚かに揺るる恋か狐か     中村苑子
>>〔39〕刈草高く積み軍艦が見えなくなる  鴻巣又四郎
>>〔38〕青嵐神木もまた育ちゆく      遠藤由樹子
>>〔37〕夫いつか踊子草に跪く       都築まとむ
>>〔36〕でで虫の繰り出す肉に遅れをとる   飯島晴子
>>〔35〕干されたるシーツ帆となる五月晴    金子敦
>>〔34〕郭公や何処までゆかば人に逢はむ   臼田亜浪
>>〔33〕日が照つて厩出し前の草のいろ   鷲谷七菜子
>>〔32〕空のいろ水のいろ蝦夷延胡索     斎藤信義
>>〔31〕一臓器とも耕人の皺の首       谷口智行
>>〔30〕帰農記にうかと木の芽の黄を忘ず   細谷源二
>>〔29〕他人とは自分のひとり残る雪     杉浦圭祐
>>〔28〕木の根明く仔牛らに灯のひとつづつ  陽美保子
>>〔27〕彫り了へし墓抱き起す猫柳     久保田哲子
>>〔26〕雪解川暮らしの裏を流れけり     太田土男
>>〔25〕鉄橋を決意としたる雪解川      松山足羽
>>〔24〕つちふるや自動音声あかるくて  神楽坂リンダ
>>〔23〕取り除く土の山なす朧かな     駒木根淳子
>>〔22〕引越の最後に子猫仕舞ひけり      未来羽
>>〔21〕昼酒に喉焼く天皇誕生日       石川桂郎

>>〔20〕昨日より今日明るしと雪を掻く    木村敏男
>>〔19〕流氷は嘶きをもて迎ふべし      青山茂根
>>〔18〕節分の鬼に金棒てふ菓子も     後藤比奈夫
>>〔17〕ピザーラの届かぬ地域だけ吹雪く    かくた
>>〔16〕しばれるとぼつそりニッカウィスキー 依田明倫
>>〔15〕極寒の寝るほかなくて寝鎮まる    西東三鬼
>>〔14〕牛日や駅弁を買いディスク買い   木村美智子
>>〔13〕牛乳の膜すくふ節季の金返らず   小野田兼子
>>〔12〕懐手蹼ありといつてみよ       石原吉郎
>>〔11〕白息の駿馬かくれもなき曠野     飯田龍太
>>〔10〕ストーブに貌が崩れていくやうな  岩淵喜代子
>>〔9〕印刷工枯野に風を増刷す        能城檀 
>>〔8〕馬孕む冬からまつの息赤く      粥川青猿
>>〔7〕馬小屋に馬の表札神無月       宮本郁江
>>〔6〕人の世に雪降る音の加はりし     伊藤玉枝
>>〔5〕真っ黒な鳥が物言う文化の日     出口善子
>>〔4〕啄木鳥や落葉をいそぐ牧の木々   水原秋桜子
>>〔3〕胸元に来し雪虫に胸与ふ      坂本タカ女
>>〔2〕糸電話古人の秋につながりぬ     攝津幸彦
>>〔1〕立ち枯れてあれはひまはりの魂魄   照屋眞理子


【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】

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