神保町に銀漢亭があったころ【第113回】佐古田亮介

銀漢亭のこと

佐古田亮介(「けやき書店」店主)

私が銀漢亭を知ったのは新聞記事(たぶん東京新聞)だったはずで、ここが銀漢亭か。と、確かめに行った記憶があります。

中に入らなかったのは昼間で店が開いていなかったからで、神保町で古本屋をやっている身としては、場所さえ分かれば後はいつでも行けると思ってもう近しい店となった気分。その気分をそれこそ銀漢亭に見抜かれたかのようにして後日、訪れることになるわけですが…。

ある日の暮方、村上護さんから連絡が来て「今、水内慶太先生と一緒でね。紹介するから銀漢亭まで来て下さい」と呼び出され、19時に店を閉めるとすぐに向かいました。本当に近いので走るまでもありません。

店の外で待っていたお二人にごあいさつもそこそこにすぐに店内に請じ入れられて、座るやいなやプリントを数枚渡されて村上さんから「この中から自分で良いと思うものを五句選んでください」と言われましたが、何が何やらサッパリわかりません。

「月の匣俳句会」には入会しましたが、主宰の慶太先生にお会いするのも今日が初めてで、句会に出たことはありません。どころか句会がどういうものなのかまったく知らないのです。どうにか五句を選んで提出しました。

次には誰々さん選句と告げて作品が読み上げられ、作者が名乗りを上げます。これが披講というものであることはずっと後で知りますが、何をやっているのか全体像は掴めないまま何となく、選ばれていることに皆が一喜一憂していることは伝わって来ました。実はこれが「湯島句会」だったのです。

ろくに泳げもしない者がいきなり海に放り込まれたようなものでしたが、何とか岸までたどり着いた、という思いがしました。慶太先生公認(?)みたいなものですから、後日伊那男先生や銀漢の皆さんから誘われるままに「湯島句会」に参加しました。

俳句を初めていきなり「月の匣」と「湯島句会」と二つの句会に出句することとなりかなりハードなことでしたが、「湯島句会」には母も参加してくれたのでだいぶ気持ちが楽になりました。

銀漢亭には慶太先生もちょくちょくお出でになり、時々お呼びがかかってご馳走になる内に自分一人でも行くようになって、沢山の人達と顔見知りになりました。

そうした積み重ねから神保町の古本まつりで俳句大会が出来ないものかと思い始め、思い切って慶太先生にご相談して「本にまつわる俳句大会」を立ち上げました。伊那男先生にも選者になっていただきました。「銀漢」の皆様や銀漢亭に来て下さる俳人の方々にも多数ご参加いただいて、沢山の投句が集り五年間続けることが出来ました。本当にありがとうございました。

銀漢亭には思い出がいっぱいです。お店は無くなりましたが、想い出はいつまでも心の中に生きています。皆様もどうぞお健やかでありますように。


【執筆者プロフィール】
佐古田亮介(さこだ・りょうすけ)
1955年、東京生まれ。1987年より神保町で古本屋「けやき書店」を営む。2010年「月の匣」入会(俳号 安村庵村)、2012年「月の匣」 同人。



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