【書評】広渡敬雄『俳句で巡る日本の樹木50選』(本阿弥書店、2021年)


樹木で学ぶ日本の輪郭
――広渡敬雄『俳句で巡る日本の樹木50選』(本阿弥書店、2021年)――


俳句は足で稼ぐものだ、といわれる。

机の上でうんうんと唸っていてもいい句はできず、身の回りの景色や音に身体をひらいてこそ、言葉に息が吹き込まれる。とくに初学のうち、季語になっている植物などの知識がなければ、積極的に山や野原に吟行に出かけることで、だんだんと勘が身についてくるというものだ。

しかし、これほどまでに「足で稼いだ」本というのは、なかなかお目にかかれないだろう。巻末には、「日本の樹木50選 最適地分布図」が添えられているが、すべて作者みずからが訪れた地であり、北は富良野、南は沖縄本島まで、それが全国各地に点在している。

もともと旅行や歩くことが好きな著者なのだろうが、そこにかけられた時間と体力はそれほど強調されることなく、本としてもコンパクトで軽々とした一冊となっている。連載時はモノクロだったが、オールカラーで写真が見られるのもうれしい。

「50選」は連載時と同じくすべて見開きで、植物の特徴や歴史の記述からはじまって、その植物を詠んだ句がまず6、7句程度紹介される。そして、それら一句ずつに対して簡潔な鑑賞(説明)が添えられている。ここまでが、前半である。

後半は、著者みずからが訪れた「最適地」の記述に入る。たとえば、「杉」なら熊野古道、「ポプラ」なら北海道大学、紙の原料となる楮・三椏であれば「越前」といった具合だ。そして今度は当地の句が6、7句程度紹介され、さらに一句ずつに対して同様の鑑賞が付け加わる。以上が、見開きの基本フォーマットだ。

こういう本は本当にありがたい。植物の種類や鳥の鳴き声というのは、やはり経験を重ねていかないと、どうにもならないからだ。よく言われることだが、近年の傾向として、かつての「風土俳句」がねざしていたような自然詠というのは少なく、社会や人事を詠んだ句が多い。もちろんその楽しさもあるのだが、しかし俳句が自然を相手にする以上、自然を学ぶことはやはり必修科目なのである。

ちょっと小難しい話になるが、横道にそれてみよう。俳諧が発展を遂げた江戸期において、植物学にかんする知のベースになっていたのは、『本草綱目』である。明朝、つまり16世紀に編纂された中国の書物で、いわば薬草のデータベース。これを林羅山が長崎で入手し、実学重視かつ多趣味だった徳川家康に献上した。こうした知のフレームが、現在でいう百科事典である『訓蒙図彙』などにつながっていく。

しかし芭蕉から一茶まで、俳諧のなかにこのような「博物学=自然史的」なまなざしというのは、見出すことができない。それよりもずっと、過去の文学的テキストのなかで、どのように記述されているかのほうが、圧倒的に重要だった。科学と文学で出会うことは、江戸時代にはまだなかった。

両者が出会うにはおそらく、牧野富太郎(1862-1957)が改造社版『俳諧歳時記』に協力するのを待たなければならなかったのではないだろうか。牧野は『牧野日本植物図鑑』に代表される仕事を残したことで知られ、「日本の植物学の父」と称される。小野蘭山(1729-1810)が著した日本最大の本草学書『本草綱目啓蒙』との出会いから、本草学を植物学へと脱皮させた人物だ。

改造社版『俳諧歳時記』が出版されたのは昭和8年、つまり1933年のことで、質量ともに日本初の百科事典的な歳時記であった。そのあたりの事情は、たとえば橋本直さんの「近代俳句の周縁 1   〈豊かな時代〉の網羅主義 昭和八年刊改造社『俳諧歳時記』」などを読んでいただきたいと思うが、牧野のほかにも、「時候・天文」を気象学の国富信一が、「宗教」については神道史学の山本信哉が、「動物」については寺尾新が、執筆している。

そのような専門知は、文芸である俳句で重視すべきなのだろうか。楽しく俳句をやりたい人にとっては、このような「お勉強」は堅苦しいものであろうし、知識があれば、いい句が作れるかどうかというのもまた別の話だろう。しかし、まったく何も知らなければよいかというと、そうではない。一言でいえば、俳句の世界が「小さく」まとまってしまう危険性があるからだ。先ほど述べたように、人事詠がメジャー化している現在ならなおさら、である。

本書には、そこまで専門的なことが書かれているわけではない。あくまで「必修科目」の教科書という体である。俳句を嗜む方が、座右においても損はない一冊だ。旅行のミニガイドにもなるし、佳句を知るのにも役立つ。

もうひとつ本書のいいところは、タイトルに「日本の」とありながらも、その境界線に意識的だということである。詩人の藤井貞和が、その日本語論のなかに「アイヌ語」を取り入れているのと同様に、ここで扱われている樹木はすべてが「純国産」というわけではない。ハイビスカスもあるし、オリーブも、ザクロもある。

夏の季語である「泰山木」が、明治初年に北米からやってきた渡来樹であることなど、それほど知られていないだろう。「檜」が福島県以南と台湾にしかない――というよりも台湾にはある――ということも知らなかったし(だから福島県の入口には「檜枝岐」があるのだ)、「梛」は伊豆が北限である神木であることもまた、知らなかった。樹木を知ることは、文化を知ることにつながる。

そして最も大事なことだが、文化を知ることは、狭い意味での「日本」に閉じこもることではない。むしろその輪郭のあいまいさと多様性を知り、日本のイメージを複数化していくことである。

やや心配なのは、地球規模で問題になっている地球温暖化である。それによって、ここに記述されている内容が影響されやしないか。俳句に関心を寄せるわたしたちには、いったい何ができるのか。樹木の今昔を知り尽くしている作者だからこそ、俳人として、樹木の「未来」についてもぜひ語っていただきたい。


【執筆者プロフィール】
堀切克洋(ほりきり・かつひろ)
1983年生まれ。「銀漢」同人。第一句集『尺蠖の道』にて、第42回俳人協会新人賞。第21回山本健吉評論賞。2020年9月より「セクト・ポクリット」を立ち上げて、不慣れな管理人をしております。



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