連載・よみもの

【短期連載】茶道と俳句 井上泰至【第4回】


【第4回】
茶掛け―どうして芸術に宗教が割り込んでくるのか?


「芸術」は人間臭く、「芸能」は抹香臭い

  海の紺ゆるび来たりし仏桑花  清崎敏郎

 今年の夏はベランダのハイビスカスが花をつけた。家内も義母も義父の仕事の関係で、ブラジルが長かった。冬も咲く。こういう花に虚子流の「花鳥諷詠」は無理なので、虚子は「熱帯季題」を例外事項として立てた。たとえば、掲句の「仏桑花」とは、この花が菩薩花ともいわれるために、仏の文字が与えられたのだろうか? 沖縄では死者の冥福を願い、墓地の周辺などにハイビスカスがよく植えられている。沖縄の民俗調査を根拠とした折口信夫の学徒だった敏郎らしい句だが、つまりは、「仏桑花」はお盆の延長線上にある季語で、ハイビスカスとはニュアンスが違う。「仏桑花」は「花鳥諷詠」の外縁にある言葉だが、「ハイビスカス」は「熱帯季題」である。

 今年の夏はベランダのハイビスカスが花をつけた。家内も義母も義父の仕事の関係で、ブラジルが長かった。冬も咲く。こういう花に虚子流の「花鳥諷詠」は無理なので、虚子は「熱帯季題」を例外事項として立てた。たとえば、掲句の「仏桑花」とは、この花が菩薩花ともいわれるために、仏の文字が与えられたのだろうか? 沖縄では死者の冥福を願い、墓地の周辺などにハイビスカスがよく植えられている。沖縄の民俗調査を根拠とした折口信夫の学徒だった敏郎らしい句だが、つまりは、「仏桑花」はお盆の延長線上にある季語で、ハイビスカスとはニュアンスが違う。「仏桑花」は「花鳥諷詠」の外縁にある言葉だが、「ハイビスカス」は「熱帯季題」である。

 私は虚子の例外を認め、あえて事項までたてていく姿勢にこそ興味があるし、感服する。「花鳥諷詠」だけの人でない大きさがあってこそ、「花鳥諷詠」も大切にできるのだと思う。自分の好きな世界ではないから、それは「例外」に過ぎないという姿勢では、虚子の大きさは測れない。虚子はなぜ大きかったのか?そこに「宗教」の問題が横たわる。

 俳句は宗教と実に縁が深い。芭蕉は自分の俳諧の「心」に通じる先達として、和歌では西行、連歌では宗祇、茶道では利休を挙げた。彼らはみな僧か、それに近い処世を生きた人であり、この人たちの世界を理解するには、仏教が必要だ。というより、彼らの「芸」は宗教と一体化している面があるから、近代の「芸術」とは異なる。

 フランス革命以降特に顕著なのだろうが、神を棄てた近代は、人間の個を「人権」という形で、神に近い人間の存在に仕立て、そこで「芸術」という考え方が確立したが、俳諧は本来生活に密着した一種の「芸能」で、宗教と一体化してこれに疑問を持たないどころか、そうあってこそ、無名の職人的奉仕に意義が与えられた面がある。

 結社の主宰の俳句や生き方に憧れ、自分もそうなりたいと思う人々が集う。そこに孜々として無名の俳句が献納されていくあり方は、近代的ルールに従った「組織」「社会」では割り切れない、宗教に近いものを大なり小なり、孕んでいる。そこで、結社の「理念」なるものは、生き方をも含むものにおおむねなりやすい。手元にある俳句一般誌の広告から、結社の宗教度を図る指標は作れそうだが、結社名を挙げた途端、結社の主宰から、私を教祖扱いしたのか!と名誉棄損騒ぎになるから、これくらいで止めておこう。

 虚子は晩年「花鳥諷詠」は自分の信仰だと言ってはばからなかったが、虚子がなぜそこに至りついたのかは、「信仰」では解明されえないことだけは明らかだ。

  明易や花鳥諷詠南無阿弥陀    高濱虚子

  甚平や一誌持たねば仰がれず   草間時彦

俳句は深呼吸――客観写生と禅

 今茶室で掛軸を掲げる風習が定着したのは、利休からだと言われる。絵や漢詩・和歌・俳諧を掛けることもあるが、何といっても禅の僧侶の墨蹟が珍重される。それは先に述べたように、茶道は「道」であって、近代的な芸術ではない証拠である。

 「無事是貴人(ぶじこれきにん)」という禅語がある。「この禅語はどういう意味だと思いますか?」とたずねられた若い頃、「貴人が無事に到着してよかった、なわけはないでいすよね」と不敬にもジョークをぶったことがあり、つくづくお稽古事に向いてない人間だと我ながら思い知った。

