神保町に銀漢亭があったころ【第50回】望月周

星降るお店

望月周(「百鳥」編集長)

間口の広くない銀漢亭には奥行きがありました。多くの人生が交錯したことでしょう。その一端に触れることができ嬉しく思います。

星が降るようだと思いました。銀漢亭の天井は綺羅星に見立てた青い灯で飾られていました。2015年3月、私の誕生月のことです。

第1句集『白月』で俳人協会新人賞を受賞することができ、50歳の誕生祝いを兼ねて、お祝いの会を開いていただきました。店奥のスペースをお借りしました。偶然お店に居合わせてご参加くださった方もあり、楽しく時間が過ぎていきました。=写真《1》

写真《1》 2015年3月9日。青星が降るような店内。

酒宴の間に句集を回覧し、皆さんにそれぞれ好きな句を選んでいただきました。今、手元に残る句集の一冊は、このとき皆さんに付けていただいた付箋で彩られています。

また、お一人お一人とポラロイドでツーショットを撮らせていただきました。皆さんが書いてくださったメッセージカードに写真を貼り、記念のアルバムとしました。「人生、50歳から!」というエールが心に染みました。=写真《2》

写真《2》 伊那男さんからのメッセージカード。愛あるイジりが……(^^)(写真・左が望月周さん)

亭主の伊那男さんに握手をしていただきました。想像していたよりも大きな手です。お酒が回って熱っぽい私の手に比べると、ひんやりとしていたのですが、厨房に入り新鮮な食材を調理したり、盛りつけたりしている手なのだなと感じました。そんなことが思い出されます。

四半世紀分の句業をまとめた『白月』の刊行は難産でした。無事に出し終えたときの安堵感は大きいものでしたが、それはいつしか脱力感となり、俳句に向き合うことがいささか億劫に感じられることもありました。

「好きだから俳句をやる」という初学の頃の心持ちが、はっきりと蘇ったのは、この夜の銀漢亭でした。お店に集った皆さんと楽しく語らううちに、心の曇りが晴れたような気がしました。初心という天の川が見えてきたのでした。

俳句を愛する人々を育み、見守ったお店。空の見えない東京の街角で銀河の名を冠したお店。星降るお店。忘れません。=写真《3》

写真《3》 妻・加津子さん(右)とツーショット。「はじめての共同作業」的な……。

【執筆者プロフィール】
望月周(もちづき・しゅう)
昭和40年(1965年)東京生まれ。平成11年(1999年)「百鳥」入会。大串章に師事。平成14年(2002年)第9回百鳥賞受賞。平成22年(2010年)第56回角川俳句賞受賞。平成27年(2015年)第1句集『白月』にて第38回俳人協会新人賞受賞。現在「百鳥」同人・編集長、公益社団法人俳人協会幹事。句集『白月』。共著『俳コレ』『新東京吟行案内』。


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