【読者参加型】コンゲツノハイクを読む【2022年12月分】


【読者参加型】
コンゲツノハイクを読む
【2022年12月分】


ご好評いただいている「コンゲツノハイク」は毎月、各誌から選りすぐりの「今月の推薦句」を(ほぼ)リアルタイムで掲出しています。しかし、句を並べるだけではもったいない!ということで、一句鑑賞の募集を行っています。まだ誰にも知られていない名句を発掘してみませんか? 今回は(告知が遅れたにもかかわらず)9名の方にご投稿いただきました!(掲載は到着順です)


干し物の竿余すなし終戦日

湯谷良

「火星」2022年11月号より

晴天にはためく洗濯物が終戦日の下五で俄に色を失いました。それは顔のない死者の群れとも、主のない遺品の群れとも見えます。今も静かに列をなすその姿を日常の景に見たのは俳人の目、見せたのは季語の力です。物干し竿に隙間がないのではなく、干す物が竿を余さないという叙述がいいです。主客の転倒や否定の効果は後からついてきたものでしょう。干し物を詠むことで死者が蘇ると判断した鋭敏な感覚が、句の発火点のように思います。

土屋幸代/「蒼海」)


輪を描けばとびはとんびに秋愉し

村上喜代子

「いには」2022年12月号より

秋闌の十月末、金沢八景にある野島公園を吟行した。当日は日本晴の絶好の吟行日和。空には鳶が高く低く飛び、展望台からは丁度目の高さに浮かぶ鳶を見ることができた。鳶は日本では最も身近な猛禽類。龍太の名句「春の鳶寄りわかれては高みつつ」にあるように一年中見られ季語ではない。

吟行の参加者はほぼ同世代。誰からともなく「ぴーよろぴーよろ」と童謡「とんび」が。期せずして皆でハミング。そう。我々から上の世代にとって、空に輪を描く鳶を見れば、それは正しく「とんび」なのだ。掲句のごとく「とんび」のお陰で秋の愉しい吟行となった。

種谷良二/「櫟」)


蓮の実の飛んで映画のなかは雨

水上ゆめ

「秋草」2022年12月号より

大きなシャワーヘッドのような形には
たくさんの穴がある
儂は何故かその一つの穴の中にいる
儂は何故か蓮の実になっている
儂を採りに来たじいさんの食べ物になって
儂は映画館に連れられて
儂が食べられてしまう番はやってきて
逃げな食べられてしまう!助けて~!
すると何時も拝んでる阿弥陀様が
蓮の花に乗って現れて
儂はじいさんの指からぴょんと飛べた!
すると突然ザーザー映画の中に雨が降り
真っ暗になって儂は助かった
けど儂はこのまま蓮の実の儘なのか・・・

月湖/「里」)


尻張つてざりがにを釣る子どもかな 

寺澤 始

「磁石」2022年11・12月号より

尻張って、が眼目でしょう。少し太っちょな、小学生を思いました。ズボンがはちきれそう。夢中になっていることが、顔を見なくてもわかります。子供のザリガニ釣りを後ろから見守っている、それだけのことですが、作者のやさしさ、心持が想像できます。ザリガニ釣りって、結構面白いです。子供のころは、男子の遊びで、やったことはありませんでしたが、見ていると、楽しそうでしたね。蝶などは苦手ですがザリガニは大丈夫なので見学していた覚えがあります。

フォーサー涼夏/「田」)


バタークリームにつくるプードル鼻は葡萄

町田無鹿

「楽園」第2巻第4号より

いわゆるプードルを模したケーキだ。クリームの絞りの模様で丸まった毛を表現し、うるうるとした大きな目はたぶんチョコレート。「かわいい~」という声が聞こえてきそうな中七までの描写から一転して、下五は「鼻は葡萄」。冷静な視点がいかにも俳人らしくて面白い。そう考えると、ただのクリームでなく字余りをしてまで「バタークリーム」と言っているのも俳人らしい。一般的なものの見方に屈せず、材料や本質を見極めようとしている。

千野千佳/「蒼海」)



付喪神宿るラジカセ雨の月星

飯島白雪

「鷹」2022年11月号より

ラジカセにも付喪神が宿るようになってしまったか。私の中高時代はラヂオから流れる曲を録音するのに必須アイテムだった。今はない家庭も多いらしい。付喪神は器物が百年経過するとそこに宿るとされる精霊のこと。作者にとって古くてとても愛着のあるラジカセなのだ。下五の「雨の月」がいい。付喪神が宿るラジカセには煌々とした月はに似合わない。時代の片隅に追いやられたラジカセに付喪神を見出だした作者に拍手を送りたい。

加瀬みづき/「都市」)


蟬鳴くや一つ二つの愚痴混ぜて

宍野宏治

「櫟」2022年11月号より

蝉が鳴くのはいってみれば仕事である。仕事であれば愚痴が出ることもあるだろう。「疲れた」「めんどくさい」「隣の奴がうるさい」など、よく聞いてみればそのような鳴き声も混じっているかもしれない。かつしきりに鳴いたからといって報われるとは限らないのである。これは人間の場合も同じである。ところで蝉は感情を持たない。そこで「一つ二つの愚痴混ぜて」の主体を蝉と解釈しない読み方もあり得る。その場合、蝉がしきりに鳴いているところに通りがかったサラリーマンなどのぼやきが混じったという実景と捉えることもできるだろう。

光本蕃茄/「澤」)


蕭々とかまきりの血のうすみどり

野村茶鳥

「南風」2022年12月号より

蟷螂の血には、ヘモシアニンという成分が含まれていて、これが酸化すると、青、薄緑の色になるのだとか。こんな科学的な事、理屈は俳句には無用。この句では、蕭々という言葉が上五にどっしりと座り、なんとも寂しげな雰囲気を強調している。どのような場面でこの血を見たのか。交尾の後の雄が雌に食べられて、断末魔をあげ血を流しているようにも思えた。。

野島正則/「青垣」・「平」)


ウリムーのしましま模様秋うらら

月湖

「里」2022年11月号より

「ウリムー」とはあのウリムーのことなのか。方言か何かではと調べてみたが私の知っているウリムーしか出てこない。ポケットモンスター、縮めてポケモン。現在900種類以上存在するポケモンの中に「ウリムー」はいる。猪の子どもであるウリ坊をモチーフにしたポケモンで、背中のしましま模様が特徴。ほのぼのとした愁いも感じる表情はたしかに「秋うらら」だ。作者は他にもポケモン俳句を発表されており、挑戦的な姿勢というよりは好きだから自然と詠んでいるという印象を受けた。ポケモン好きとして私もポケモン俳句を詠みたくなった。

笠原小百合/「田」)



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