来よ来よと梅の月ヶ瀬より電話 田畑美穂女【季語=梅 (春)】


来よ来よと梅の月ヶ瀬より電話

田畑美穂女(たばたみほじょ)()()()()()()()))


木曜の祝日と週末に挟まれて、休みなんか取っちゃうよという方も、年度末だからという理由で取らされているけど、在宅だと別に仕事できちゃうから休んだ気にならんという方も、出勤したらしたでただでさえ日にちの少ない今月の休みの前後は仕事が凝縮しちゃう方も、うれしいんだかうれしくないんだかわからない、そんな金曜ですよ、ほんとやんなっちゃいますよ。

そんな複雑な事情もありながら、私はこの季節が好きだ。立春はやはり確実に何かを「立たせる」日であって、光や風の変化がとにかくうれしくてならない。一方で、この季節は毎年の記憶が濃い時期でもある。立春から誕生日の間という比較的記憶に残りやすい時期ということもあるけれど、なぜか旅をすることが多いのも記憶に残っている原因だろう。

今週始め、二月七日は私の師である山田弘子の忌日。今年は天気がよくて、先生、やっぱりいい季節ですねなんて感じたけれど、あの年の、あの前後には、悲しみを深めるような雨の降った日もあった。亡くなった年も、その後年の追悼の会などもこの時期にたびたび行われて、そのたびに旅をした。

山田弘子が親しく慕い、そのことから私もその句を知るようになった俳人に田畑美穂女がいる。明治四十二年、大阪の薬種商の家に生まれ、夫の死後は経営者として事業を率いた実業家でもあった。

「月ヶ瀬」は奈良、梅の名所だ。その美しい名の通り、月ヶ瀬湖の斜面を埋めて梅の咲く渓谷。景勝の地だから美しい名がつくのか、美しい名によって有名となり発展するのか、順は定かではないけれど、それに適した名前は本当に大切だ。その点、月ヶ瀬は地形を想起させる機能的な名でありながら、情緒も十分。また、「梅」の字が入らないのもあまり短絡的でなく、広がりがあっていい(「梅が丘」には悪いけれど)。

その言わずと知れた「月ヶ瀬」に降り立ったひとり、ではなく、この句はそこに行けていない人の視線によって描かれている。

「来よ来よ」、つまり「あなたも来なよ来なよ」と無邪気な誘いは、携帯電話のないころであれば、宿からのものだろうか。こんなの見ないともったいないよ、なんて、とうにわかり切っていることだけれど、私だって行けたら行きたいけれど、何かの事情で行けなかったからこうして電話を受けている。

梅林に不在の人への、梅林にいる人からの誘いによって描かれる梅の姿は、ちょっと変形した視点。それでいてなお強く、梅の昂りとでもいうようなものが、親しく伝わってくる。

桜だって、咲くのを待たれたりすることはあるわけだけれど、梅への気持ちとは何かが違う。まだ、暗い中に明るさとして立ち現れる梅の姿は、掲句のように離れた場所からも、また、咲く手前から、あるいは目にする以前から、空間時間を超えて焦がれられてきた。一方で、そんな慕情の中にも、「月ヶ瀬」という地名のゆかしさに対する、会話調と電話のギャップが、くすりとおかしい(薬種商だけにね)。

この句集『吉兆』では、昭和十一年から句作をはじめた美穂女の、昭和五十六年までの句が掲載されているのだけれど、昭和五十二年の冒頭に掲句がある。選びきれないほど好きな句の多い美穂女の句の中からこれを選んだのは、これが私の生まれた年の句だから。ここに描かれた梅は、きっと私が生まれた日も咲いていたことだろう。

(みなさま、ささやかな自祝の鑑賞にお付き合いいただき、ありがとうございます。多分、誕生日月間はずっと梅の句を取り上げます。)

『吉兆』(1982年)所収

阪西敦子


【執筆者プロフィール】
阪西敦子(さかにし・あつこ)
1977年、逗子生まれ。84年、祖母の勧めで七歳より作句、『ホトトギス』児童・生徒の部投句、2008年より同人。1995年より俳誌『円虹』所属。日本伝統俳句協会会員。2010年第21回同新人賞受賞。アンソロジー『天の川銀河発電所』『俳コレ』入集、共著に『ホトトギスの俳人101』など。松山市俳句甲子園審査員、江東区小中学校俳句大会、『100年俳句計画』内「100年投句計画」など選者。句集『金魚』を製作中。



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