ハイクノミカタ

夏至白夜濤たちしらむ漁港かな 飯田蛇笏【季語=夏至白夜(夏)】


夏至白夜濤たちしらむ漁港かな

飯田蛇笏
『飯田蛇笏全句集』角川ソフィア文庫

さてこの句は、いったいどこのことを詠んでいるのだろう。Weblioの「季語・季題辞典」(中外アソシエーツ)に、「夏至白夜」は「最も夜の短い夏至の夜を白夜になぞらえていったもの」という説明がなされているのだが、これはどこからやってきた知識なのだろう。軽く調べた範囲では、飯田蛇笏の句以外に「夏至白夜」を用いた例は見当たらないから、これは蛇笏独自の用語とみるべきものかもしれない。大歳時記を中心に調べた範囲では歳時記にも「夏至白夜」の立項はない(夏至と白夜はよく並んでいるけれど)。だから蛇笏のこの句における「夏至白夜」を、先の辞典の解説のように、なんとか日本の範疇でおさまるような解釈をするのはひとまずは危うい(自解があるのかもしれないが、未詳)。

掲句は『山響集』の昭和13年の章に所収。同句集は基本編年体の春夏秋冬で章を立てて句を配してあるが、その後にタイトルをつけて別立てにされた句群がいくつかある。掲句はそのうち「汎き国土」というタイトルのある17句中の4句目。そしてこの章は、掲句に「北辺の白夜」と前書があって以下14句がすべて北国の様子を詠んだとおぼしき内容になっている(全句集308~310頁)。以下引用する。   

  夏至白夜濤たちしらむ漁港かな

  白夜の帆世紀をへだつ魚油炎ゆる

  ハープ弾く漁港の船の夏至白衣(注:「衣」は誤植と思われ、自選句集『春蘭』では「夏至白夜」で掲載)

  この白夜馴鹿の乳にねる児かな

  氷下魚釣獣の香をはなちけり

  春めく日林相雲を往かしむる

  春きたる氷河の樹かげ狐舎に沁む

  養狐交け春の氷海鏡なす

  氷海の朝焼けきびし狐舎の春

  海猫群れ昆布生成の潮温るむ

  シヤンツエに冬眩耀の翳経ちぬ

  処女雪にシヤンツエ小夜の帷垂る

  降誕祭シヤンツエ蒼き夜を刷けり

  シヤンツエに遅き寒月上りけり

季語の展開からして「北辺の白夜」は「この白夜馴鹿の乳にねる児かな」までの4句とわかるのだが、ここでは同じ「汎き国土」というタイトルの下で、冒頭の三句をのぞいて北方の景色を連続して詠んでいて紛らわしかったためか、後年の自選句集『春蘭』では、後続の句は採られていないにもかかわらず前書で「北辺の白夜四句」とわざわざ句数の限定が加えてあり、句も多少字が修正されて採録されている(同全句集485頁参照)。

それにしても、この蛇笏の詠んでいる昭和13年の「汎き国土」や「北辺」とは、いったいどこのことなのであろう。そもそも「汎き国土」とかいいながら圧倒的に北方に寄っているのは変だし、夏至の日が白夜で漁船にハープを弾く人が居てトナカイの乳で育児をするというのは、たとえばフィンランドのあたりならありそうな気もするが、いかに樺太や千島列島を版図に入れていた帝国時代の日本でも、まるでピンとこない中身のように思われる(だから冒頭の辞典の解説は蛇笏の句に使うには無理がある)。この4句の後も、「氷下魚釣」「養狐」「氷海」「昆布」「シヤンツエ」くらいならば帝国日本の北方でも見ることのできる景色だっただろうが、「氷河」となれば事情は異なるだろう。そして蛇笏は、このころ北海道や樺太や千島に訪れたことがあるわけでもないようなのである。事実に即して句を詠んでいるイメージのあった作家であったので、これはちょっと意外なことだ。特に何か注文があってやむを得ず詠まなければならなかった作品というのでなければ、この時代の似たやり方で、俳壇の動向で思い至るのが、新興俳句運動の作家を中心にさかんに試みの行われていたいわゆる「戦火想望俳句」である。これに触発されて、ということがあったのかどうか、いまのところはよくわからないけれど、この蛇笏が奇妙なタイトルをつけた章の句群は、もしかすると、「戦火」ではないものの、蛇笏なりの時代を象徴する想望句の試みだったと言えるものなのかもしれない。

橋本直


【執筆者プロフィール】
橋本直(はしもと・すなお)
1967年愛媛県生。「豈」同人。現代俳句協会会員。現在、「楓」(邑久光明園)俳句欄選者。神奈川大学高校生俳句大賞予選選者。合同句集『水の星』(2011年)、『鬼』(2016年)いずれも私家版。第一句集『符籙』(左右社、2020年)。共著『諸注評釈 新芭蕉俳句大成』(明治書院、2014年)、『新興俳句アンソロジー 何が新しかったのか』(ふらんす堂、2018年)他。


橋本直さんの第一句集『符籙』はこちら】


【橋本直のバックナンバー】

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>>〔2〕秋鰺の青流すほど水をかけ     長谷川秋子
>>〔1〕色里や十歩離れて秋の風       正岡子規


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