【書評】三島広志 第1句集『天職』(角川書店、2020年)


吠えずに月を待つ
三島広志 第一句集『天職』
(角川書店、2020年)


「天職」という言葉は、日本文化のなかではそれほど馴染みのある言葉ではない。英語やフランス語のvocationの接頭辞は、「声」という言葉とつながっていて(「ヴォーカル」など)、要するに天に呼ばれた気がするということから、生来の好みや適性を意味するようになった言葉だからだ。つまり「天」とは、自分に呼びかけてくるものであり、職もまた「授かりもの」であるということである。そのような感覚が、いったいどれだけ共有されているだろうか。

しかしこの句集『天職』の奇妙さは、収録句からは、それが何であるのかそれほど想像できないということではないだろうか。日常詠にせよ自然詠にせよ、この一冊を構成している言葉のなかに「天職」の正体をさぐるのは、むずかしい。

そう書けば、そんな芝居がかったことを言うんじゃない、とお叱りを受けることになるかもしれない。黒田杏子の序文「『天職』の作者」には、そのことが包み隠すことなく明かされているのだし、そもそも帯にだって「作者は東洋医学と西洋医学の結界を超え、深く自在に人間の命と向き合う治療家」とあるではないか、と。

それはそのとおりだ。ひと芝居打ってしまうのは、この評の執筆者の悪い癖であることは認めねばならない。しかしそのうえで、帯に引かれた一句は、そのような文脈(=天職)へと結び付けられなければいけないかというと、そんなことはないだろう。

  寒昴よき終焉を見届けて

この句だけを読めば、死んでゆくのは親族のひとりであるという解釈も可能だ。しかし重要なのは、「よき終焉」があるということは、「悪い終焉」もあるということのほうだ。作者はそれもまた見届けてきたということが暗示されており、だからこそ「寒昴」という冷え冷えとした孤高の星が一種の厳しさをもって作者を照らしている。もしこれが「春の星」だったらどうだろうか。とても「天」の声など聞いているとは言えないはずだ。

  看取る人看取らるる人冬木の芽

句集ではこの句が先行しているが、ここでは「冬木の芽」が取り合わせられている。この句は臨終の直後とも、あるいは直前とも解釈できる。そしてその輪の外に作者はいる。寒い時期にも萌え出る芽はまだまだ小さく、誰もが見逃してしまいがちな存在だ。看取りというプライヴェートな空間は、そのようにひっそりとしたものではあるが、しかし人生で最も重要な場所でもある。

  また一人看取りの汗を拭いてきし

句集の後半に出てくる句だ。きっと本人も汗だくだ。おそらく「汗」という季語が「看取り」の場面で使われたのは、これが初めてのことだろう。在宅で看取り介護をされていた患者の最期だろうか。「また一人」という言葉で、死と向き合うことが日常的な職業にささやかな、つまり太陽ではなく月ほどのひかりを当て、決してそれを美化することなく描く誠実さが感じられる。

表紙カバーに無数の星がレイアウトされているからも察せられるように、この句集の通奏低音となっているのは、夜空に輝く星や月だ。作者が、宮沢賢治に傾倒していたときけば、たちまち思い出されるのは「星めぐりの歌」だが、賢治の献身的な精神を三島の「天職」に見出せるとしても、少なくとも句集の内容とつながっているのは、若き賢治も読んでいた朔太郎の「月に吠える」のほうだろう。「月に吠える」序文の末尾にある五つの文章を引こう。

過去は私にとつて苦しい思ひ出である。過去は焦躁と無為と悩める心肉との不吉な悪夢であつた。

月に吠える犬は、自分の影に怪しみ恐れて吠えるのである。疾患する犬の心に、月は青白い幽霊のやうな不吉の謎である。犬は遠吠えをする。

私は私自身の陰鬱な影を、月夜の地上に釘づけにしてしまひたい。影が、永久に私のあとを追つて来ないやうに。

しかし、『天職』の作者は、月を恐れてはいない。死という恐れや焦りを遠ざけようとはしていない。彼にとって死は「待つ」ものである。

  月を待つ心に人を待ちながら

  月待の月に待たるる吾とおもふ

  人はみな思ひを遺し梅雨の月

いずれも平易なことばで詠み止められてはいるが、これらの「月」はどこか「人の死」とつながっている。誤解を恐れずにいえば、月とは作者の分身であり、死そのものだ。

わざわざ言うまでもない。誰しもが、死に待たれている。しかし普段の生活では、病気でもしていないかぎり、そのことは強く意識することがない。それを三島は――おそらく健康体であるにもかかわらず――はっきりと意識している。そのような仕事を生業としていることを、どうして自身のなかだけで完結できるだろうか。「天」に呼ばれたと考えるのが自然ではないか。

