愛情のレモンをしぼる砂糖水 瀧春一【季語=砂糖水(夏)】


愛情のレモンをしぼる砂糖水

春一(しゅんいち)
『燭』


立秋は過ぎたが、小学生の夏休みは続いている。宿題はこれから手を付けるのだろう。今、子供頃の私に言いたい。「宿題は立秋までに終わらせなさい」と。そんなわけで、宿題の終わらない私の夏は、まだまだ続く。

小学校の夏休み。医療従事者だった母は、私に市販のジュースを飲むことを禁じた。糖分が多いとか骨が溶けるとかという理由だった。ラムネはもちろん、コカコーラもメローイエローも飲めなかった。そんな母が作ってくれたのが砂糖水。甘みが少ないのを考慮してか、当時は高かったレモンを搾ってくれた。その砂糖水を凍らせてアイスキャンディーなども作って楽しんだ。田舎の村では、キャリアウーマンの母を持ちバイオリンまで習っている、ちょっと都会的な央子の家の砂糖水はレモンが入っていると話題になった。実は、都市化が進んでいた筑波大学周辺では、喫茶店のゲームテーブルでレモンスカッシュを飲むのが流行っていた時代であった。

それでも中学校時代は、運動部への差し入れで冷えたレモン入り砂糖水を振る舞うととても喜ばれた。

高校生になって、ナポリタンの美味しい喫茶店に行ったら、出てきたお冷やにレモンの香りがした。お洒落な心遣いに痛く感動した。

大学生になると、お冷やがレモン水は当たり前。居酒屋のレモンサワーがジョッキで280円の時代だった。

その後、生レモンサワーなるものが登場。半分に切られているレモンをレモン絞り器でガシガシ絞るのだ。合コンの時、握力のない私を見かねて体育会系の男性が絞ってくれて感動した。その後、交際した文系の男性にレモン絞りをお願いすると「レモンも絞れねーのかよ」とか「俺に命令するのかよ」とか言われた。何だかんだ言って絞ってはくれたのだが…。純粋な私は、レモンを絞ることを男性にお願いしてはいけないのだということを学んだ。その後の調査で、実は男性のそのような発言の裏には「しょうがねーな。お前のためなら絞ってやるよ。俺って偉いだろ。」的なニュアンスが含まれていたらしい。というか、自分が優位に立ちたいだけのモラハラ男性だったのかも。大人になってしまえば、そんな、恋の駆け引きも微笑ましい。

そんなこんなで、結婚を諦めた頃の私に、初デートの夫は、「僕が絞るよ」と言って、皮がすり切れるほど絞ってくれた。好きになるしか選択肢はなかったと思う。

酒の味を覚えた頃から砂糖水は飲まなくなった。時折、冷やした水に砂糖を溶かした時の幻想的な歪みを思い出して、ふいに飲みたくなることがある。在宅勤務の夫のために、レモンを絞った砂糖水を差し出したいところではあるが、レモンは高いので麦茶で我慢して貰っている。

 愛情のレモンをしぼる砂糖水  瀧春一

レモンは、酸っぱくて青春の象徴。ラグビーボールに似ているとのドラマのヒロインの台詞があるように…。本来、砂糖水にレモンを絞るのは女性の役割である。そんな細やかな配慮から男性は「この女性と結婚したい」と夢を見るのだ。レモンを絞っただけで、一生面倒見て貰えるのだから、昔の男は単純で良かった。

あ、そう言えば私も、レモンを絞ってくれた夫に一生を託してしまい大変なことになっているのだった…。

そんな訳で、先日、サツマイモを頂いたのでレモン煮を作った。余ったレモンを絞って、湯上がりの夫にレモンサワーを差し出した。砂糖水ではないのだが、レモンを絞った分だけ、夫の機嫌が良くなった。

篠崎央子


【執筆者プロフィール】
篠崎央子(しのざき・ひさこ)
1975年茨城県生まれ。2002年「未来図」入会。2005年朝日俳句新人賞奨励賞受賞。2006年未来図新人賞受賞。2007年「未来図」同人。2018年未来図賞受賞。2021年星野立子新人賞受賞。俳人協会会員。『火の貌』(ふらんす堂、2020年)により第44回俳人協会新人賞。「磁石」同人。


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