「無事是貴人」は唐の禅僧、臨済禅師の有名な言葉で、「無事」は平和や健康といった「安定」の意味ではなく、自分の外に真実を求めようとする心を捨てた人こそ、「無事」であり、貴い人だ、と言う。「皆さんお一人お一人の心の中に『貴人』がいるのですよ」と茶道の先生は語り出し、幼稚園時代通った牧師の説教を思い出して、茶のお稽古は続かなくなった。茶の湯のお稽古も、自分の中にいる「貴人」と出会うためのひとつの方法なのだと、その先生は言いたかったのだろうが。

 晩年の虚子は、俳句も茶室も融通無碍の小宇宙だと言い切ったことは、この連載で紹介した。虚子も、中年期卒中で倒れる前後から、禅語への関心が強くなる。虚子は、一方で文化勲章受章時も、謡を唸っていたというくらいの人だから、世阿弥の言葉は諳んじていたろうし、その背景に禅味があることも理解はしていただろう。その世阿弥の『風姿花伝』奥義の箇所にこういう言葉がある。

  芸能とは、諸人の心を和らげて、上下の感をなさむ事、寿福増長の基、遐齢延年の方なるべし。極め極めては、諸道悉く寿福延長ならん。

 虚子の言う「極楽の文学」を説くヒントが、この辺にありそうだと当たりをつけてはいる。臨済宗相国寺派管長の有馬頼底氏によれば(山中玲子監修『世阿弥のことば一〇〇選』)、禅の世界ではこの世阿弥の言葉を「無事是貴人」というのだという。次の言葉はつづく、という。「但(ただし)造作することなかれ、秖(ただ)是平常なり。」無事であることが最も尊いのだ。けしてはからいの心を持ってはならない、という意味であるという。

 禅語に傾斜しだしてから、虚子が盛んに言う「客観写生」というのも、私はこういう意味だと思いだしている。自分の中にある確たる言いたい世界、歌いたい感情を以て自然から都合のいい風景を選んでくるのでなく、自然の中に溶け込んで出会ったモノから得た感興を詠んでいく。同じような指摘は、最近青木亮人さんが指摘されていて(「小林秀雄『近代絵画』と高浜虚子の「写生」について」『俳句』二〇二三年五五月号)、我が意を得たり、という心境だった。

 むしろ、外見の華やかな、主観によって構成された世界は、「軽薄」と見たのではなかったか?秋櫻子や草城のような、虚子を経由しながら、離反していった俳人たちの「世界」を虚子はそう見ていたのではなかったか?

 利休の茶室は、入り口がごく狭く、庵室も同様で、参加者はごく限られる。イエズス会の神父で、茶の湯を見事に記述したジョアン・ロドリゲスは、「数寄」とは、あらゆる種類の人工的なもの、華麗なもの、見せかけ、偽善、外面的装飾を嫌うことだと喝破した。さすがに日本語の文法書までまとめ上げただけのことはある。

 茶会における美辞麗句の挨拶、大勢の客による見かけの豪奢、酒食をメインとする喧噪や贅沢はこの空間ではすべてそぎ落とされてしまう。世阿弥の「花」も、心の「花」をいい、派手なパフォーマンスとは対極にあるものだった。

 酒とちがって、「茶」は本質的に「覚醒」の飲料である。そこに生まれる「淡い」交流こそ、真の「なごみ」だということになる。虚子の理想もそこにあったのではないか?卒中から回復して春を迎えた時、大地を踏みしめながら、彼はこんななんということはない句を残している。

  鶯の啼いたるあとの物静か   高濱虚子

 伝えによれば、虚子はよくあくびをし、天井を見つめて句案し、俳句は深呼吸のようなものだ、と語ったという。

 私も少し、「道」を説く宗匠めいた言葉を、連ねて過ぎてしまったかもしれない。



【執筆者プロフィール】
井上泰至(いのうえ・やすし)
1961年、京都市生まれ。上智大学文学部国文学科卒業。同大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。博士(文学)。現在、防衛大学校教授。著書に『子規の内なる江戸 俳句革新というドラマ』(角川学芸出版、2011年)『近代俳句の誕生ーー子規から虚子へ』(日本伝統俳句協会、2015年)『俳句のルール』(編著、笠間書院、2017年)『正岡子規ーー俳句あり則ち日本文学あり』(ミネルヴァ書房、2020年)『俳句がよくわかる文法講座: 詠む・読むためのヒント』(共著、文学通信、2022年)『山本健吉ーー芸術の発達は不断の個性の消滅』(ミネルヴァ書房、2022年)など。


【井上泰至「茶道と俳句」バックナンバー】

第1回 茶道の「月並」、俳句の「月並」
第2回 お茶と水菓子―「わび」の実際
第3回 「水無月」というお菓子―暦、行事、季語

井上泰至「漢字という親を棄てられない私たち」バックナンバー

第1回  俳句と〈漢文脈〉
第2回  句会は漢詩から生まれた①
第3回  男なのに、なぜ「虚子」「秋櫻子」「誓子」?
第4回  句会は漢詩から生まれた②
第5回  漢語の気分
第6回  平仮名を音の意味にした犯人


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