【連載】もしあの俳人が歌人だったら Session#3

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【新連載】
もしあの俳人が歌人だったら
Session#3


気鋭の歌人のみなさまに、あの有名な俳句の作者がもし「歌人」だったら、どう詠んでいたかを想像(妄想)していただく企画。あの名句を歌人はどう読み解くのか? 今月の回答者は、三潴忠典さん・服部崇さん(「心の花」)・鈴木晴香さん(「塔」)の御三方です。俳句の「読み」の新たなる地平をご堪能ください。


【2021年6月のお題】

じゃんけんで負けて蛍に生まれたの

  池田澄子


【作者について】
池田澄子(1936-)は、神奈川県鎌倉市生まれ。父の出征のため父の郷里である新潟県村上市に疎開し、10代より結婚まで新潟市に居住。30代後半で俳句に出会い、のちに三橋敏雄に師事。口語脈を自在に駆使しながら「思い=気持」を17音のなかで伝えるための方法を追求。2021年に刊行された『此処』で、第72回読売文学賞(詩歌俳句賞)、第21回現代俳句大賞を受賞した。


季語は「蛍」(夏)。闇夜の明滅は「はかなさ」を感じさせるところから、俳句でも人気のある季語のひとつです。「蛍の光」(蛍雪の功)や「火垂るの墓」のみならず、小説でいえば、谷崎潤一郎の「細雪」や宮本輝の「螢川」などでもモティーフになっています。たいへんな文化的昆虫なのであります。

遡ってみると「蛍」はすでに日本書紀に登場しています。しかしなんとそこでは「正義」の象徴として描かれていました。平安期に中国文化が取り入れられると、二十四節気・七十二候も貴族の教養となります。そのなかにあるのが「腐草為蛍(ふそうほたるとなる)」。草が腐って蛍になるってすごい発想ですよね。この候は、6月中旬(ちょうど田植えが終わって梅雨に入ったころ)ですから、気温も湿度もなかなかの時期ということになります。

そんなわけで、和歌でも「蛍」は詠まれてきました。もっとも有名なのは、和泉式部の〈物思へば沢の蛍もわが身よりあくがれ出づる魂かとぞ見る〉でしょう。詞書に「男に忘れられて侍りけるころ」とあるように、蛍は恋心と重ねて詠まれることが「定番」でした。俳句では、桂信子(1914-2004)の〈ゆるやかに着て人と逢ふ蛍の夜〉、飯島晴子(1921-2000)の〈蛍の夜老い放題に老いんとす〉、細見綾子(1907-1997)の〈蛍火の明滅滅の深かりき〉が有名です。

 これらの句が大人の誠実なエロスを感じさせるのに対し、掲句はあっけらかんとしています。何よりも「じゃんけんで負けて」という前半部の現実でもよくある設定が、後半の「蛍に生まれたの」という告白によってひっくり返されるのが魅力。大胆な告白によるどんでん返し。どこか煙に巻かれなような、狐につままれたような、膝をかっくんされたような印象さえあります。

しかし、単に「軽い」だけではありません。なぜなら、その蛍はかつて「人間」だったわけで、けっして幸せな人生を送ったわけでも、幸せな死を迎えたわけでもなさそうだからです。戦争や災害、あるいは成就しなかった恋、いろいろな解釈が可能ですが、このサバサバとした語り口の裏側には、深いかなしみやさびしさを思わずにはいられません。口語を使うと俳句は軽くなると思いがちですが、池田澄子の句にはアイロニーがあり、うしろには「重さ」が控えています。

俳句では、「生まれたの」の背後に潜む情念は、描く余裕がありません。それは先の信子・晴子・綾子の句を見てもそうです。では、俳句は何を描くのか。池田澄子はある文章のなかで、「感慨を描く寸前」の「気持を全く書き加えない冷静」という言葉を使って、高濱虚子の美学を言い換えています(『高浜虚子の世界』角川学芸出版、2009年、69頁)。それは、一見すると「冷徹な心情」に見えますが、じつは「はちきれんばかり」の思いが込められているのではないか、と。

恋人に捨てられたり、裏切られたり、傷つけられたりするとき、なかなか冷静ではいられません。遠い過去のことを思い出してしまって、からだが熱くなってきてしまうこともあるでしょう。しかし、ある種の恋愛小説や戯曲のように、報復のごとく情念を相手にぶつけるというやり方は、憂さ晴らしにはなっても「解決」にはならない可能性があります。かといって、泣き寝入りするのともちがいます。情念が深いときこそ肩の力を抜く。

