ハイクノミカタ

厚餡割ればシクと音して雲の峰 中村草田男【季語=雲の峰(夏)】


厚餡割ればシクと音して雲の峰

中村草田男
『音数で引く俳句歳時記 夏』

引用は面白い例句が多いと噂の歳時記から。個人的には草田男のあまたある句の中でかなり好きな方の一句です。「厚餡」はこの句より前に用例がないように思われるのだが、草田男の造語した二字熟語ということになるのだろうか?シクと音を立てそうな厚い餡と言われると、中華街のごま餡の月餅とか、老舗パン屋のあんパンとかを思い浮かべるのだけれど、実際なんだったのかはともあれ、あんこというなじみ深い食べ物で映像や味覚をイメージしやすい措辞であることはたしかだと思う。この冒頭の「厚餡」のインパクトと「割れば」までの字余りでやや重たい上五に仕立ててあるのは、まずは読み手を引きつけて映像を喚起するために必要なプロセスってことなんでしょう。「割ればシクと音して」というのはこれだけ取り出せば俳句としてはちょっと冗長な言い回しであるけれども、句の字面の中央に「シク」とあえてカタカナでオノマトペを放り込んであるのは、そういうデザインにしたかったからなのではないか。そして、この割れた厚い餡のイメージと、下五の「雲の峰」の、夏空に綿飴のようにもりもり盛りあがる分厚い雲との取り合わせも、映像のコントラストがきれいにはまっているように見え、厚餡の頭でっかちのアンバランスをここできちんと整えているように思われます。

橋本直


【執筆者プロフィール】
橋本直(はしもと・すなお)
1967年愛媛県生。「豈」同人。現代俳句協会会員。現在、「楓」(邑久光明園)俳句欄選者。神奈川大学高校生俳句大賞予選選者。合同句集『水の星』(2011年)、『鬼』(2016年)いずれも私家版。第一句集『符籙』(左右社、2020年)。共著『諸注評釈 新芭蕉俳句大成』(明治書院、2014年)、『新興俳句アンソロジー 何が新しかったのか』(ふらんす堂、2018年)他。


橋本直さんの第一句集『符籙』はこちら】


【橋本直のバックナンバー】

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>>〔138〕巡査つと来てラムネ瓶さかしまに 高濱虚子
>>〔137〕黒鯛のけむれる方へ漕ぎ出づる 宇多喜代子
>>〔136〕だんだんと暮色の味となるビール 松本てふこ
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>>〔128〕変身のさなかの蝶の目のかわき 宮崎大地
>>〔127〕恋さめた猫よ物書くまで墨すり溜めし 河東碧梧桐
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>>〔124〕ひかり野へきみなら蝶に乗れるだろう 折笠美秋
>>〔123〕自愛の卓ポテトチップは冬のうろこ 鈴木明
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>>〔121〕灯を消せば部屋無辺なり夜の雪 小川軽舟
>>〔120〕冬深し柱の中の波の音     長谷川櫂
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>>〔113〕本の山くづれて遠き海に鮫      小澤實
>>〔112〕とつぷりと後ろ暮れゐし焚火かな 松本たかし
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>>〔36〕棕梠の葉に高き雨垂れ青峰忌    秋元不死男
>>〔35〕谺して山ほととぎすほしいまゝ    杉田久女
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>>〔33〕雲の上に綾蝶舞い雷鳴す      石牟礼道子
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>>〔22〕幻影の春泥に投げ出されし靴     星野立子
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>>〔17〕死なさじと肩つかまるゝ氷の下    寺田京子
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>>〔6〕紅葉の色きはまりて風を絶つ     中川宋淵
>>〔5〕をぎはらにあした花咲きみな殺し   塚本邦雄
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>>〔3〕大いなる梵字のもつれ穴まどひ     竹中宏
>>〔2〕秋鰺の青流すほど水をかけ     長谷川秋子
>>〔1〕色里や十歩離れて秋の風       正岡子規


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