神保町に銀漢亭があったころ【第23回】松代展枝

湯島句会と主宰の料理

松代展枝(「銀漢」同人)

銀漢亭17年間お疲れ様でした。8年前くらいから銀漢亭水曜日担当のノブゾです。

私が水曜日のお手伝いに入る前は、若手俳人の岩崎由紀さんが入っていたのを常連の方は覚えていると思います。

某デパートで婦人服を担当していたので、居酒屋で働く事には全然抵抗はありませんでしたが、週のまんなかの水曜日は、一般客の来店が少なくチョッピリ苦労したかも?

しかしありがたいことに、毎週水曜日に句会と主宰の同級生が集まる「三水会」や定例の句会が入り、やりがいがある水曜日となりました。

銀漢亭の思い出はたくさんあり過ぎて、何から話そうかめちゃ迷いますが、そのなかで特に印象に残っているのは、次のふたつです。

(手前中央の伊那男さんの後ろにいるのが、松代展枝さん)

一つ目は、超結社で結成された「湯島句会」。

まだまだ私が「銀漢句会」に入会したばかりのニューフェイスだったころ(年齢は主宰と同じですが)、句会が終わった後に銀漢亭に行くのが通例となっていました。

そのとき、カウンター横に置いてあった手作りの冊子を目にしたのです。ページをめくると、ワクワクドキドキ、私もやってみたい! 面白いそう!

というのが湯島句会の出会いで、興味津々で積極的な性格が前面に出て、冊子作りまで参加することになったのです。

皆仕事をしているので、作業は夜。皆さんの夕飯を持参してひたすら楽しく冊子作りした記憶は鮮明に覚えています。楽しかった!

月に一度の「湯島句会」は、総勢50人越えの日もあったことを思い出します。確か銀漢亭の中には入れきれず、外で選句したと思う。

この「湯島句会」を通して俳句の輪が着実に広がり、著名俳人との交流は今となっては私の財産です。

二つ目は、主宰が自ら厨房に入って居る姿を見てびつくりしたこと。

「男子厨房に入るべからず」は流石に死語になっている世の中でしたが、主宰と店主の両立はハードな日々だったに違いありません。でもそれをやり遂げた主宰は超鉄人! 新しい時代をしっかりと掴んでこなしたのです。

句会が終わって銀漢亭へ移動するころには、みんなお腹がぺコペコ。そこに主宰の心のこもった手料理が次々と運ばれてきて、我々の胃袋を満たしてくれるのでした。

大皿に四季其々の野菜、肉、魚料理と大鍋の粕汁やけんちん汁、身体に優しいもてなし料理が毎回楽しみの一つ。

その中で私の一推しは、京都仕込みのちりめん山椒、レタスとニンニクのオイスター炒め、手作りのカラスミなどなど盛りだくさん。

俳句あるふぁ」に掲載されたお料理は、大変好評であったと聞いています。皆様も是非チャレンジして下さいませ。

銀漢亭は幕を閉じましたが、私達にたくさんの出会い、別れ、感動、そして未来を残してくれました。ありがとうございました。


【執筆者プロフィール】
松代展枝(まつしろ・のぶえ)
1949年埼玉県大宮市生まれ。平成23年、「銀漢」創立時同人参加。俳人協会会員。


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