枯野から信長の弾くピアノかな 手嶋崖元【季語=枯野(冬)】


枯野から信長の弾くピアノかな

手嶋崖元


ホトトギス三人衆と言えば、織田信長、豊臣秀吉、そして徳川家康だが、就中キャラが立っているのは織田信長、そう言って真っ向から異を唱える人は多くないだろう。「鳴かぬなら殺してしまえ」という気性の人物に仕えたらこっちの命が幾つあっても足りないというのに、後世の我々は飽きずにこの豪胆で、残虐で、奇抜で、悲劇的な最期を遂げた英傑に魅了され、文学、漫画、映画、ドラマ、CM、とあらゆるジャンルに蘇らせ続けている。

俳句も負けてはいない、とつい筆が走ったものの不勉強な筆者は<向日葵や信長の首切り落とす 角川春樹>しか知らないのであったが、つい最近こんな句に出会った。

枯野から信長の弾くピアノかな      手嶋 崖元

信長の生きた時代、ピアノはまだ誕生していなかった。だから、どれほど新しもの好きの信長公でもこの楽器を奏でることは叶わない。ただ、南蛮文化を積極的に吸収した信長のこと、もしピアノが既に発明され、宣教師たちにより日本に紹介されていたならば大いに好奇の目を向けたことだろう。史実から繰り広げる”If”の世界に想像を遊ばせるのも悪くない。結語の詠嘆が「枯野かな」ならば、そうした夢の駆け巡る枯野であることよ、という解釈が相応しいかもしれない。しかし、「ピアノかな」と来ると、おいおい、なのである。幻でなく、枯野を渡って来たピアノの音が聞こえちゃってるんですよ、弾いているのが信長なんですよ。それってヤバくね?と背中がゾクリとしながらもどこか笑ってしまう。荒涼たる大枯野でたった一人鍵盤を叩く織田信長というイメージは奇異だけれど、どこか象徴的でもある。

本能寺で火に包まれた後、信長の遺体は見つからなかったという。あれからずっとどこぞの枯野でピアノを弾いているのかもしれない。耳を澄ませば、ほら。

(『鏡』第三十八号より)

太田うさぎ


【執筆者プロフィール】
太田うさぎ(おおた・うさぎ)
1963年東京生まれ。現在「なんぢや」「豆の木」同人、「街」会員。共著『俳コレ』。2020年、句集『また明日』



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