笠原小百合の「競馬的名句アルバム」【第4回】2010年/2011年エリザベス女王杯


【第4回】
女王の愛した競馬
(2010年/2011年エリザベス女王杯・スノーフェアリー)


2010年、2011年とエリザベス女王杯連覇を達成したスノーフェアリーはイギリスから遠征してきた牝馬。「雪の妖精」という愛らしい名前とは裏腹にその走りは超弩級。日本馬たちはスノーフェアリーに二年連続、圧倒的な力の差で捻じ伏せられた。「エリザベス女王」杯なのだからイギリスの馬が勝つ、と素直に思えていたならば、筆者のその日の夕飯はもっと豪勢なものになっていたはずだ。

先日のエリザベス女王崩御の報せには、スノーフェアリーの連覇以上の衝撃が走った。もちろん女王のことは映像を通して一方的に存じ上げていただけ。それでも筆者にとってエリザベス女王は「競馬好き」として親しみを覚えていた存在だった。「エリザベス女王と競馬」のことはもっと広く知られて良いのではないかと思う。

女王の競馬好きは有名で、馬主として競走馬を所有し生産も手掛けるほどの力の入れようだった。しかもただ好きなだけでなく、女王の両親の名を冠した「キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス」の優勝、4頭のクラシック優勝馬を輩出するなど輝かしい成績を残している。

毎年6月に英国競馬の祭典「ロイヤルアスコット」が開催される際には、宮殿からアスコット競馬場へ馬車で赴くのが慣例となっていて、2013年のダービーにはフランスで公務中だった女王がヘリコプターで駆けつけたという逸話もある。

日本競馬との関係も深く、歴史的名馬ディープインパクトの曾祖母ハイクレアは女王の所有馬である。女王の馬がいなければ、ディープインパクトは誕生していなかったというわけだ。そして何より女王自身の名がG1のレース名となっているのだから、日本の競馬ファンは英国の女王に親近感を覚えずにはいられない。1975年に女王が来日されたことを記念して翌年より創設されたエリザベス女王杯は、日本競馬界の女王決定戦として今日まで続いている。

枯すすみをり馬磨き馬具みがき  津川絵理子

馬を磨き、そしてその馬のための馬具を磨く。乗馬をする人にとっては当たり前のことなのだろうが、その丁寧な仕草から深い愛情を根底に感じる。長い時を馬と過ごして夢中になり、気づけば冬になっていた。しかしその状態を楽しんでいるような明るい空気も「枯すすみをり」から感じた。この場合の「冬」は季節のことだけを言っているのではないようにも思える。どんな時でも馬への愛情を忘れない眼差しに、自身も乗馬を嗜んでいたというエリザベス女王の穏やかな微笑みが重なる。競馬への情熱を生涯絶やすことのなかった女王は、世界が誇る素晴らしきホースマンなのだ。

そして女王亡き今、心配なのは所有馬たちの今後である。中にはあのディープインパクトの子どももいる。結果として女王の所有馬の一部は売却することが発表され、仕方のないことだがやはり寂しい気持になった。ひとつの時代が終わるとはこういうことなのだろう。女王に愛された馬たちが女王に負けないくらいの愛情を注いでくれる新しい馬主と出会えるよう、願わずにはいられない。

エリザベス女王杯 馬券(筆者提供)

【執筆者プロフィール】
笠原小百合(かさはら・さゆり)
1984年生まれ、栃木県出身。埼玉県在住。「田」俳句会所属。俳人協会会員。オグリキャップ以来の競馬ファン。引退馬支援活動にも参加する馬好き。ブログ「俳句とみる夢」を運営中。


【笠原小百合の「競馬的名句アルバム」バックナンバー】

【第1回】春泥を突き抜けた黄金の船(2012年皐月賞・ゴールドシップ)
【第2回】馬が馬でなくなるとき(1993年七夕賞・ツインターボ)
【第3回】薔薇の蕾のひらくとき(2010年神戸新聞杯・ローズキングダム)


【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】

horikiri