谷岡健彦の「秋櫻子の足あと」

秋櫻子の足あと【第11回】谷岡健彦


秋櫻子の足あと
【第11回】(全12回)

谷岡健彦
(「銀漢」同人)


 わたしが初めて逃水を目にしたのは、夏休みの家族旅行のときだったと思う。父が運転する車の助手席に座っていると、雨が降ったわけでもないのに、前方のアスファルトの路面にきらきらと光る水たまりのようなものが見えたのである。以来、わたしの頭のなかでは逃水は夏と結びついていたので、俳句を始めて逃水が春の季語となっていることに驚いた。また、舗装の行き届いた道路で見える現象だと思い込んでいたから、古来、草深い武蔵野の名物とされてきたのは意外だった。

 武蔵野は、『万葉集』の東歌以来の歌枕である。山本健吉監修の『地名俳句歳時記』(中央公論社)の解説には「露・霜・風・月などとともに歌われ、寂しい風情を象徴する歌枕であった」とあり、作例として藤原俊成女の<武蔵野や草の原こす秋風の雲に露散る行末の空>という和歌が引かれている。赤坂憲雄が『武蔵野をよむ』(岩波新書)に記しているように、中世までの武蔵野は荒涼とした野原だったのである。

 江戸時代の新田開発が、武蔵野の風景を徐々に変えてゆく。明治時代の武蔵野は、もはや寂しい野原ではなく、田畑や人家が点在する雑木林となっていた。そこに新しく詩趣を見出したのが、国木田独歩である。独歩は『武蔵野』に次のように記している。「昔の武蔵野は萱原のはてなき光景を以て絶類の美を鳴らしていたように言い伝えてあるが、今の武蔵野は林である」。しかも、その林の大半が落葉林であることが、武蔵野をいっそう魅力的にしていると独歩は説く。作中でとくに印象深く描かれるのは、晩秋から初冬にかけての情景だ。「半ば黄ろく半ば緑な林の中に歩て居ると、澄みわたった大空が梢々の隙間からのぞかれて日の光は風に動く葉末々々に砕け、その美さ言いつくされず」。

 ここで注目したいのは、独歩の筆致である。上に引用した箇所のように、自分が実際に見たものをつぶさに書きとめようとしているのが目を引く。藤原俊成女の和歌と比べてみるとよい。独歩にとって、武蔵野はあくまでも現実の風景であり、たんなる「寂しい風情を象徴する歌枕」ではなかった。既成の美意識を踏襲するのではなく、ありのままの自然を活写すること――独歩と同年代の正岡子規が提唱した言葉を借りるならば、小説『武蔵野』は、古くから歌枕として詠まれてきた土地の風景を「写生」の手法をもって描き直す試みだったとも言えるかもしれない。

 秋櫻子もまた武蔵野を愛し、その美の写生に取り組んだ者のひとりである。武蔵野と葛飾は、初学のころの秋櫻子のお気に入りの吟行地であった。忙しい医学研究室の仕事の合間を縫って、気軽に足を運べたからだろう。「朝起きて青い空を見ると私は句帖をポケットに入れて家を出、荻窪あたりを歩き廻ってから研究室へ行った」という一節が、ホトトギス在籍時の思い出を綴った『高浜虚子 並に周囲の作者達』のなかに見える。すでにこの連載の第1回に<初日さす松はむさし野にのこる松>という句を取り上げたが、武蔵野の地名を詠み込んだ秋櫻子の句では、次の方がよく知られているだろう。

 むさしのの空真青なる落葉かな

 第一句集『葛飾』に収録されている1926年作の句だ。多くの歳時記に「落葉」の例句として掲載されているほか、平井照敏編集の『俳枕』(河出書房新社)では「武蔵野」の作例に挙げられている。秋櫻子の初期の代表作である。

 晴れわたった空の青、その空を背景にして日の光を浴びながら落ちてくる葉の赤や黄といった配色の鮮やかさにまず目を奪われる。それも淡い水彩ではなく、幾重にも塗り重ねられた油彩の色合いだ。たしかに、北国とはちがって東京の初冬は、この句のように明るい。いっさい音についての言及がないことが、逆に読み手の聴覚を鋭敏にさせるのだろうか。地面の落葉を踏む作者の足音まで聞こえてくるようだ。

 興味深いのは、掲句に描かれている情景自体は、高浜虚子の<遠山に日の当りたる枯野かな>のそれとたいして変わらないことだ。秋櫻子も虚子も、冬枯れの山の裾野を詠んでいる。しかし、句から受ける印象はずいぶんちがう。ふたりの景色の切り取り方が対照的だからだろう。川名大は『現代俳句』(ちくま学芸文庫)のなかで、虚子が「水平」に事物を配置しているのに対し、秋櫻子は「垂直」の向きに並べていると指摘している。同じような冬景色を題材としながら、虚子は遠くの山に目をやり、秋櫻子は葉の落ちた枝の先の空を仰いでいるのである。わたしは、ここにふたりの俳句に関わる姿勢の相違が端的に表われているような気がしてならない。虚子は、あくまでも自分の足元と地続きの地平に視線を向けている。一方、秋櫻子の目に映っているのは、人間の手の届かない天だ。俗世間から目を離さない虚子に対して、秋櫻子は理想の美を虚空に希求するのである。

 この句の碑は、西武線の飯能駅から徒歩15分ほどのところにある観音寺の境内に建っている。いくら独歩の小説の冒頭に「武蔵野の俤は今纔に入間郡に残れり」と書かれているにせよ、中央線沿線で詠まれたと思しき句の碑が飯能にあるのは意外だ。お寺の方に建立の経緯を尋ねてみたのだが、「もう昔のことで、わからなくなってしまいました」という申し訳なさそうな答えが返ってきただけだった。まるで武蔵野の奥深くまで逃水を追ううちに、その行方を見失ってしまったような気がする。


【執筆者プロフィール】
谷岡健彦(たにおか・たけひこ)
1965年生まれ。「銀漢」同人。句集に『若書き』(2014年、本阿弥書店)、著書に『現代イギリス演劇断章』(2014年、カモミール社)がある。


【「秋櫻子の足あと」のバックナンバー】
>>【第10回】手のひらのわづかな日さへ菊日和
>>【第9回】門とぢて良夜の石と我は居り
>>【第8回】素朴なる卓に秋風の聖書あり
>>【第7回】ナイターの光芒大河へだてけり
>>【第6回】もつれあひ影を一つに梅雨の蝶
>>【第5回】麦秋の中なるが悲し聖廃墟
>>【第4回】馬酔木より低き門なり浄瑠璃寺
>>【第3回】来しかたや馬酔木咲く野の日のひかり
>>【第2回】伊豆の海や紅梅の上に波ながれ
>>【第1回】初日さす松はむさし野にのこる松



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