ハイクノミカタ

黄沙いまかの楼蘭を発つらむか 藤田湘子【季語=黄沙(春)】


黄沙いまかの楼蘭を発つらむか

藤田湘子
(「黒」1987年 角川書店)

1978年8月に日中平和友好条約が締結され、10月に両国会で批准された。これとほぼ同時期に日本テレビでドラマ「西遊記」が放映され、人気を博す。さらにその翌年から撮影が開始され、80年代に複数回放映された「NHK特集 シルクロード」は、世間にシルクロードブームを巻き起こす。きちんとした検証はしていないけれど、このことが80年代の俳人たちに季語「黄砂」とエキゾチックな中国の風景との取り合わせをもたらしたということはなかっただろうか。掲句は旧版の『角川俳句大歳時記』で見出した句だが、他にも有馬朗人「殷亡ぶ日の如く天霾れり」(「知命」1982年 牧羊社)、加藤楸邨「長城の表裏山河ぞ胡沙に立つ」(「怒濤」1986年 花神社)が見いだせる。少なくとも、中国との国交正常化(1972年)に近い時期に出ている「図説俳句大歳時記」の例句にはそのような気配はない。しかし、さらに歴史を遡れば、戦前の中国は日本が領土的野心をもった場所であるゆえに、大陸の風景としての季語「霾」が前景化する。したがって、戦前の歳時記「俳諧歳時記」(1933年 改造社)では、日本に到来する現象としての「黄砂」はまだ立項されておらず、「日本内地にない満州特異の現象」で、「太陽の光は蔽ひかくされてしまつて、昼中でも灯火を要するやうなことさへある」現象として解説され、例句には、有風「霾天の城市の春の駱駝かな」(ホトトギス)、鐘耳「霾天や黄鶴楼は今日はなし」(同前)。などの大陸の景色を詠んだ句と、そうとは見えないが同様であろうとおぼしき句がならぶ。「図説俳句大歳時記」の考証では「霾」の初出は大正時代の「ホトトギス」のようだが、解説では満州のまの字もでてこない。ここで、「霾」は、そもそも戦前の植民地由来の季語だったのではないかという疑問が浮上する。それゆえに戦前の「ホトトギス」では異国情緒を喚起する題として詠まれていたのであり、80年代のそれはいわば過去のそれらをなかったことにした俳句界による異国情緒の「再発見」として世にあらわれたものだったのではないか。

橋本直


【執筆者プロフィール】
橋本直(はしもと・すなお)
1967年愛媛県生。「豈」同人。現代俳句協会会員。現在、「楓」(邑久光明園)俳句欄選者。神奈川大学高校生俳句大賞予選選者。合同句集『水の星』(2011年)、『鬼』(2016年)いずれも私家版。第一句集『符籙』(左右社、2020年)。共著『諸注評釈 新芭蕉俳句大成』(明治書院、2014年)、『新興俳句アンソロジー 何が新しかったのか』(ふらんす堂、2018年)他。


橋本直さんの第一句集『符籙』はこちら】


【橋本直のバックナンバー】

>>〔130〕実るなと掴む乳房や春嵐    渡邉美愛
>>〔129〕誰もみなコーヒーが好き花曇  星野立子
>>〔128〕変身のさなかの蝶の目のかわき 宮崎大地
>>〔127〕恋さめた猫よ物書くまで墨すり溜めし 河東碧梧桐
>>〔126〕くれなゐの花には季なし枕もと  石川淳
>>〔125〕ばか、はしら、かき、はまぐりや春の雪 久保田万太郎
>>〔124〕ひかり野へきみなら蝶に乗れるだろう 折笠美秋
>>〔123〕自愛の卓ポテトチップは冬のうろこ 鈴木明
>>〔122〕ものゝふの掟はしらず蜆汁   秦夕美
>>〔121〕灯を消せば部屋無辺なり夜の雪 小川軽舟
>>〔120〕冬深し柱の中の波の音     長谷川櫂
>>〔119〕よもに打薺もしどろもどろ哉    芭蕉
>>〔118〕二十世紀なり列国に御慶申す也   尾崎紅葉
>>〔117〕ぽつぺんを吹くたび変はる海の色  藺草慶子
>>〔116〕集いて別れのヨオーッと一本締め 雪か 池田澄子
>>〔115〕つひに吾れも枯野のとほき樹となるか 野見山朱鳥
>>〔114〕完璧なメドベージェワが洟を擤む   秋尾敏
>>〔113〕本の山くづれて遠き海に鮫      小澤實
>>〔112〕とつぷりと後ろ暮れゐし焚火かな 松本たかし
>>〔111〕冬枯や熊祭る子の蝦夷錦      正岡子規
>>〔110〕夢に夢見て蒲団の外に出す腕よ   桑原三郎
>>〔109〕手を入れてみたき帚木紅葉かな   大石悦子
>>〔108〕秋の餅しろたへの肌ならべけり   室生犀星
>>〔107〕どれも椋鳥ごきげんよう文化祭   小川楓子
>>〔106〕古池や芭蕉飛こむ水の音        仙厓
>>〔105〕秋海棠西瓜の色に咲にけり     松尾芭蕉
>>〔104〕幾千代も散るは美し明日は三越   攝津幸彦
>>〔103〕海に出て綿菓子買えるところなし   大高翔
>>〔102〕駅蕎麦の旨くなりゆく秋の風     大牧広
>>〔101〕茄子もぐ手また夕闇に現れし    吉岡禅寺洞
>>〔100〕汽車逃げてゆくごとし野分追ふごとし 目迫秩父

