谷岡健彦の「秋櫻子の足あと」

秋櫻子の足あと【第9回】谷岡健彦


秋櫻子の足あと
【第9回】(全12回)

谷岡健彦
(「銀漢」同人)


いまから15年ほど前、八王子に住んでいたことがある。そのころ、高尾にキャンパスがある大学に勤務していたためだ。当時、八王子は駅の北側と南側で賑やかさにずいぶんちがいがあって、比較的家賃の安い南側に部屋を借りた。60万近い人口の都市だし、中央特快に乗れば新宿から40分ほどの距離だから、不便を感じたことはあまりない。ただ、都心で飲んでいるときに、友人から少しの悪意もなく「今度いつ東京に出てくるんだ」と尋ねられて、苦笑いをさせられたことはよくあった。

1945年4月の空襲で神田の自宅を焼失した秋櫻子は、以後、1954年までの9年間、八王子で暮らすことを余儀なくされる。仮寓を構えたのは中野町、現在の住所表示で言えば暁町だ。JR八王子駅の北口を出て繁華街を通り抜け、浅川を渡った先に広がる閑静な地区である。早足で歩いても、駅から20分以上かかるのではなかろうか。神田で生まれ育った秋櫻子にとっては、辺鄙な場所に引っ越してきたという思いがさぞ強かったことだろう。ことに八王子の冬の厳しさは、寒さの苦手な秋櫻子にはこたえたらしい。「浅川にかかる長い橋の上で、吹雪にあったりすると、それを渡りきることさえ容易ではなかった」と、後年、日本経済新聞に連載した「私の履歴書」のなかで回想している。

終戦の年の秋、つまり八王子に移り住んで最初の秋に、秋櫻子は次のような句を詠んでいる。

  門とぢて良夜の石と我は居り

1948年刊行の第八句集『重陽』のなかの一句である。全集第17巻所収の「夜々の月」と題された随筆によれば、この年、秋櫻子は中秋の名月から寝待月まで一晩ずつ月を俳句に詠んでみようと思い立ったらしい。十五夜は、知人との月見から帰宅した後、庭に椅子を持ち出して句を案じ始めたそうだ。秋櫻子の目を引いたのは、月光にくっきりと浮かぶ庭石であった。秋櫻子自身の言葉を随筆から引用しよう。「この庭には割合によい石が二十ほどもあり、かえってわずらわしいほどであるが、月光がよい具合に繁雑な感じを薄らげてくれた」。ちなみに、あくる十六夜にも秋櫻子は<十六夜や鉢なる蓮の露こぼれ>という佳吟を得ている。

このように随筆に記された作句の背景を読むと、終戦直後の混乱期にもかかわらず、秋櫻子は風雅な遊びに興じていたように思われるかもしれない。しかし、良夜の句が与える印象はあまり楽しげなものではない。門を閉ざして来客を断ち、せっかくの名月を生命の通わない石と眺めているというのである。戦時中、秋櫻子は神田の自宅と病院を失ったほか、次男には病気で先立たれ、「馬酔木」は休刊とせざるをえなくなっていた。八王子の閑居で、ひとり月明りの下、彼が見つめていたのは胸中の喪失感ではなかったか。最近、増補新装版が出版された『証言・昭和の俳句』(黒田杏子編、コールサック社)所収の草間時彦の回想によれば、当時、秋櫻子は俳壇から戦争協力者として攻撃を受けてもいたという。名月を詠みながらも、影の濃い句である。

もちろん、外光あふれる自然詠を好む秋櫻子のことだ。八王子で暗い内省的な句ばかりを吟じていたわけではない。先に引いた「私の履歴書」にも、冬以外の季節はなかなかよいことがしだいにわかったと記している。<梅花村四五戸と見しが尾の上にも>と、裏山を越えて五日市方面へ足を伸ばし、農家の庭先に咲く梅を見物したり、八王子周辺には黄色い春の花が乏しいと知ると、弟子に頼んで蒲公英の絮を持って来てもらったりしたらしい。おかげで、「喜雨亭」と号した秋櫻子の自宅の庭は、<碧天や喜雨亭蒲公英五百輪>と詠めるほどになったという。なかでも特筆すべきは、この時期に秋櫻子の生涯の代表句とも言える<冬菊のまとふはおのがひかりのみ>が作られたことだろう。この句の碑は、いま暁町の名綱神社の境内に建っている。

名綱神社にある秋櫻子の句碑=筆者提供=

また、八王子に住んでいた時代に秋櫻子の句の幅が広がったことも記しておかねばなるまい。家族を題材とした人事句がちらほらと目につくようになるのである。そのきっかけとなったのは、1953年の秋にしづ夫人が10日間ほど病臥をしたことだろう。1954年に刊行された第十二句集『帰心』には、「妻病む」という一節が設けられ、夫人が床に臥してから恢復するまでを詠んだ作が七句収められている。七句のなかでは<妻病めり秋風門をひらく音>が世評が高い。自句自解に「結局十日ほどで癒ったけれど、一時の心配は大きかった」とあるが、秋櫻子の感じた心細さが門を開く秋風(秋櫻子は「シュウフウ」と読ませている)にうまく託されている。

しかし、わたしは<妻癒えて良夜我等の影並ぶ>の方に心が惹かれる。8年前の良夜の句と比較してみるとよい。終戦直後、名月を仰ぐ秋櫻子の傍らには石しかなかったが、今回はしづ夫人が寄り添っている。このように少し視野を広げて考えれば、「癒えた」のは夫人だけではないことが見えてくるだろう。苦しい時期を乗りこえた老夫婦の充足が伝わってくる佳句である。

この原稿の執筆のために八王子の秋櫻子の句碑を訪ねた後、ひさしぶりに駅の南口へと回ってみて驚いた。以前は小さな青果店が一軒あるだけの殺風景な駅前だったのに、高層商業ビルが建っているのである。不況の続く現在、これだけ大規模な再開発が可能な都市は東京都にしかあるまい。いつぞやの飲み友達に八王子を案内してやりたくなった。


【執筆者プロフィール】
谷岡健彦(たにおか・たけひこ)
1965年生まれ。「銀漢」同人。句集に『若書き』(2014年、本阿弥書店)、著書に『現代イギリス演劇断章』(2014年、カモミール社)がある。


【「秋櫻子の足あと」のバックナンバー】
>>【第8回】素朴なる卓に秋風の聖書あり
>>【第7回】ナイターの光芒大河へだてけり
>>【第6回】もつれあひ影を一つに梅雨の蝶
>>【第5回】麦秋の中なるが悲し聖廃墟
>>【第4回】馬酔木より低き門なり浄瑠璃寺
>>【第3回】来しかたや馬酔木咲く野の日のひかり
>>【第2回】伊豆の海や紅梅の上に波ながれ
>>【第1回】初日さす松はむさし野にのこる松



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