  天職の一生と思へ石蕗の花

いやいや、作者はそれほど傲慢ではない。むしろ謙虚だ。人の死と向き合うことは、けっして「日常」とはならない。それは俳句にかかわる人間が、昆虫や日差しや風の動きを日々観察しながら、つねに新しいものであると感じているのと同じことだ。

  穀象のしんしんと這ふ月明かり

  芋虫の夜をせつせつと喰らひをる

  日は天の深きところへ箒草

  萍のゆきどころなき業平忌

  漣となりて秋風果てんとす

  百日紅天の広さの風ゆたか

このような自然詠が、一冊の基盤となっている。対象をしっかりと見つめながら、作者はそこにちょっとしたドラマ的な奥行きを与えている。けっして過剰ではない。どれもが心地いい句。加えて、時代や場所を選ばない句のほかに、自身の身辺を詠んだ句(酒の句、子供の句など)もある。1991年から2017年までの四半世紀以上の句を収めただけあって、句幅は広い。

この句集のよさは、「死」と向き合う作者だからこその、ちょっとした気づきであるだろう。たとえば、以下の句はとても普遍的だが、作者の特長がにじみでている句でもある。

  年ごとに遺影若やぐ秋扇

  生き抜いていま春塵の壁の蝿

  寒卵割る手ごたへを手の内に

  はらわたの後から動く牛蛙

  本の蛾をやさしく強く吹き飛ばす

  湯豆腐の脇に昆布の美しく

  豆撒かず暗がりに豆置かれけり

「死」にまつわる職を伏線としながらも、全体としてとても物静かで穏やかな句集となったのは、このような小さなもの、小さなことを一句として詠み止めるのが巧みだからだろう。すでに引いたなかにも佳句は多いが、全体として季題にたいして差し向けられているまなざしが優しく、ていねいなのである。序文の黒田杏子は、夏井いつきが「日光菩薩」なら、三島広志は「月光菩薩」だと書いているのは、そのあたりなのだろう。

  春日井健死す空梅雨の星の下

  死の見ゆる人と新茶の話など

この句集の評を締め括るために、やはりもういちど「死」をテーマとした句を二つ引いておこう。名古屋の歌人・春日井健が亡くなったのは、2004年5月22日のことだった。生前に付き合いがあったかどうかは定かではないが、その死を思うことが俳句になるのは、同じ街に住む者であり、かつ晩年の春日井が病と対峙する歌を詠みつづけてきたからだ。

二句目、身近な同僚か友人に「死の見ゆる人」がいるのだろう。死にかかわる仕事を長くつづけていると、経験の蓄積がそのような感覚を与えるということは、科学的にはどうであれ、ありそうな話だ。しかしここでも作者は冷静だ。とりたてて患者の話をするわけでもなく、「新茶の話など」をしている。歌人であれば、おそらくそうはいかない。だが俳人は「新茶」という日常性を通じて、「死が見える」ことの不気味なリアリティを、読者に想像させようとする。

この句集に「俳」というユーモア的要素はきわめて抑制されている。わりと描写に徹した写生的な句も多く、派手な比喩などは多くない。そのようななかで、「死の見ゆる人」も「新茶の話」も、さりげないが、ちょっと地面から5ミリメートルくらい浮いている句だ。誠実な作者のユーモアがこれからどのように展開していくのかが、もっとも気になるところだ。


【執筆者プロフィール】
堀切克洋(ほりきり・かつひろ)
1983年生まれ。「銀漢」同人。第一句集『尺蠖の道』にて、第42回俳人協会新人賞。第21回山本健吉評論賞。2020年9月より「セクト・ポクリット」を立ち上げ、慣れない管理人をしています。



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