メロン割る恋の動悸のようなもの 寺田京子【季語=メロン(夏)】

 第二句集『日の鷹』は、三十四歳から四十五歳までに詠んだ句を収める。後記には「この十年は、社会にはじめて素裸でふれた歳月ともいえる。ないはずのいのちをつなぎとめ、放送ライターの仕事をしながら、世のさまざまをみた」と記されている。

   零下の汽笛今日生き通す声あげて
   くすり使わぬ日々くろがねの嶺枯れる
   白菜洗う死とは無縁の顔をして
   ドラマに死を書きこみ四方霜くるか
   ばら剪ってすでに短命ではあらず
   地下鉄にわれも生きもの咳をして
 極寒の地を走る機関車の汽笛のように今日という日を力強く生き抜こうとする作者。薬を飲まない日々が続き、病床にあった頃が遠い過去のようだ。死とは無縁のような顔となり白菜を洗う。死は自分のものではなくドラマで描く架空のものとなったが、健康体ではなかった。かつては死にゆく自分への供華であった薔薇を剪り、短命と言われる年齢を過ぎたことに気付く。咳も死へ近づく咳ではなく、生きている証となった。

   鷹を飼い十指の先より朝くるか
   主婦の名が縛す友の背鷹がとぶ
   頭上よりシャワーみえざる鷹が飛ぶ
   鷹がとぶ十月雪ふり種子降るように 
   日の鷹がとぶ骨片となるまで飛ぶ
   冬の鷹二つ耳もち生き残る
   鷹の剥製夜は飛びたつ青胡桃
   鷹は旅へ女に水の透き通り
 句集には鷹の句が多い。実際の景としての鷹の句もあるが、心象風景としての鷹として捉えるべき句もある。〈鷹を飼い〉の句は、鷹匠を詠んでいるのだが、自身の心の中で飼っている鷹にも思える。主婦という肩書に縛られた友人の背に飛ぶ鷹は、自由の象徴だろう。シャワーを浴びながら飛ばす〈みえざる鷹〉も心の鷹である。種子を降らすように飛ぶ鷹は希望のようでもある。〈骨片となるまで飛ぶ〉〈日の鷹〉は、病を持ちながら必死で生きる自分自身だ。〈生き残る〉〈冬の鷹〉も両親を失った自分自身のこと。鷹は剥製になっても夜には夢の中で飛び、自在に旅をするのだ。鷹は命を繋いだ自分の憧れや希望でもあり、自分自身でもある。

   雪降ればすぐに雪掻き妻なき父
   ねむりいて耳が孤独よ雪夜の父
   凧とぶや僧きて父を失いき
   父は死者離れきし位置煖炉燃ゆ
 仕事を得て旅行も楽しめるほどまでに快復した一方で、父の死という悲しみが襲う。母の死後、作者を支えてくれた父であったがその姿は寂しげでもあった。葬儀のために僧侶を呼んだ時に父の死を実感する。

   愛するためふたつ眼をもつ冬林檎
   会いたくて会うほかはなし海見る桜
   手袋合掌させて蔵いし会いたきなり
   ひとの夫欲しと青麦刈られおり
   緑噴きあげし山脈妻になれず
 第二句集に見える激しい恋の句。放送作家としての創作上の恋なのか、恋に対する憧れから詠んだ句なのか、本当に恋をしたのか。身体感覚を用いた表現により、リアルに感じられる。〈ふたつ眼をもつ〉とは、二つの眼を見開いて相手を目で追っているということだ。〈冬林檎〉が甘酸っぱい。〈会うほかはなし〉と決めつけるほどの激しい想い。と同時に会ってはいけない相手であることを匂わす。足袋同様に二つ一組の手袋を合掌させて会いたいと願う。〈ひとの夫欲し〉という表現はドラマチックであり、創作の匂いがする。黄色になる前に刈られてしまう〈青麦〉は、恋が熟す前に阻まれたことを意味するのだろうか。それとも若くして死ぬ運命にあった自分への比喩であろうか。麦畑が逢瀬の場であることを考えると隠れるべき青麦が刈られてしまい、逢えなくなったということか。〈妻になれず〉とは、折からの結婚願望から生まれた表現にも見えるが、結婚できない相手との恋のようにも見える。〈緑噴きあげし山脈〉もまた激しい恋の表現である。

   百合一輪からだ燃ゆるは簡単に
   恋始まるごとき雪暁わがバス発つ
   樹氷林男追うには呼吸足りぬ
   傷だらけの屋根あり生涯恋をして
   ひかりたんぽぽ生まれかわりも女なれ
 簡単に燃えてしまうからだとは、発熱するということではないだろう。〈百合一輪〉という季語から女の情欲を意味していることが分かる。〈雪暁〉に恋の始まりを予感する。〈わがバス〉とは、実際のバスであると同時に心のバスでもある。恋の旅は始まってしまったのだ。だけれども追いかけるには〈呼吸足りぬ〉。恋をするのにはエネルギーが要る。胸部疾患の作者は、実際に呼吸が苦しかった。病気を抱えたままで恋を持続させることが難しかったのだろう。それでも傷つきながら恋をした。〈傷だらけの屋根〉の句は無季である。屋根の上で闘う恋猫の描写のようにも見える。札幌という土地を考えると雪かきのために傷だらけになった屋根ともとれる。〈生涯恋をして〉とは、結婚をしないから生涯恋をし続けるということではないだろうか。そして、恋をする年齢のまま死んでゆくという予感でもある。だけれども恋は楽しかった。〈生まれかわりも女なれ〉と詠んだのだから。女の幸せを知ったのだ。

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