ハイクノミカタ

けさ秋の一帆生みぬ中の海 原石鼎【季語=今朝秋(秋)】


けさ秋の一帆生みぬ中の海

原石鼎


「お盆は海に入ったらだめだよ。霊にひっぱられるからね」という迷信を聞いたことのある人は少なくないだろう。わたしも幼いころ耳にしたことがあり、そのときは「大事な伝統行事の日に遊びに行くような人間は、気ままな性格ゆえにうっかり事故にも遭いやすい」といった意味に捉えていた。

けれども近年、夏のあいだじゅう海でおよぐようになって、まことに遅ればせながらこの迷信の真の意味を理解するに至った。

ひとことでいうと8月15日ごろを境に波の性質がはっきりと変わる。土用波と離岸流が多発するためだ。泳いでいると、あれよあれよという間に岸から遠ざかってしまい、それがもう気味悪いったらありゃしない。ニースもちょうど8月15日を境に波が変わり、その3日後、いきなり溺れた。無事に救助されたものの、夜になっても動悸と恐怖がおさまらず、翌朝めざめると、とうに完治したように見えていたチンクイに刺された跡が復活していて、身体中ミミズ腫れになっていた。わたしはエビアレルギーで、もともと炎症反応が派手に出るのだけど、それにしても溺れるとこんなに免疫力が落ちるものなんだとつくづく驚愕してしまった。

 けさ秋の一帆生みぬ中の海  原石鼎

句集『花影』の「海岸篇」より。海は海でもこちらは外海ではなく島根半島の宍道湖中海だ。秋立つ日の海が生んだ、風はらむ白帆。この美しくもなんてことない写生が座五においてあっと驚く佳句に変わるのは「中の海」という語の非凡な風情による。「一帆生みぬ」の音と景が織りなすはつらつとした真新しさもいい。そしてなにより上五・中七・下五が並んだときの韻律の押し引き・上がり下がりの感覚が見事だ。

小津夜景


【執筆者プロフィール】
小津夜景(おづ・やけい)
1973年生まれ。俳人。著書に句集『フラワーズ・カンフー』(ふらんす堂、2016年)、翻訳と随筆『カモメの日の読書 漢詩と暮らす』(東京四季出版、2018年)、近刊に『漢詩の手帖 いつかたこぶねになる日』(素粒社、2020年)。ブログ「小津夜景日記


【小津夜景のバックナンバー】
>>〔46〕おやすみ
>>〔45〕藍を着古し/棚田の/父祖の/翳となる 上田玄
>>〔44〕カルーセル一曲分の夏日陰        鳥井雪
>>〔43〕ひと魂でゆく気散じや夏の原     葛飾北斎
>>〔42〕海底に足跡のあるいい天気   『誹風柳多留』
>>〔41〕ひまわりと俺たちなんだか美男子なり  谷佳紀
>>〔40〕かけろふやくだけて物を思ふ猫      論派
>>〔39〕木琴のきこゆる風も罌粟畠       岩田潔
>>〔38〕蟭螟の羽ばたきに空うごきけり    岡田一実
>>〔37〕1 名前:名無しさん@手と足をもいだ丸太にして返し  湊圭伍
>>〔36〕おやすみ
>>〔35〕夏潮のコバルト裂きて快速艇     牛田修嗣
>>〔34〕老人がフランス映画に消えてゆく    石部明
>>〔33〕足指に押さへ編む籠夏炉の辺     余村光世
>>〔32〕夕焼けに入っておいであたまから    妹尾凛
>>〔31〕おやすみ
>>〔30〕鳥を見るただそれだけの超曜日    川合大祐
>>〔29〕紀元前二〇二年の虞美人草      水津達大
>>〔28〕その朝も虹とハモンド・オルガンで   正岡豊
>>〔27〕退帆のディンギー跳ねぬ春の虹    根岸哲也
>>〔26〕タワーマンションのロック四重や鳥雲に 鶴見澄子
>>〔25〕蝌蚪の紐掬ひて掛けむ汝が首に     林雅樹
>>〔24〕止まり木に鳥の一日ヒヤシンス   津川絵理子
>>〔23〕行く春や鳥啼き魚の目は泪        芭蕉
>>〔22〕春雷や刻来り去り遠ざかり      星野立子
>>〔21〕絵葉書の消印は流氷の町       大串 章

