神保町に銀漢亭があったころ【第116回】入沢 仁

丑年と銀漢亭

入沢 仁 (通り掛かり)

昨年10月末、矢野春行士さんから「銀漢亭に投稿するので写真を」と着信。私の愚ブログ内カテゴリー「神保町と銀漢亭」から写真探してねと返信したのが大失敗。場違いと、何度もお断りするも……本投稿に至りました。

銀漢亭のきっかけは、奈良在住の姉、深川知子(「春耕」)から平成18年半ば、「神保町に知り合いが居酒屋やってるよ」の情報と地図。居酒屋開拓も長年の趣味。Googlemapでなく、お手製地図片手に初訪問したのが翌年桜の散る頃でした。

俳句同様?! 的確な位置表示はお見事
通い始めて2年目 平成20年7月(2人共若い?!)

生来テキトーな私に合うか、店長が私をハジクか、相半の緊張を愉しみつつ「通り掛かりのモノですが!」で初入店。カウンター内に同年代の人懐っこい顔。小一時間経った頃、釧路から石垣島まで”居酒屋 数自慢”の私も、いつの間にか伊那男さんファンに。「実は奈良の深川の弟デス」「エッ~知子さんの!?」から再点火し深夜の帰宅。生年月日もひと月違いの丑年、以来丸13年お世話に。

平成23年5月頃
平成31年2月姉深川と俳人協会賞のお祝いに

その後も、矢野さんとの待ち合わせや、仕上げは「銀漢亭」と勝手に決めてる母校の関東支部同窓会仲間で乱入。後輩達も気持ち良く応対してくれる伊那男さんにすっかり。

各自の時間で集まり「酔の助」で勢いつけます。
七夕俳句短冊の下、ワインで仕上げ。

その「酔の助」も「銀漢亭」も昨年相次いで千秋楽。若し新コロナ禍が収まっても、神保町に今ひとつ待望感が沸かない私です。

伊那男さん流の肴を摘まみつつ、肩の凝らない会話は居心地良い銀漢時間でした。流石の俳人、季節感たっぷりの肴を幾つか抜粋……伊那男さん 一品名間違ってたら御免なさい。

まだまだ鮎や山菜料理ありましたが割愛。写真を探してる最中、「あのカウンターで、また食べたい、各地の銘酒飲みたい!」と悔やみが増殖、やはり投稿お断りすべきでした。


【執筆者プロフィール】
入沢仁(いりさわ・じん)
1949年北九州市小倉生まれ。長年、環境プラント及びバイオマス発電プラント担当し燃えるもの探して全国を徘徊。俳句は、姉にしつこく誘われて以来「俳句恐怖症」患い鑑賞のみ。日々是好日風ブログ「のらのら広報室」管理人。



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