神保町に銀漢亭があったころ【第59回】鈴木節子

鷹夫の指のトゲ

鈴木節子(「門」名誉主宰)

パリからの封書に驚いて開封する。

俳人協会賞新人賞を受賞され、俳壇で大活躍の「銀漢」同人、堀切克洋さんからである。新型コロナウイルスの影響が重なり閉店した「銀漢亭」の思い出をという原稿依頼だ。懐かしい思いが走る。

銀漢亭亭主の伊那男さんの顔が浮かんだ。「銀漢」主宰で、俳人協会新人賞も本賞も獲得しており、居酒屋を営む伊藤伊那男さん。人柄の良さは格別で明朗でやさしい。お酒が大好きなのが又よし。料理の腕前はいいし、旨かった。

俳人達が毎日よく集って呑んで句会、俳談をする。私は、何かパーティや集まりのあった帰りしか行かれなかったが、なぜか「伊那男ちゃん」「節ちゃん」と言い、親しくさせて頂いたことがうれしかった。私の性格から自然にそうなったらしい。思い出的なことは、意外にある。

夫の鷹夫が元気だったころ、銀漢亭開店から二年くらいのことか。やはり何かの帰りに銀漢亭へ。卓上でトゲが刺さってしまった。当時、奥さまもお手伝いをされていて、「美人だなあ!」と鷹夫。その奥さまが鷹夫の指のトゲを抜いて、傷テープを貼って下さった。その事が嬉しくて、すぐ話題に美人の奥さまだったことをくり返し言う。

その奥さまも鷹夫もすでにこの世にはいないなんて、つくづく無慈悲だなあと思っている。そしてあの夜のことが鮮明に浮かんでくる。

こんなこともあった。どこぞの祝賀会の帰り、能村研三さん、鈴木忍さんとタクシーで銀漢亭に走る。早目に到着した人達ですでに賑やか。皆、銀漢亭が好きなのである。私は帰路を電車に十分間に合う時間と思っていたが、何とスカイツリーの辺りで終点。駅員さんに尋ねた。「北千住方面はもうありません。タクシーですね」。帰宅しても夫はあの世。だから文句は飛んでこない。

又ある時、とある祝賀会の帰り、行方克巳さんに銀漢亭はよく判ると言って、タクシーで下車。しかし迷子になってしまった。電話をして「伊那男ちゃん」に迎えに来て貰うという恥ずかしい思いをした。

私の失敗談のみの一文になった。現在はコロナに関係なく、老齢にてどこにも行けぬ私だ。

【執筆者プロフィール】
鈴木節子(すずき・せつこ)
昭和7年東京生まれ。村山故郷、石田波郷、能村登四郎に師事。鈴木鷹夫の「門」創刊同人。鷹夫死去後、主宰継承。現在、名誉主宰。「沖賞」「門賞」を受賞。句集に『夏のゆくへ』『冬の坂』『春の刻』、自註句集シリーズ『鈴木節子集』(俳人協会)など。俳人協会評議員。



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