>>〔20〕菜の花や月は東に日は西に      与謝蕪村
>>〔19〕あかさたなはまやらわをん梅ひらく  西原天気
>>〔18〕さざなみのかがやけるとき鳥の恋   北川美美
>>〔17〕おやすみ
>>〔16〕開墾のはじめは豚とひとつ鍋     依田勉三
>>〔15〕コーヒー沸く香りの朝はハットハウスの青さで 古屋翠渓
>>〔14〕おやすみ
>>〔13〕幾千代も散るは美し明日は三越    攝津幸彦
>>〔12〕t t t ふいにさざめく子らや秋     鴇田智哉
>>〔11〕またわたし、またわたしだ、と雀たち 柳本々々
>>〔10〕しろい小さいお面いっぱい一茶のくに 阿部完市
>>〔9〕凩の会場へ行く燕尾服        中田美子
>>〔8〕アカコアオコクロコ共通海鼠語圏   佐山哲郎
>>〔7〕後鳥羽院鳥羽院萩で擲りあふ     佐藤りえ
>>〔6〕COVID-19十一月の黒いくれよん   瀬戸正洋
>>〔5〕風へおんがくがことばがそして葬    夏木久
>>〔4〕たが魂ぞほたるともならで秋の風   横井也有
>>〔3〕渚にて金澤のこと菊のこと      田中裕明
>>〔2〕ポメラニアンすごい不倫の話きく   長嶋 有
>>〔1〕迷宮へ靴取りにゆくえれめのぴー   中嶋憲武



【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • follow us in feedly

関連記事

  1. ビル、がく、ずれて、ゆくな、ん、てきれ、いき、れ  なかはられい…
  2. 木琴のきこゆる風も罌粟畠 岩田潔【季語=罌粟(夏)】
  3. 厚餡割ればシクと音して雲の峰 中村草田男【季語=雲の峰(夏)】
  4. 木の根明く仔牛らに灯のひとつづつ 陽美保子【季語=木の根明く(春…
  5. 東京の白き夜空や夏の果 清水右子【季語=夏の果(夏)】
  6. 厨房に貝があるくよ雛祭 秋元不死男【季語=雛祭(春)】
  7. 麦秋や光なき海平らけく 上村占魚【季語=麦秋(夏)】
  8. もち古りし夫婦の箸や冷奴 久保田万太郎【季語=冷奴(夏)】

おすすめ記事

  1. 流しさうめん池田澄子を逃れくる 水内慶太【季語=冷素麺(夏)】
  2. 【特別寄稿】「十年目に震災句について考える」小田島渚
  3. やつと大きい茶籠といつしよに眠らされ 飯島晴子【無季】
  4. 【冬の季語】忘年会
  5. ほほゑみに肖てはるかなれ霜月の火事の中なるピアノ一臺 塚本邦雄
  6. 【秋の季語】八月
  7. 【書評】鈴木牛後 第3句集『にれかめる』(角川書店、2017年)
  8. 稻光 碎カレシモノ ヒシメキアイ 富澤赤黄男【季語=稲光(秋)】
  9. こんな本が出た【2021年5月刊行分】
  10. 芹と名がつく賑やかな娘が走る 中村梨々【季語=芹(春)】 

Pickup記事

  1. ヨコハマへリバプールから渡り鳥 上野犀行【季語=渡り鳥(秋)】
  2. 北寄貝桶ゆすぶつて見せにけり 平川靖子【季語=北寄貝(冬)】 
  3. 【新年の季語】成人の日
  4. 天窓に落葉を溜めて囲碁倶楽部 加倉井秋を【季語=落葉(秋)】
  5. 【連載】もしあの俳人が歌人だったら Session#12
  6. 綿虫や母あるかぎり死は難し 成田千空【季語=綿虫(冬)】
  7. 【冬の季語】クリスマスケーキ
  8. 【春の季語】鴨帰る
  9. 昼顔もパンタグラフも閉ぢにけり 伊藤麻美【季語=昼顔(夏)】
  10. 【秋の季語】秋分の日
PAGE TOP