そういう「解決」の道を、池田澄子さんのアイロニズムは教えてくれているのかもしれません。


哲学の道で蛍を見る、というのを結局できなかった。学生時代、歩いて十分そこそこのアパートに住んでいたのだが、五月、六月はなんだかんだ忙しくて、気が付いたら梅雨が明けて、前期試験が始まっていた。一度だけ意を決して向かったら、まんまと土砂降りに遭った。

初めて京都で蛍を見たのは、吉岡太朗さんの誘いで下鴨神社へ行ったときだ。境内に蛍を放つイベントがあるので、京大短歌のメンバーで見に行ったのだ。幻想的な夏の夜を期待したのだが、蛍のコンディションが良くなかったのかほとんど飛んでおらず、草葉の陰で弱々しく光るのを、人だかりの隙間からかろうじて見つけた。それでも京都の夏に蛍を見れたというちょっとした高揚感があった。

ほうたるのひかり追いつつ聞くときにルシフェラーゼは女の名前 永田紅

帰り道、百万遍の交差点の横断歩道を渡るとき、この歌をつぶやいた人がいた。別の人が、ルシフェラーゼは酵素の名前でしょう、と苦笑いした。


鬼ごっこ。誰しも子供の頃に遊んだ記憶があるだろう。僕は鬼ごっこにあまり良い記憶がない。最初の鬼はじゃんけんで決める。じゃんけんをして負けたら鬼になる。じゃんけんが弱かった僕はよく鬼になった。かけっこが遅かった僕はそのまま鬼から抜けられなかった。

掲出句ではじゃんけんに負けたら蛍になる。「蛍ごっこ」を子供の頃に遊んでいたら、じゃんけんが弱かった僕はきっと蛍にされて蛍のままにその一日を終えただろう。翌日もその翌日も。蛍になって一生を送ることが今よりも幸せだったかどうか。

蛍は、成虫だけでなく、卵に生まれたときから、幼虫のときも蛹のときも、発光することが知られている。なぜなのかは知られていない。それは恋をするための予行演習なのだろうか。あるいは何かを訴えようとしているのだろうか。

蛍の発光器では、ルシフェリンがルシフェラーゼと出会い、科学反応を起こして光を放つ。ただそれだけのようだ。蛍の光は熱くならない。蛍は冷たい光を出し続ける。


ある日のできごと――例えば、むかし旅行に行ったときのこととか—を思い出そうとすると、それは細かな断片に切り取られていて、残りはきれいに捨てられてしまっている。確かにエッフェル塔に行ったのに、どうやって帰ってきたのかわからない。空港のベンチにある電源プラグで携帯電話を充電したことは覚えているけれど、それからどこへ行ったんだろう、というように。誰が勝手に編集したのか。私自身には記憶の編集権を与えられていないし、取捨の基準はことの大小ではないらしい。私の記憶は、正しく織られた生地なんかではなく、めちゃくちゃに切り貼りされた切り絵でできているのである。

いままで何度じゃんけんをしただろう。二人でしたこともあれば、輪になってしたこともある。だけど、なんのために誰としたじゃんけんだったのか、肝心なことはどこかへ消えてしまった。残っているのは、開いたり閉じたりした手の感覚だけ。負けたかどうかは覚えていない。


【今月の回答者】

◆三潴忠典(みつま・ただのり)
1982年生まれ。奈良県橿原市在住。博士(理学)。競技かるたA級五段。競技かるたを20年以上続けており、(一社)全日本かるた協会近畿支部事務局長、奈良県かるた協会事務局長。2010年、NHKラジオ「夜はぷちぷちケータイ短歌」の投稿をきっかけに作歌を始める。現在は短歌なzine「うたつかい」に参加、「たたさんのホップステップ短歌」を連載中。Twitter: @tatanon
(短歌なzine「うたつかい」: http://utatsukai.com/ Twitter: @utatsukai

◆服部崇(はっとり・たかし)
心の花」所属。居場所が定まらず、あちこちをふらふらしている。パリに住んでいたときには「パリ短歌クラブ」を発足させた。その後、東京、京都と居を移しつつも、2020年まで「パリ短歌」の編集を続けた。歌集『ドードー鳥の骨――巴里歌篇』(2017、ながらみ書房)
Twitter:@TakashiHattori0

◆鈴木晴香(すずき・はるか)
1982年東京生まれ。慶應義塾大学文学部英米文学専攻卒業。塔短歌会所属。雑誌「ダ・ヴィンチ」の連載「短歌ください」への投稿をきっかけに短歌を始める。歌集『夜にあやまってくれ』(書肆侃侃房)Readin’ Writin’ BOOKSTOREにて短歌教室を毎月開催。この夏、第2歌集を出版予定。
Twitter:@UsagiHaru

【来月の回答者は野原亜莉子さん、上澄眠さん、鈴木美紀子さんです】



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