>>〔99〕天高し深海の底は永久に闇     中野三允
>>〔98〕なんぼでも御代りしよし敗戦日   堀本裕樹
>>〔97〕おやすみ
>>〔96〕もの書けば余白の生まれ秋隣   藤井あかり
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>>〔94〕夏痩せて瞳に塹壕をゑがき得ざる  三橋鷹女
>>〔93〕すばらしい乳房だ蚊が居る     尾崎放哉
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>>〔84〕「ワイシャツのアイロンがけをしてほしい」夫に言われた妻の衝撃 片岡絢
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>>〔73〕杜甫にして余寒の詩句ありなつかしき  森澄雄
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>>〔71〕寒天煮るとろとろ細火鼠の眼    橋本多佳子
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>>〔69〕大寒の一戸もかくれなき故郷     飯田龍太
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>>〔54〕みちのくに生まれて老いて萩を愛づ  佐藤鬼房
>>〔53〕言葉がわからないので笑うてわかれる露草咲いてゐる 種田山頭火
>>〔52〕南海多感に物象定か獺祭忌     中村草田男
>>〔51〕胡桃割る胡桃の中に使はぬ部屋    鷹羽狩行
>>〔50〕ビル、がく、ずれて、ゆくな、ん、てきれ、いき、れ  なかはられいこ
>>〔49〕彎曲し火傷し爆心地のマラソン    金子兜太
>>〔48〕蜩やチパナスのあたり雲走る     井岡咀芳
>>〔47〕日まはりは鬼の顔して並びゐる    星野麦人
>>〔46〕わが畑もおそろかならず麦は穂に  篠田悌二郎
>>〔45〕片影にこぼれし塩の点々たり     大野林火
>>〔44〕もろ手入れ西瓜提灯ともしけり   大橋櫻坡子
>>〔43〕美しき緑走れり夏料理        星野立子
>>〔42〕遊女屋のあな高座敷星まつり     中村汀女
>>〔41〕のこるたなごころ白桃一つ置く   小川双々子
>>〔40〕海女ひとり潜づく山浦雲の峰     井本農一

>>〔39〕太宰忌や誰が喀啖の青みどろ    堀井春一郎
>>〔38〕草田男やよもだ志向もところてん    村上護
>>〔37〕水底を涼しき風のわたるなり     会津八一
>>〔36〕棕梠の葉に高き雨垂れ青峰忌    秋元不死男
>>〔35〕谺して山ほととぎすほしいまゝ    杉田久女
>>〔34〕夕立や野に二筋の水柱       広江八重桜
>>〔33〕雲の上に綾蝶舞い雷鳴す      石牟礼道子
>>〔32〕尺蠖の己れの宙を疑はず       飯島晴子
>>〔31〕生前の長湯の母を待つ暮春      三橋敏雄
>>〔30〕産みたての卵や一つ大新緑      橋本夢道
>>〔29〕非常口に緑の男いつも逃げ     田川飛旅子
>>〔28〕おにはにはにはにはとりがゐるはるは  大畑等
>>〔27〕鳥の巣に鳥が入つてゆくところ   波多野爽波
>>〔26〕花の影寝まじ未来が恐しき      小林一茶
>>〔25〕海松かゝるつなみのあとの木立かな  正岡子規
>>〔24〕白梅や天没地没虚空没        永田耕衣
>>〔23〕隠岐やいま木の芽をかこむ怒濤かな  加藤楸邨
>>〔22〕幻影の春泥に投げ出されし靴     星野立子
>>〔21〕餅花のさきの折鶴ふと廻る       篠原梵

>>〔20〕ふゆの春卵をのぞくひかりかな    夏目成美
>>〔19〕オリヲンの真下春立つ雪の宿     前田普羅
>>〔18〕同じ事を二本のレール思はざる    阿部青鞋 
>>〔17〕死なさじと肩つかまるゝ氷の下    寺田京子
>>〔16〕初場所や昔しこ名に寒玉子     百合山羽公
>>〔15〕土器に浸みゆく神酒や初詣      高浜年尾
>>〔14〕大年の夜に入る多摩の流れかな   飯田龍太
>>〔13〕柊を幸多かれと飾りけり       夏目漱石
>>〔12〕杖上げて枯野の雲を縦に裂く     西東三鬼
>>〔11〕波冴ゆる流木立たん立たんとす    山口草堂
>>〔10〕はやり風邪下着上着と骨で立つ    村井和一
>>〔9〕水鳥の夕日に染まるとき鳴けり    林原耒井
>>〔8〕山茶花の弁流れ来る坂路かな     横光利一
>>〔7〕さて、どちらへ行かう風がふく     山頭火
>>〔6〕紅葉の色きはまりて風を絶つ     中川宋淵
>>〔5〕をぎはらにあした花咲きみな殺し   塚本邦雄
>>〔4〕ひっくゝりつっ立てば早案山子かな  高田蝶衣
>>〔3〕大いなる梵字のもつれ穴まどひ     竹中宏
>>〔2〕秋鰺の青流すほど水をかけ     長谷川秋子
>>〔1〕色里や十歩離れて秋の風       正岡子規


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