神保町に銀漢亭があったころ【第91回】北大路翼

超個人的雑感

北大路翼(「街」同人、「屍派」家元)

近くて遠い場所、一言でいふなら僕にとつての銀漢亭はこんな感じだ。

思ひ出ぐらゐなら軽く書けるだらうと安請け合いしたが、よく考へたら数回しか行つたことはないんだよなあ。それもお邪魔するときは、仕事関係の打合せだつたり、俳句関係のパーティーの二次会だつたりいはゆる北大路ぢやないときの僕の時が多かつた。

もちろん酒と俳句といふ絶好の条件だし、僕が避ける理由はない。ただ方角が悪かつた。当時の僕の行動パターンは、家のある西荻窪と会社のある飯田橋、そしてその間の新宿と立ち寄るところがほぼ決まつてゐた。立ち寄るといふより新宿を中心に、家と会社に寄つてゐるといふ方が正しい。だから西荻窪より西の吉祥寺には行かないし、飯田橋より東の神保町にもほとんど行かなかつた。美學校のイベントなどで、神保町に行くことはあつても、そのときはその場で酒が足りてしまふ(むしろ余るほど飲むのだが)ので、近くにゐても銀漢亭には寄ることはなかつた。

とはいへ同じ俳句酒場の先輩としていつも銀漢亭のことは意識の中にあつた。もつとも僕の「砂の城」は酒場といふよりはただのたまり場なので、仲間と思はれるのは嫌だらうけどね。チンピラの巣窟だ。前述の通り、仕事がてらに行くことが多かつたので、なほさらに銀漢亭はカタギのイメージ。カタギの店にチンピラの大将気取りの僕が顔を出すのは、場違ひだと心のどこかで思つてゐたのかも知れない。

といふのはただの言ひ訳でもつと顔を出しておけばよかつたなあ。句会にも出て見たかつた。立飲みスタイルで、清記をまはしてゐる連衆はカッコいいと思うた。カタギもチンピラもない。俳人はみんなヤンチャでイキでなくてはならない。酒も飲まずに俳句をやつてる奴は病気だよ。さういふ意味でぱつと閉店を決意したといふのもイキであると思ふ。

「砂の城」だけだらだら残つてしまつた。いやだねえ。


【執筆者プロフィール】
北大路翼(きたおおじ・つばさ)
1978年生まれ。1996年、「街」入会。2011年、歌舞伎町にて「屍派」を結成。2012年、歌舞伎町芸術公民館を会田誠から譲り受け「砂の城」に改称、オーナーを務める。句集に『天使の涎』『時の瘡蓋』『見えない傷』。著書に『生き抜くための俳句塾』『半自伝的エッセイ 廃人』『加藤楸邨の百句』。編著に『アウトロー俳句 新宿歌舞伎町俳句一家「屍派」』。



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