秋櫻子の足あと
【第8回】(全12回)
谷岡健彦
(「銀漢」同人)
境川上という俳人の名を耳にしたことがおありだろうか。「馬酔木」の1948年1月号に、彼の句が掲載されている。胸を病む人だったのだろう。「妻に」という前書をつけて<血をはいて百舌きく顔をかなしむや>と詠んだ句が目をひく。なかなかの技量の持主だと思うのだが、その後、彼の名前が俳壇はおろか「馬酔木」のなかでも取り沙汰されることはなかった。それもそのはずで、境川上とは当時、江東区砂町の境川に住んでいた石田波郷の別名だったのである。前掲の「百舌」の句は、<血を喀いて鵙きく顔をかなしむや>という表記で『惜命』に収められている。
戦時中、「馬酔木」を離れていた波郷だったが、1948年3月、同人に復帰する。相馬遷子に宛てた手紙には、肺結核が悪化して死も覚悟せざるをえなくなり、「馬酔木」の同人として死にたいと思ったのが復帰の理由だと書かれている。そこでまず1月号に名前を変えて投句をしてみたのだろう。ちょうど、このころ山口誓子が「天狼」創刊のため、橋本多佳子ら多数の有力同人を連れて「馬酔木」を脱退しているから、秋櫻子にとっては愛弟子が戻ってきたことはさぞ心強かったにちがいない。
しかし、「馬酔木」に復帰した後も波郷の病状は一進一退が続き、その年の秋に手術を受けることになった。肋骨を切除して外から肺の空洞を押しつぶす胸成形手術である。驚かされるのは、波郷が手術台での苦しい体験を冷徹な目で見つめ、格好の句材としていることだ。<たばしるや鵙叫喚す胸形変>からは、局部麻酔を打たれ、担当医が「執刀」と口にするのを聞いてもなお、佳句を得んと五感を研ぎ澄ましている波郷の姿が目に浮かぶ。
手術を終えて担送車で病室へと運ばれる途中、波郷は、自分を心配そうに見守っている顔が廊下にいくつも並んでいるのを見る。<秋の暮水原先生もそこにゐき>。自句自解に作者自身が記しているように、俳句としての独立性に欠け、事情を知らない一般読者には意味がわからない一句である。しかし、この句を波郷が句集『惜命』に残していることに注目したい。手術を受ける弟子のために、秋櫻子がわざわざ病院にまで足を運んでくれたことが、波郷はよほどうれしかったのである。
この大手術から4年後の1952年、ようやく体力を取り戻しつつあった波郷を、秋櫻子は旅吟に誘う。宿泊先は、堀口星眠が軽井沢に借りていた森の家で、ほかに大島民郎と相馬遷子が同行した。3名とも「馬酔木」では高原派と呼ばれていた俳人たちである。波郷にとっては、これが手術後初めての汽車旅行だったらしい。肺活量が1500 ccほどしかないから、波郷の足はしぜんと遅れがちになる。<泉への道後れゆく安けさよ>が詠まれたのは、この吟行の折である。
一方、秋櫻子たちは深夜まで精力的に歩き回ったようだ。夜も11時を過ぎてから、みんなで懐中電灯を持って俳句を作りに出かける。宿に戻ってくれば、句会となるのが当然だ。披講が終わった後も、おたがいの句についての批評が続き、床に就いたときには午前2時を回っていたという。
翌朝、一行は旧軽井沢銀座通りの裏にある聖パウロカトリック教会を訪ねている。そこで秋櫻子が詠んだのが次の句だ。
素朴なる卓に秋風の聖書あり
この年の12月に刊行された第十一句集『残鐘』所収の句である。ちなみに、この句集の版元となっている竹頭社を経営していたのは波郷夫妻だ。きっと売れない本ばかり出していたであろう零細出版社にとって、秋櫻子の句集の売上げは、まさに旱天に慈雨のごときものだったにちがいない。このあたりにも、秋櫻子の波郷に対する心遣いがうかがえる。
聖パウロカトリック教会は、傾斜の強い三角屋根が印象的な教会だ。この連載の第5回で取り上げたように、秋櫻子はこの年の初夏に長崎を旅している。大浦天主堂など荘重な教会建築を見物してきたばかりの秋櫻子には、避暑地の教会の小ぢんまりとした佇まいが逆に新鮮に映ったにちがいない。中に入ると、屋根を支える太い剥きだしの丸太の柱が目に入る。祭壇の装飾にしても信者が腰掛ける椅子にしても、凝ったところは少しもない。信仰に不可欠なもの以外は極力削り落としたような教会である。
秋櫻子は、この教会の雰囲気をもっとも的確に体現する事物として、卓上に置かれた聖書を句に詠んだ。波郷は『現代名句評釈』(明治書院)のなかで、掲句について次のように述べ、師に脱帽している。「私たちも一緒にいたのだが、この小卓の聖書に目をつけたものは誰もいなかった。単に目のつけ所だけの問題ではないようであった」。季語の「秋風」も効いている。敬虔な信者が一心に祈りを捧げる場所に吹くのは、湿り気のない涼やかな風がふさわしい。
秋櫻子たちは、この教会がたいそう気に入ったと見えて、その次の日の朝にも足を運んでいる。ちょうど日曜日とあって、ミサのために信者が集まってきていた。秋櫻子は、初めて見るミサに興味をそそられ、<露けさの弥撒のをはりはひざまづく>という句を残している。波郷は<露の弥撒頭を垂れてわが傍観す>と詠んだ。ミサに「露」を取り合わせるところまでは、師弟とも同じである。しかし、主語をぼかして、祈る信者の姿に己を重ねてゆくかに詠む秋櫻子と、あえて「傍観す」と言って対象との距離を取る波郷の詠み方とのちがいが面白い。
【執筆者プロフィール】
谷岡健彦(たにおか・たけひこ)
1965年生まれ。「銀漢」同人。句集に『若書き』(2014年、本阿弥書店)、著書に『現代イギリス演劇断章』(2014年、カモミール社)がある。
【「秋櫻子の足あと」のバックナンバー】
>>【第7回】ナイターの光芒大河へだてけり
>>【第6回】もつれあひ影を一つに梅雨の蝶
>>【第5回】麦秋の中なるが悲し聖廃墟
>>【第4回】馬酔木より低き門なり浄瑠璃寺
>>【第3回】来しかたや馬酔木咲く野の日のひかり
>>【第2回】伊豆の海や紅梅の上に波ながれ
>>【第1回】初日さす松はむさし野にのこる松
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