神保町に銀漢亭があったころ【第19回】篠崎央子

記憶の故郷へ

篠崎央子(「未来図」同人)

私の生まれ育った村にはまだ「講」といわれる村の集まりが残っていた。「庚申講」とか「月待講」とか。大体、月に1回ほど、村の集会所に集まり、女性達が作った料理に舌鼓を打ちながら、夜更けまでドンチャン騒ぎをする。

酒が回るまでの最初の1時間は、村の行事の日程や役割分担などを決める共同体の会議的な役割があった。議題の全てが解決すると、魚が釣れる川や山菜の採れる山の話になり、砂金が採れる谷のあたりから妄想が入り始める。

さては、狐火の目撃情報、UFOの目撃情報まで飛び交う。いつしか誰かが唄い始め、踊り始める。いつまで続くのかと思った頃に、元ヤンキーのどこぞの嫁御が「あんたら、いつまで騒いでんだよ」と怒鳴り込んできてお開きとなる。

前置きが長くなったが、銀漢亭でのイベントは「講」に良く似ていた。

最初は、句会で集まり、句会の後は、俳句の情報交換をする。伊藤伊那男亭主の料理や差し入れの酒を飲みながら良い気持ちになると、「ジンギスカン」という歌が店内に流れ、踊り始める。

気が付くと、美しい女性達が手際良く後片付けをしていて、帰らざるを得ない状況になる。そして、別れを惜しむことなく、次の店へとなだれ込む。

伊那男亭主は、信州のご出身で、銀漢亭の句会には、信州の方も多い。私は茨城県の出身だが、方言や風習が似ていて話が盛り上がった。ちゃんと確認はしてはいないけれども、伊那男亭主の故郷にも「講」が残っていたのかもしれない。

そもそも、酒を飲むという行為は、神との交流であり、人ならざる状態になることにより、非日常(神の世)へ足を踏み入れることである。銀漢亭で目撃された数々の「日常を超越した酔っ払い」は、神との交流をしていたのである。

その結果、神より賜った言語が誰にも真似のできない俳句となったのだ。神との交流の場であった銀漢亭の扉を開くとき、私は、記憶の故郷に戻れたのだった。


【執筆者プロフィール】
篠崎央子(しのざき・ひさこ)
昭和50年、茨城県生まれ。平成14年「未来図」入会、平成17年、朝日俳句新人賞奨励賞受賞、平成18年未来図新人賞、平成19年未来図同人、平成30年未来図賞受賞。共著に『超新撰21』(邑書林、平成22年)、句集に『火の貌』(ふらんす堂、令和2年8月)。俳人協会会員。


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