神保町に銀漢亭があったころ【第79回】佐怒賀直美

火の会と芋焼酎と鱲子と

佐怒賀直美(「橘」主宰)

私が初めて銀漢亭にお邪魔したのは、10年ほど前の12月のことであった。

その日、俳句文学館で行われていた「塔の会」が終わると、銀漢亭の常連であった山田真砂年さんから神保町へ行かないかと誘われ、連れられて来たのが最初だった。

「塔の会」は通常第4火曜日の夜に行われるのだが、12月に限っては第2火曜日に行われることになっており、たまたまその日が「火の会」と重なっていたのである。

時代を溯ったような薄暗い店の奥の方のテーブルで、何やら楽しそうに句会をしているグループがあり、それが火の会であった。

折角来たのだからということで、飛び入りで選句させていただいたのだが、それまで俳人協会系の句会にしか参加したことのなかった私には、刺激的な句や、摩訶不思議な句や、全く分からない句など、多種多様な作品が並んでいて、戸惑いながらも何とも楽しかったこと、そしてとにかく参加者の俳句に対する熱い想いとパワーに圧倒されたことを覚えている。

翌年からは「火の会」の一員にも加えていただき、定期的・不定期的な銀漢亭との付き合いが始まったのだが、何と言っても伊那男さんのお人柄に魅了され、集う俳人の温かさに癒やされ、さらには美味しい料理の数々に舌鼓を打ち、もちろん芋焼酎やビール・日本酒にも導かれ、大袈裟ではなく私にとっては正に東京のオアシスであった。

「火の会」の日も22時過ぎの列車に乗るために、いつも後ろ髪を引かれる思いで帰っていたのだが、いつの頃からか「火の会」の日は都内に宿を取るようになり、銀漢亭の夜を満喫出来るようになった。

何事もいつまでも続くわけのないことは分かっているのだが、銀漢亭はいつまでも神保町にあり、扉を開けばいつでも伊那男さんが笑顔で迎えてくれるものだと思っていた。

もう一度だけでもあのカウンターに寄りかかり、あのテーブルを囲んで、芋焼酎のロックを飲んでみたかった。伊那男さんお手製の鱲子を食べてみたかった。

伊那男さん、そして銀漢亭に関わった全ての皆さん、ありがとうございました。


【執筆者プロフィール】
佐怒賀直美(さぬか・なおみ)
1958年、茨城県古河市生まれ。埼玉県久喜市在住。埼玉大学の学生句会にて松本旭に師事。2015年、旭より「橘」主宰を継承。俳人協会理事。句集『髪』『眉』『髭』『心』など。



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