【連載】

ゆれたことば #5
「避難所」

千倉由穂(「小熊座」同人)


震災以降止まっていた「河北新報」の俳壇・歌壇の欄が復活したのは2011年5月1日からだ。その再開最初の高野ムツオ選の第一席は「震災後また朝が来て囀れる」(佐々木智子・仙台市)。震災によってその前と後という線が引かれてしまった。けれど、朝早くから鳴き始める小鳥の囀りは変わらない。人間も生きることを続けていかなければならない。生きるとは朝を迎え続けていくことだ。俳壇欄では、その朝を迎える場が変わってしまった人が多くいることが分かる。「避難所」から詠まれている句が多くあるのだ。

避難所の毛布に眠る赤子かな 篠川祐男・仙台 「河北新報」11年5月1日

戻る家なき避難所の白マスク 庄司誠之・仙台

春暁や避難所声の動き出す 篠川祐男・仙台 「 〃 」11年5月8日

避難所も和して送りし卒業歌 伊澤清照・仙台

地震の町避難所の子も卒業す 今野義朗・仙台

炊出しに笑まふ避難所春ともし 山田庸備・角田

避難所の灯揺らす春の雪 黒野 隆・仙台 「 〃 」11年5月15日

避難所の早き消灯春の月 遠藤克子・大崎 「 〃 」11年5月29日

避難先六年二組地震の春 近藤 隆・仙台 「 〃 」11年6月5日

避難所の仮設の風呂や朧月 竹中ひでき・仙台

避難所に不明者名簿聖五月 竹中ひでき・仙台 「 〃 」11年6月26日

書き出してみて、同じ人が避難所を詠んだ句を投稿していることがわかる。

震災後わたしは帰宅困難者となり、避難所になっていた小学校に二日間滞在した。体育館は、卒業式の紅白の垂れ幕に囲まれていた。運動マットがところどころに敷かれていて、その上にいる人も、床に寝転んでいる人もいた。わたしはマットの端にスペースを見つけて、体を休めていた。夜中、余震のたびにバスケットボールのゴールが撓み、時折強い揺れがあれば、暗いなかに皆体を起こし小さな悲鳴もあがっていた。わたしはその後、交通手段を見つけて避難所を後にしたが、長期の避難所生活を余儀なくされた人たちが多くいた。

避難所の多くは学校で、避難所として使用している人達も見ている中でも卒業式が詠まれている句もある。学校という子どもたちの集う場所が、一変して避難所という用途で使用されていることの違和感によって、非常時なのだということをより強く認識させられたことを思い出した。

葉ざくらや仮設住宅灯がともる 三浦ときわ・石巻 「河北新報」11年6月26日

避難者の去りし母校の余花であり 畠山 登・仙台

それが、6月下旬の俳壇になると「仮設住宅」という言葉が使われ始める。避難所よりも長い期間を暮らすことになる場所へと移っていく人達が出てきたのだ。仮設住宅も元の暮らしではないけれど、「避難所」はもっと一時的に身を置く特殊な場所なのだと改めて思う。

けれど、俳壇に投稿している人たちは場が変わったとしても、詠むということを続けていく。冒頭に生きることを続けていかなければならないと書いたが、俳句を詠むことも生きることに繫がる一つなのだと強く思った。


【執筆者プロフィール】
千倉由穂(ちくら・ゆほ)
1991年、宮城県仙台市生まれ。「小熊座」同人。東北若手俳人集「むじな」に参加。現代俳句協会会員。



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