麒麟さんと
久留島元
(関西現代俳句協会青年部長)
のっけから恐縮だが、少し自己紹介を。私は神戸の出身で、高校時代に俳句甲子園をきっかけに俳句をはじめた。その後、京都の大学に通い、今も京都の大学に職を得ている。
関西から調べものや学会で東京へ出るときには、俳句の友だち、特に西村麒麟さんに声をかける。いつからかそれが恒例になっている。ほかの友だちが結婚したり仕事で忙しくなったりして誘いにくくなるなか、麒麟さんはいつも気軽に、機嫌よく応じてくれ、そのたびに誰々を呼ぼう、どこそこへ行こう、と気を使って手配してくださる。ありがたい句友、というより酒友である。
当人の書いた文章を読むと、あれができぬこれができぬとおよそ社会不適合者、無能人のように装っているが、少なくとも飲み会のセッティングについては周到であり、またなにより気遣いの人であるから、任せておけば安心である。そのうえかたわらに敏腕マネージャーA子さんがついているので、なお百倍安心である。もちろん麒麟さん(とA子さん)が関西に来るときはこちらが一席設ける。かくして、パンデミック前には年に数回は必ず麒麟さん(とA子さん)に会い、会えばここでは書けない俳句世間のあれこれ話を肴に酒を飲み、おおいに管を巻くのが常であった。
銀漢亭へは、その麒麟プロデュースの席で、二度ほどお邪魔したことがある。関西の人間を紹介しようという心遣いだろう、はじめて行ったときは阪西敦子さんや佐藤文香氏が一緒だったのではないか(別の店の記憶だったらごめんなさい)。
キャッシュオンデリバリーの形式に慣れておらず、お店のおすすめもわからないまま麒麟さんに任せていたら、麒麟さんは酒の席では至って少食になる質だから、食事の注文が少なめに終わった。酒だけはどんどん入れたのでおおいに酔っ払い、なんとか宿へたどり着いて、翌朝、空腹で目を覚ましたことを覚えている。どうにも我慢できず、宿を出て早朝の吉野家に駆け込み、出勤前のサラリーマンに混じって大盛り牛丼をかきこんだ。麒麟さんの気遣いは酒を飲むまでと学んだ。
二度目は、これも麒麟さんと東京で飲んでいた時、句会の二次会をやっているとかで銀漢亭に合流することになったのではなかったか。どなたのなんであったか、失念している。申し訳ない。とにかく合流し、テーブルからテーブルへ、グラスを持ってふらふら訪ね歩き、酔眼朦朧としながら、いったい誰のどの籠から酒代が払われているのかと心配になったことだけ覚えている。私にとって銀漢亭は、とにかく記憶を失うところであった。
ところでこのたび、拙文を書くにあたり改めて公開されている「銀漢亭のあったころ」をいくつか拝読したのだが、実に西村麒麟の登場回数が多い。店員でもないのに、ほとんど身内のようだ。
関西では、句会や勉強会など結社をこえたつきあいはかなりあるが、銀漢亭のように、いつも覗けば誰かに会える、次々出会える、というような場はあまり聞かない(私が知らないだけかも)。それぞれのグループの行きつけの店が分かれているのだと思う。
だから東京のサロン的雰囲気はうらやましくもあり、少し敷居が高くも感じる。銀漢亭の皆さん、今度はぜひ、関西でもお会いしましょう。
【執筆者プロフィール】
久留島元(くるしま・はじめ)
1985年生まれ。もと「船団の会」会員、現在、関西現代俳句協会青年部長。共著『関西俳句なう』(本阿弥書店)など。
【神保町に銀漢亭があったころリターンズ・バックナンバー】
【12】飛鳥蘭(「銀漢」同人)「私と神保町ーそして銀漢亭」
【11】吉田林檎(「知音」同人)「銀漢亭なう!」
【10】辻本芙紗(「銀漢」同人)「短冊」
【9】小田島渚(「銀漢」「小熊座」同人)「いや重け吉事」
【8】金井硯児(「銀漢」同人)「心の中の書」
【7】中島凌雲(「銀漢」同人)「早仕舞い」
【6】宇志やまと(「銀漢」同人)「伊那男という名前」
【5】坂口晴子(「銀漢」同人)「大人の遊び・長崎から」
【4】津田卓(「銀漢」同人・「雛句会」幹事)「雛句会は永遠に」
【3】武田花果(「銀漢」「春耕」同人)「梶の葉句会のこと」
【2】戸矢一斗(「銀漢」同人)「「銀漢亭日録」のこと」
【1】高部務(作家)「酔いどれの受け皿だった銀漢亭」
【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】
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